頭のネジが飛んでる久々知



「××さん、あーんして」

 とある昼休み。学年一の秀才な美形男子に至近距離でそんなことを言われて、私の頭はフリーズした。

「……え……あの……え?」

 ちょっと待って何事? 誰か説明してください。縋るような目で友人たちを見ると、みんな一斉に私から目を逸らした。え、待って。マジで待って。見捨てないで。

 なるべくこちらを見ないように食事を再開する友人たちに内心で焦っていると、何かに顎を掴まれた。そのままグイッと強制的に顔の向きを変えさせられる。

「よそ見しないでほしいのだ」

 不機嫌そうにギュッと眉根を寄せて、久々知君が私を見てくる。私の顎を掴んでいる何か(たぶん、久々知君の指)に、微妙に力が込められる。うわ、漫画みたいなシチュエーション……とか言ってる場合じゃなくて。ちょっと待って。

「く、久々知君、あの、近い……」

 思わず前に手が出るほど、ホントに近い。十センチもないんじゃないか、これ。単なるクラスメイト同士にしては近いよね。

「××さん、早く口開けて」

 私の抗議などどこ吹く風、久々知君はぐいっとさらに詰め寄ってきた。ぷるんっ、久々知君が持つスプーンの上に乗っている、つやつやしてて真っ白な物体が揺れる。

「××さん、あーん」

「いや……あの、ちょっと離れて……」

「食べてくれたら退くのだ」

「……えっと、じゃあ、もらおうかな」

「っうん、……あーん」

「ごめん自分で食べれるから」

 頬を染めてはにかむ久々知君に眩暈を感じて、うっかり流される……わけもなく。私は冷静に丁重にお断り申し上げた。

 ぶふっ! と背後で誰かが吹き出す音がしたが、振り返って誰か確認する余裕はない。なぜなら私の目の前の久々知君が、まさに哀しげとしか表現できないような表情を浮かべて、私を見てくるからである。

「……俺は、××さんに食べさせたいのだ……」

 しゅんと捨てられた子犬のような目で見つめられ、私はうっと詰まった。

 久々知君の頭に、垂れ下がってる動物(個人的には猫だと思う)の耳が見える。何だろう、この、胸の奥から湧き上がってくる罪悪感は……あれ、私、どっちかっていうと被害者だよね?

「××さん、もしかして……杏仁豆腐、嫌い……?」

「あ……いや、結構好きだけど……」

「俺も、大好きなのだ! だから××さんに食べさせたい!」

 ぱぁあっ!! と顔を綻ばせる久々知君から、私はそっと視線を外した。

 ごめん久々知君、その思考回路が分からない。「好きだから食べてもらいたい」っていうのは分かる。だけど、なんで「食べさせたい」になるのか、まったく理解できない。

 ―――……っていうか、なんで私?

「そういうのは、尾浜君とか竹谷君とかにやってあげればいいんじゃないかな」

 私が言うと、また背後で誰かが吹き出す音がした。若干さっきとは違う音だったので、たぶん別の人だ。誰か知らないけど、能天気に笑ってないでほしい。眉をひそめつつ久々知君に意識を向け直すと、彼も凛々しい眉を寄せていた。

「いくら豆腐でも、勘ちゃんとか八ちゃんに食べさせるのは、ちょっと、想像するだけでも気持ち悪いのだ」

「うん、私もそう思うよ」

 尾浜君は見た目的にギリギリセーフかと思われるけど、竹谷君は普通にアウトだ。私なんて想像どころか言葉にするだけで鳥肌が立った。たぶん、いまの私、顔が引き攣ってる。なんで竹谷君の名前出したんだろ、私。

 悶々と脱線したことを考えていると、またもや久々知君が私の視界をアップで占領した。私はパッと距離を取る。

「……なんで逃げるの?」

「なんでって……普通逃げるでしょ……」

 そんな絶望的な顔をしないでほしい。なんか、自分の反応と感覚に自信がなくなってくるから。落ち着け、私。この思考は正しいはずだ。私は正常だ。うん、意図して久々知君を傷つけているわけでは……ないよ、ね? あれ?

「……なんか、わけ分かんなくなってきたかも」

「大丈夫?」

「いや、一応言っとくけど、元凶は久々知君だからね?」

「……そうなのか?」

 無自覚ですか。私は心の中で突っ込んだ。何ということだろう。学年一の秀才、久々知兵助君は、実は天然ボケだったのか……いや、なんとなく予想はできてたけどね。なんかいつもボーっとしてるし、たまに話通じないし、豆腐好き(もはや愛? ってか命?)だし。

 だけど、ここまでとは思ってなかった。今までそんなに話したことなかったからなぁ……。なんて思いながら、私は、再びスプーンを構えて詰め寄ってくる久々知君の前に手を突き出した。

