モヤモヤしたまま寮に帰ると、スイの姿が見当たらなかった。首をかしげるリンに、困り果てた顔のハンナが説明をくれる。ジャスティンとベティの競争が勃発し、最終的に笑いの発作が止まらなくなったスイをアーニーが医務室まで迅速に搬送していったらしい。なお主犯二人はスーザンに説教を食らっている。

「ちなみに誰か止めてくれたの?」

「……ごめんなさい、みんな自分のことに集中してて……」

 そっと視線をそらしたハンナの肩を慰めるようにポンポンとして、リンはスーザンを振り返った。心なしか……いや確実に疲れた顔をしている。説教を代わると申し出ると、安堵された。なんとなく彼女の肩もポンポンとしてしまった。それから気を取り直してベティとジャスティンを見る。

「反省は見て取れるから、罰だけ与えるね。今日は気が変わって一人で勉強したい気分だから、邪魔しないでほしい。被害を未然に防げなかった連帯責任で全員。アーニーにも伝えておいてくれると嬉しいな」

 すがるを通り越して責めるような目で見られたが、リンもどうしても譲れなかった。スイに相談ができなくなった以上、不可抗力だ。謝罪すると、ハンナたちは顔を見合わせたあと諦めたように黙り込む。非常に気まずい。超能力で勉強道具を寝室に転送して、リンは足早に歩き出した。

 寝室に繋がる通路に差しかかったとき、名前を呼ばれた。振り返るリンへとセドリックが駆け寄ってくる。思わず一歩後ずさってしまったが、気を取り直す。

「どうかしましたか」

「リンが彼らと……別れるのが見えて。具合でも悪いのかと心配になって、そうしたらエドガーたちが……つまり、何かあったのかい? 僕でよかったら話を聞くよ」

 眉を下げて見てくるセドリックに、どう返そうか迷う。彼の背後で「邪険にしたらセドリックが悲しむぞ」とカンペもどきを掲げているエドガーがいるぶん、よけいに悩ましい。数秒考えた末、思い切ってみることにして、リンは口を開いた。

「先ほど、友人から相談をされたのですが、うっかり関係のないことで批判してしまって……それで私が何も言えないあいだに、別の人の助言で話が落ち着いてしまって、モヤモヤしてる、という状態です」

「……そっか」

 セドリックが目を伏せた。しばらく考え込む素振りを見せたあと、リンと目を合わせてくる。励ますような笑みが向けられる。

「ずっと勉強で忙しくしてるし、少し攻撃的になってしまうことがあっても仕方がないよ。リンが本来思いやりのあるひとだっていうのは、たぶんその子も分かってるだろうから、そんなに気に病まなくても大丈夫だと思う」

「……ありがとうございます」

 リンが微笑み返すと、セドリックはなぜか困ったような笑みで「いや……」と言葉を濁す。瞬きをするリンからそっと視線を外してさまよわせる。

「……じゃあ、失礼しますね」

「えっ、ああ……うん」

 セドリックがリンを見て、あいまいな笑みでうなずく。リンは首をかしげつつも会釈をして、今度こそと寝室に向かった。幸いなことに、誰とも出くわさずに目的地にたどり着く。安堵の息をついて、ドアを閉める。

 ようやく一人になったのはいいものの、どう気持ちを整理すべきか。ぼんやり考えつつ、気もそぞろに転送した結果ベッドに散乱している教科書を手に取る。数冊まとめて机に置いたとき、ふと「交換ノート」が目に入った。

 そういえば、いつだったかジニーが「ビルはお悩み相談のプロフェッショナル」と言っていた。こんなくだらない相談を持ち掛けるのもどうかと思うが。しかし、これまたいつだったかアキヒトが「くだらない相談にどれだけ真摯に向き合ってくれるかで、相手が自分をどう思ってるのかが分かる」と言っていた。なら……いやもうぶっちゃけ面倒なので相談するだけしてみよう。リンは思考を放棄した。

 ノートを開いて、サラサラと文字を綴る。いつもよりかなり短文かつ "きちんとしていない" 内容になっている自覚はある。振り返らないことにして、書き終えると同時にノートを閉じた。羽根ペンを置いて、ベッドの上に残っている教科書を片づける。一息ついてベッドに腰かけたとき、鈴のような音がして驚く。返事がきたらしい。今日は仕事が休みなんだろうか。ドギマギしつつ、そっとノートを開く。

