ホグワーツ特急がホームに到着した。

 列車から降りたリンは一息ついた。これでしばらくはジャスティンとベティの喧嘩に巻き込まれずに済む。肩の上にいるスイもじっくりと身体を伸ばしていた。

 人の波に揉まれながら駅を出て、リンは目を瞬かせた。

 外の通りには、百台余りの馬車がズラリと並んでいた。その光景にも驚いたが、一番目を奪われたのは、馬車を牽〔ひ〕いている生き物の方だった。

「……何、これ」

 リンは小さく呟いた。

 何とも形容し難い生き物だが、あえて言うなら馬と呼ぶべきだろう。哺乳類よりは爬虫類っぽいとリンは思ったが。

 それはまったく肉がなく、黒い皮が骨にピッタリと張りついているので、骨の一本一本が見える。頭はドラゴンのようだ。瞳のない目は白濁していて、生徒たちをじっと見つめている。挙句、背中の隆起した部分からは、まるでコウモリのような、黒くて変にツヤッとした翼が生えていた。

「……こんなおもしろい生き物、日本にいたっけ」

「いるわけないだろ。ていうか、おもしろくないし」

 じっと観察するリンに、スイが思わず声に出してツッコミを入れた(しかし、ハンナははぐれた他の友人たちを探していたので、その声に気づいた様子はない)。

 こんな不気味な生き物のどこがおもしろいんだ、という目を向けてくるスイに、リンは首を傾げた。

「だって、ドラゴンと馬とコウモリを掛け合わせたみたいじゃない? 完璧に計算して交配させたって、こんなのできないよ。すごくない?」

「うん、とりあえず君は黙ればいいと思うよ」

「それはスイのほうだよ」

 リンが言った直後、スーザンたちが現れた。人に揉まれまくったのか、みんな疲れた顔をしていた。アーニーに至っては、せっかく綺麗に持ってきて着たローブがクシャクシャのヨレヨレになっている。

「去年は、こんな苦労しなかったぞ……」

「まぁ、ハグリッドと一年生たちだけで城に行ったしね」

 相槌を打ち、リンは杖を出して一振りした。アーニーのローブがピッシリしたものになり、ずれていた向きも直る。アーニーが力なく礼を言う隣で、ジャスティンは彼を睨み付けていた。

「早く馬車に乗りましょう?」

 スーザンが急かした。追い立てられて、ベティが一番に乗り込む。中に入ってすぐ、彼女はギュッと顔をしかめた。

「何ここ。すっごいカビ臭い」

「あら本当……藁の匂いもするわね」

 続いて乗り込んだスーザンが言った。セリフの割に、顔は微笑んでいる。何故そんなに余裕が? と一同(リン以外)は思ったが、何も言わないことにした。

 次にハンナが馬車に乗る。アーニーがあとに続くなか、リンは再び馬らしきものへと目を向けていた。

 よっぽど気になるんだなとスイが呆れていると、ジャスティンがソワソワとリンを見た。馬(仮)を眺めるリンを見つめるジャスティン ――― その全体を視界に入れるスイ、という変な構図が出来上がる。何だこれ、とスイは思った。

 沈黙に満ちた空間を、馬車から顔を覗かせたアーニーが破った。

「リン、ジャスティン、何してるんだ? 早く乗ってくれよ。あとが詰まってしまってるよ」

「……ああ、うん」

 後ろに続いているほかの馬車を一瞥して、リンはようやく乗り込んだ。ジャスティンが最後だ。二人が座ると、馬車が動き出した。

「なんで乗り込まなかったのよ? 匂いが嫌だったとか言わないでよ、アタシだってそうなんだから」

 スイを膝の上へと移動させたリンに、一番奥に座っているベティが聞いた。その言葉で、彼女がどことなく不機嫌そうにしている理由が分かった。スーザンが苦笑する。リンは普通に笑った。

「嫌だったら歩いてるよ。君もそうすれば?」

「イヤよ」

 噛みつくように答えるベティに、リンは肩を竦めた。本格的に機嫌が悪い。刺激しないほうがいいかと判断して、外へ目を向ける。馬車が隊列を組んで道なりに進んでいるのが見えた。

「馬を観察してたんだ」

 リンが無意識にスイを撫でながら言うと、みんなが沈黙した。ハンナ、スーザン、アーニーが、顔を見合わせる。ベティはポカンと口を開け、ジャスティンは目を丸くしていた。

 呆れというか諦めというか、何とも言えない表情でスイが尻尾を振ったとき、ベティが言った。

「どこに馬がいるのよ」

「どこって……この馬車を牽いてるじゃない」

「アンタ頭大丈夫?」

「ベティ、今すぐに口を閉じてリンに謝りなさい」

「黙らせたいのか喋らせたいのか、どっちよ」

 直球なベティの言葉にジャスティンが怒った。眉を吊り上げて言うが、ベティが指摘した通り、少し支離滅裂である。スーザンが宥めるなか、ハンナがリンを窺ってきた。

「リン? あの、本当に馬が見えたの?」

「厳密には馬じゃないと思うけどね。馬にドラゴンとコウモリを合わせた感じだった。ハンナも見たでしょう?」

「私 ――― 私、あの、見てないわ」

 恐々とリンを見つめてくるハンナに、リンはパチクリ瞬いた。同じく自分を見ているアーニーへと視線を向けると、彼も首を横に振った。

「ホグワーツの馬車は、馬なしでも走れるんだ。僕の二つ上の従兄がそう言ってた。魔法で動いてるんじゃないかって」

「そんなわけないよ。だってそれなら、轅〔ながえ〕なんて付ける必要がない。むしろ馬車じゃなくったっていいんだから」

「そりゃ、そうだけど ――― 」

 アーニーは言いよどんだ。彼の表情を眺めたあと、リンは小さく息をついて肩を竦める。スイが見上げると、退屈そうな表情をしていた(取り繕ってるようにスイには見えた)。

「……そんなに本気にされると、居心地悪いんだけど」

 一瞬、車内が静かになった。言い合っていたベティとジャスティンまで黙っている。三秒ほど経ったあと、ベティが眉を吊り上げた。

「アンタねえっ、悪ふざけすんじゃないわよ!」

「憂さ晴らしだよ。誰かさんたちが喧嘩ばかりするんだもの、やってられないよ。これで少しは大人しくなればって思ったんだけど、逆効果だったなぁ」

 余計に騒がしくなったと溜め息をつくリンに、ハンナたちは安堵したようだった。また他愛もない話をする雰囲気に戻る。

 空気を読んで、上手く誤魔化す。妙な演技力でもってそれを成し遂げたリンを見上げて、スイは尻尾をビシリと振り下ろした。

2-3. いないのか、見えないだけか
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