「久々知君、近い」

「え……でも××さん。距離詰めないと、食べさせにくいのだ」

「よし分かった久々知君、とりあえず一旦落ち着こうか」

「? 俺は別に平常通りだけど?」

 こてりと首を傾げる久々知君に、私は頭を抱えてうずくまって力の限り叫び出したい衝撃に駆られた。何この人。マジで何なの。誰か説明して。むしろ通訳を呼べ。久々知君の思考回路を翻訳できる奴……と言えば。

「さっきから笑ってないでよ、尾浜君!」

「えっ、ここで俺?!!」

 ぐるんと身体を後ろに回して、私はうちのクラスの学級委員長を睨んだ。何やらワタワタと慌てている。

「ちょっ、××さん、言っとくけど、二回目に吹き出したのは三郎だよ? 一回目は俺だったけど」

「やっぱり笑ってたんじゃん!」

 ぜんぜん言い訳になってない。キッと睨む私を見て、尾浜君の向かい側に座っている男子生徒が「おお、怖い」とニヤニヤする(いや、明らかに怖がってなんかいない)。私は奴のことも睨みつけた。

「……××さん、こっち向いて」

 ひんやりとした何かが私の頬に触れた。と思ったら、私の首が強引に向きを変えさせられ、それから目の前に久々知君の顔が現れた。

「……だから近っ、いっ?!」

 ぐっと仰け反って、私は久々知君(とスプーン)から距離を取る……ことはできなかった。久々知君の手が、いつの間にか移動し、私の後頭部をしっかりホールドしていた。その上、私が開けた口の中へ杏仁豆腐を強引に突っ込んできた。

 予想外の行動に驚いて、私は思わず口を閉じた。がちっと歯がスプーンと衝突し、口の中に嫌な振動が伝わる。

 条件反射で口が開き、久々知君がタイミングよくスプーンを抜き出す。杏仁豆腐を口の中に上手く残したまま。なんというテクニック……じゃなくて!

「っ、なに考えてんの?!!」

「美味しかった?」

「 ――― っ、いい加減にして!!」

 ガッと久々知君の胸倉を掴んで軽く引き寄せ、私は叫んだ。

 尾浜君たちや友人たちが焦り宥めようとする声がしたが、頭に血が昇っている私の頭には入ってこない。ただ、目の前の不思議そうな顔を睨む。

「さっきから、わけ分かんないことばっかり! 一方的で、こっちの話もろくに聞かないし! ふざけないで! わざわざ私なんかにちょっかい出して、何がおもしろいのか知らないけど、人で遊んで楽しむのはやめ、」

 “て”という音は、息と一緒に喉の奥へと消えていった。鋭い視線に身体の動きが束縛される。後頭部に添えられた手に、少しだけ力が込められた。

「……遊んでるように見えたの?」

 射抜くような視線とは裏腹に、声音はひどく哀しげだった。硬直する私の頬に、久々知君の指が触れてくる。

「……俺は、××さん以外の女子には、こんなことしないよ」

 さわ、と細長い指が、肌の上を滑る。久々知君の目が細められて、長い睫毛が目元に影を落とす。綺麗だと感嘆する反面、なにこの空気と頭の片隅で思った。

「……××さんだけ。特別なのだ」

 柔らかい表情をする久々知君を見て、友人たちが「キャー」と小声で悲鳴を上げる。その中に「おほー」とかいう野太い声が混じっていたのは何故だろう。誰だそんな変な感嘆詞を使う輩〔やから〕は。

 思考を飛ばして現実逃避を図る私を、久々知君がご丁寧にも現実へと引き戻してくださった。

 私の頬に、口づけを一つ落としてくれたのだ。「キャー!!」を通り越して「ギャアァア!!!」という女子たちの悲鳴が、室内外を問わず至る所から上がった。

 あ、私いま人生詰んだかも。

 グッバイ私の平穏無事な学生ライフ……と遠い目をする私に、身体を離した久々知君は、こうのたまった。

「××さんは、豆腐が引き合わせてくれた、俺の運命の人だから」

 ……うわぁ……。

 誰かが呟いた。同時に教室中の人間が引く気配。先程悲鳴を上げていた女子たちすら顔を引き攣らせている。かくいう私も全身に鳥肌を立てていた。やばい、すごい寒気がする。

 とりあえず、全力を振り絞って、私は久々知君に言った。

「ごめん、私そこまで豆腐を愛してるわけでもないし、運命とかも信じてないから」

 頭良いのに何か残念な人だ。正直もう関わり合いたくない。

 捨て犬のごとき目で私を見てくる久々知君から、全身全霊で目を逸らしながら、私は思った。



そんな目で見ないで 
 (君と上手くやっていける自信がない)



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 イマイチ何が書きたかったのか、方向を見失いました。最初は、もっとこう………。えー、とにかく、久々知の天然を突き詰めていったらどうなるのかな、と想像しながら書きました(と、強引にまとめておく)

 いったい夢主と久々知との間に何があったのか、豆腐が引き合わせたって何ぞや。その答えは読者の想像力のみぞ知る(いや、一応考えたんですけどね。でもスペースと体力と精神力の都合で割愛)
 終われ。

お題配布元:Tantalum
 

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