『批判したことよりも、リンの助言で解決させられなかったことに対してモヤモヤしてる風に思ったけど、合ってる?』

 リンの心臓が跳ねた。身体の血の気が引く感覚。やけに喉がヒリヒリして、唾を呑み込む。頭のなかで言葉をいくつも考えたが、どれもすぐ消えてしまう。唇を噛んで、そっと羽根ペンを手に取った。もう自棄だ。

『笑った彼を見て、解決しちゃったのかなって焦ったのは事実です。』

 何度もペン先を止めてためらいながら、そう書く。何と続けようかと迷っていると、余白に文字が浮かび上がった。吃驚のあまりペンを落としそうになった。……互いにノートを開いているあいだは、ノートを閉じなくとも文字が浮かび上がっていくらしい。よけいな機能だ。迂闊なことが書けない。羽根ペンをぎゅっと握って、現れた文字を読む。

『それが悪いことだって責めるつもりなんて毛頭ないよ。怖がらせたなら謝る。俺の言葉が足りなかった。俺にも覚えがあるから、もしかしてって思っただけなんだ。』

 リンが瞬きを繰り返すあいだも、文字がどんどん浮かび上がる。

『俺は長男だから、昔からよく弟たちの相談を受けてた。けどある日、俺じゃなくて隣にいたチャーリーが悩みを解決したときがあって、立派なチャーリーを誇らしく思った反面、モヤモヤもした。だって俺はいちばん頼れる兄でいたかったから。』

「……いちばん、頼れる」

『俺が思うに』

 ポツリとリンが呟いた直後、現れた文字が唐突に途切れた。リンが見つめていると、続きが現れる。

『リンは、心を許したひとたちから頼られるのが好きで、だからこそ、それに応えられないと不安になるんじゃないかな。もしかしたら、応えられない自分には』

 また文字が途切れた。かと思ったらすぐ、二行下に現れた。

『会いたい。』

 一拍ぶんの沈黙のあと、リンの口から「な」と「ん」が混ざったような変な音が出た。落としそうになった羽根ペンを握りしめる。

『文字じゃ上手く伝えられない気がする。リンの反応が見えないから、よけいに。今だって、俺の言葉を、あの感情を押し殺したような冷めた目で読んでるかもしれない。もっと悪ければ』

『いいえ』

 動揺して、ビルが書き終えてないのに文字を書いてしまった。ビルも驚いたのか何なのか、何も書かない。考えた末、リンは意を決した。

『ビルは的確だと驚嘆しながら読んでいました。言われてみれば、友人たちから相談や頼み事をされるのに嫌な気はしないし、』

 言葉に迷う。こういう言い方をしていいんだろうか。悶々としていたら、ビルが『うん』と書いてきた。リンは瞬きをした。数秒その一言を見つめたあと、恐る恐る書き始める。

『私じゃなきゃできないと思ってたんだと思います。だから今回、ハリーがジン兄さんに笑いかけたとき、モヤモヤしてしまった。傲慢で醜い嫉妬でした。』

『リンは自分に厳しすぎだ。』

 間髪入れずに言葉が返ってきた。

『俺はむしろ美しいと思うよ。だって、それだけハリーのことを大事に思ってるってことだろう? 自分がいちばん彼の力になってみせるって思うくらいに。正直ハリーが羨ましいよ。』

「………」

 果たしてそうなんだろうか。じわじわと熱くなる頬に触れながら考えるが、答えは出ない。そうだといいなぁとは思う。羽根ペンを握りしめる。

『ありがとうございます。だいぶ気が楽になりました。』

『俺こそ、初めてリンに頼られて嬉しい。ありがとう。』

 思わず手が止まる。いやべつに頼ったわけでは。考えていたら『もしかして赤くなってる?』と綴られたので、『違います』と殴り書いてノートを閉じた。涼やかな音が鼓膜を刺激する。なんだかそれがビルの笑い声に聞こえて、リンはノートの上に突っ伏した。

5-42. 悩める少年少女
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