「なにがほしい」

「……はい?」

 朝食の席で突然に問われて、リンの思考は停止した。まず脈絡が分からない。そして「なに」の種類が分からない。いまが朝食の時間であることを考慮するに、ふりかけとか調味料系の話だろうか……いや、ちがう気がする。じゃあ何だろう。

 必死に頭を回転させるリンのまえで、ナツメは無言で無感動に娘を見つめていた。発言に対する補足などはくれないようだ。

「よぉ。おまえら早ぇーな」

「おはよー」

 あくびを噛み殺しながら、シリウスがリビングに入ってきた。彼の肩の上であくびを噛み殺しそこなったスイが、一拍遅れて挨拶を寄越す。その声で意識を戻したリンが挨拶を返すまえに、ナツメが不機嫌そうな「おい」をシリウスへと向けて発した。

「なにも案を出さないぞ、こいつ」

 顎でリンを指すナツメに、シリウスが「あ?」と不思議そうな表情を浮かべた。

「何の話だよ」

「今日こいつに買ってやるものについてだろうが。おまえ昨日話したことも忘れたのか」

「……あー。アレか。リンにはまだ言ってねぇわ」

「言ってないのかよ。時間ロスしただろ」

「はぁ? リンの反応見りゃ分かんだろ。自分で説明しろよ」

「なんで私が。おまえの仕事だろ。使えねぇ駄犬」

「はぁ?!!」

「どっちでもいいからさっさとリンに説明しろよ」

 ケンカに発展しそうな応酬を、スイがぶった切った。間髪入れずナツメが「猿の分際で口出しするな」と眉を寄せた。スイの頬が引き攣ったが、「なに正論にキレてんだよ自己中女」と発言したシリウスが壁へと勢いよく打ちつけられたのを見て、感情を胸のなかにしまっておくことを決めた。

「……父さん、大丈夫?」

 リンが座ったまま静かに尋ねた。後頭部を押さえてもんどりうつ父親に対してこの態度である。視線と声音に心配という感情が宿っているだけマシなのかもしれないが、ふつう駆け寄ったりするものじゃないだろうかと、スイはいつも思っている。しかしシリウスがナツメの神経を逆なでしてDVされるのは日常茶飯事なので、慣れてしまうのも仕方がないのかもしれない……。

「さっさと起きてあいつに説明しろよ」

 頬にかかった髪を耳にかけて、ナツメが鮭の身をほぐしはじめる。安定の傍若無人さであった。もう少し円満な夫婦関係を構築してほしい、リンの教育に悪い。などと思いつつ、スイはお口にチャックしておいた。飛び火こわい。

「あー……リン」

 のそのそと席に戻って、シリウスがキリッとした表情を作った。リンは背筋を伸ばして「はい」と返事をする。しっかり目を合わせて、シリウスはふと口元を緩めた。

「ホグワーツ入学おめでとう」

「……その言葉なら、昨日ももらったけど」

「うんまあ続きがあってな。めでたいから、なにかリンのほしいものを買ってやりたいなと思ったわけだ、俺たちは。つまり入学祝いだな」

 ぱちくり瞬いて、リンはナツメを見た。こちらの会話にこれといった反応を示さずに、ひたすら食事をしている。とはいえ、先ほど彼女は「なにがほしい」と聞いてきた。ということはつまり、彼女にもリンの入学を祝う気があるということだ。

「……うれしいです。ありがとうございます、父さん、母さん」

 ふんわりと表情を緩めて、リンは礼を述べた。その余韻に浸りつつ、シリウスは「それで、なにがほしい?」と身を乗り出した。リンの表情がゆっくり固まる。

「………」

 ほしいもの。ほしいものって、何だろう。先ほどとはちがう必死さで頭を回転させる。そんなリンを、スイとシリウスが見守る。視線を感じて焦りながら、リンは沈思黙考する。そんな状況が続くこと数秒。ついにシリウスが口を開いた。

「……リン、何でもいいんだぞ」

「う、ん。それはわかってる、けど……」

 ぐるぐると考え込むリンを見て、スイは乾いた笑みをこぼす。「無欲だからなー、リン」と呟けば、シリウスが歯がゆそうな顔をする。そんな光景の横で、ナツメは黙々と食事を進める。マイペースにも程がある。スイは内心でツッコんだ。

「……ペットか魔法生物図鑑か、そのあたりが妥当だろ。こいつ動物好きだし」

 不意にナツメが呟いた。ほか三人が吃驚して視線を向けると、ナツメは食後のお茶で喉を潤しているところだった。食事を終えたので会話をする気になったらしい(ナツメは基本的に食事中に会話をしない)。

「……ナツメ、おまえ、いまめちゃくちゃ親らしかったぞ! リンのことちゃんと考えられて……やればできんじゃねーか!」

 ……あ。スイが声を漏らすと同時、シリウスが壁に激突した。「上から目線で不愉快な発言してんなよ駄犬」という声を聞きながら、スイはやれやれとため息をついた。朝から何度も物騒な夫婦である。

「……で。リンはどうなのさ。ナツメの案でいいの?」

 夫婦を放置することにして、スイはリンを見上げた。茫然と両親を見ていたリンは「え」と意識をこちらに向ける。一拍置いて「ああ、うん」と返事がくる。

「魔法生物図鑑がいい」

「はぁ?!!」

 シリウスが復活した。すくっと立ち上がってリンへと歩み寄ってくる。

「そんなつまらないもんでいいのか?! 図鑑なんて……あ、箒! 箒とかどうだ?」

「箒のほうがつまらないよ。そんなの使わなくても飛べるし」

「………」

 淡々と言うリンに、シリウスが言葉を失う。スイは尻尾でシリウスの腕をポンポンしてやった。

「バカだなぁシリウス。この母にしてこの娘だぞ? 君の価値観とズレてるんだよ」

「……箒なら、レグが丁寧に保管してたな。思い出の品的な財産として姪に譲りたいとか言って」

「ぜひ賜りたいです、叔父上の箒」

 ふと思い出した風情でナツメがこぼした言葉に、リンが反応を示した。静かにわくわくした表情を浮かべている。

「……箒なんてつまらねーっつったくせに……」

「諦めろ、シリウス。この母にしてこの娘だぞ? レギュラス大好きに決まってるだろ」

 シリウスは三秒ほど沈黙したあと、力なくうなだれたのだった。



**あとがき**
 アルバ様リクエスト“もしも(シリウス含め)リン一家が普通の暮らしをしていたら”でした。「ほのぼの系」ということでしたが、ナツメさんがいる場での「ほのぼの」のむずかしさにやられました。イメージとちがいましたら申し訳ないです。
 ナツメさんはシリウスの扱いが乱暴。けっこう頻繁にシリウスが吹っ飛ばされます。ひどいときは蹴られる。シリウスはタフなので、よけい遠慮がないんだと思います。こんな環境下だから、夢主が天然に育つって感じな気がします。夢主は基本的にナツメさん似でナツメさん好きーなので、シリウスが寂しい。
 ちなみに今回レギュラスは救済成功&シリウスと和解成功→わりと親密な親戚してる設定。





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