十月がやってきた ――― 校庭や城の中に、湿った冷たい空気を撒き散らしながら。

 校医のマダム・ポンフリーは、先生にも生徒にも急に風邪が流行り出したので大忙しだった。とはいえ彼女特製の「元気爆発薬」は、すぐに効く反面、それを飲むと数時間は耳から煙を出し続ける羽目になるため、少し敬遠されていたりもする。

 ベティは「ついうっかり」体調を崩してしまい、この薬の厄介になった(かなり全力で拒否していたが、スーザンの脅すような目つきに会って渋々服用した)。

 ふわふわピョンピョンまとまりのない髪の下から煙がモクモク上がって、なかなかにひどい光景だった。ジャスティンが薄情にも笑い、ベティと口論になったのは、記憶に新しい。

 まあ、そんなジャスティンも「失念して」誰かから風邪をうつされてしまったのであるが。

 医務室のベッドでベティに姿を見られまいと引きこもっている友人を思い浮かべて、リンはふと笑った。

「リン? どうかしたかい?」

 隣を歩いていたアーニーが不思議そうな顔をした。リンは視線を向けないまま、口元に笑みを浮かべる。

「いや。今頃ジャスティンとベティが激しい攻防を繰り広げてると思うと、おもしろくなって」

「ああ、それはたしかにおもしろい」

 犬猿の仲である友人たちを思い出して、アーニーも笑った。

 何とかしてジャスティンの姿を見て鼻で笑ってやろうとするベティと、必死で隠れているジャスティンの勝負は、なかなか白熱している。やりすぎて、そのうちマダム・ポンフリーによって二人そろって医務室から放り出されてしまうのではないかと思うくらいだ。

「ベティ、根に持ってるからなあ」

「ジャスティンも、あのときはちょっと軽率だったからね」

「あれ、リンも笑ってなかったかい?」

「そう? 光の加減でそう見えただけじゃない?」

 とぼけてみせるリンに、アーニーは苦笑する。この友人は、こういう辺りが「優等生っぽくない」のだ。つい先日にグリフィンドール生が見せた反応が頭をよぎり、アーニーは小さく笑みを零した。

 それを見咎めたリンが、僅かに眉根を寄せる。

「何か失礼なこと考えてない?」

「そんなことないさ。そうじゃなくて、その、ハンナが心配だなって」

「ああ……まぁ、たしかにね」

 頷いて、リンは廊下の奥のほうへ目を向け、そっと溜め息をついた(やけに絵になる光景だと、アーニーは思った)。

 ベティかジャスティンか、ほかの誰かからか、ハンナは風邪をもらってしまい、苦しんでいる。例の薬のおかげで熱は引いたのだが、どうも喉の調子が戻らないらしい。そのため、医務室でマダム・ポンフリーの処置を受けているのだ。

 スーザンとベティはその付き添いだ(ベティの場合、ただの大義名分)。

 リンとアーニーもそれぞれ用事を済ませ、いまから彼らの元へ向かうところである。といっても急ぎはしていない。今の医務室が慌ただしい状況であることを知っているからだ。

「そろそろブームも収拾してくれないと困るなあ。いい加減、授業に支障が出るかもしれない」

 ふうと悩ましげに溜め息をついて、アーニーが言った。リンは「そう?」と首を傾げる。

「アーニーは授業じゃなくて自分が心配なんじゃない? 周りがほとんどやられたから、そろそろ自分にも回ってくるかも、って」

「ズバッと言うなあ、リンは。せっかく綺麗に包んだのに」

 不満げな声を出すアーニーに、リンは笑みを零した。「ごめん」と謝る声も、どこか弾んでいるように聞こえる。それに文句を言おうとしたアーニーだったが、結局、何故か笑えてきてしまった。

 二人して笑う(謎の)光景に、廊下にかかっていた絵画の主たちが「微笑ましいですな」「よき友情ですな」と目尻を下げる。

「……あ」

 不意にアーニーが声を上げて立ち止まった。リンは笑うのをやめて、不思議そうにアーニーを振り返る。

「どうかした?」

「僕、図書館に忘れ物したかもしれない……ちょっと戻って見てくる。リン、悪いけど先に行っててくれ!」

 リンが何かを言う前に、アーニーは来た道を駆け戻っていった。絵画の主たちが「廊下は走るな!」と注意する声が合唱のように響いていく。

 それをおもしろいと思いつつ、リンは、遠くなっていく友人の背に向けて呟いた。

「……忘れ物してるかどうか、いま持ってる荷物を確かめてから行けばいいのに」

 まったくだと額縁の中の人々が賛同してくれた。「考えが足りんのう」「やっぱり子供じゃ」「猪突猛進ねぇ」「ああ、見た目もたしかに猪みたいだったわねぇ」「しかし、それほど速くはなかったですぞ」など、いろいろ声が聞こえてくる。なかなかな言われようだ……リンはアーニーに同情した。

 と、ここで立ち止まっていても仕方がない。リンはアーニーに言われた通り先に行くことにした。

 しかし、曲がり角に差し掛かったところで、すぐにまた立ち止まった。

 目の前でフワフワ浮いている本の群れ。リンはパチリと瞬きをした。もしかしなくても……と下を見れば、やはりそうだった。

「フリットウィック先生……あの、大丈夫ですか?」

 声をかけると、教室からまだまだ本を運び出そうとしていたフリットウィックが「ムッ?」と顔を上げた。リンを見て「オオーッ」とキーキー声を出す。

「ミス・ヨシノ! これは奇遇ですね!」

「ええ……えっと、お手伝いしましょうか?」

 小柄な先生の頭上にも浮かんでいる本の山を一瞥してリンが申し出ると、フリットウィックはニッコリした。

「それはありがたい! なにせ量が多いのでね ――― ああ、魔法を使っても構わないよ!」

 本に手を伸ばしたリンに、フリットウィックが慌てて付け加えた。重たいものなので直接持ち運ぶのは難しいだろうと心配したのだ。

 リンの細い腕を見つめるフリットウィックに、不思議そうな顔をしたリンだったが、せっかく許可が出たのだったらお言葉に甘えようと思い、杖を取り出した。


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