今期の時間割に関してハリーがいちばん驚いたのは、「闇の魔術に対する防衛術」が二クラス合同で行われることだ。まさかスリザリン生と一緒に「防衛術」の授業を受けることになるとは思っていなかったので、この事実を知ったときは盛大に驚いた。

「アキヒトさんは、いったいどんな授業をするのかしら」

 新学期初日の午後、「防衛術」の教室に入って着席したタイミングで、ハーマイオニーが言った。ハリーとロンが「さぁ」と肩をすくめたとき、ちょうどアキヒトが到着した。後ろに、なんと、アンブリッジを連れている。

「グリフィンドール生とスリザリン生の諸君、こんにちは」

 にっこり爽やかな笑顔を見て、パーバティとラベンダーが顔を寄せ合って小声ではしゃいだのが、ハリーの視界に入った。スリザリンの女子生徒も何人かそわそわしていたが、女子生徒のざわめきなど気にせず、アキヒトはスタスタと教壇へと進む。

「マダム・アンブリッジは、昨夜ダンブルドア校長からご紹介があったから、みんな知ってるだろう。俺の授業にはだいたい彼女の姿があると思ってくれ。魔法省は『闇の魔術に対する防衛術』の授業の査察を重要視しているからな」

 教壇から少し離れたところにある椅子に、アンブリッジが座る。彼女の目が自分を見ていることに気がついて、ハリーは不快感を覚えた。

「さて。君たちの期待を裏切って申し訳ないが、杖はしまってほしい。俺の授業では杖を使用する予定はない。代わりに羽根ペンと羊皮紙を出してくれ」

 大勢の生徒が暗い目を見交わした。これまで、杖をしまったあとの授業が楽しかったためしはない。生徒全員が用意を整えると、アキヒトはひょいと白紙の羊皮紙を手に取り、掲げてみせた。みんなの視線が羊皮紙に集まる。次の瞬間、羊皮紙が燃えた。

 何人かが悲鳴を上げた。アキヒトは苦笑して、ひらりと羊皮紙を翻してみせる。一瞬にして、火が消え、ゆっくりと羊皮紙はもとの状態に戻った。

「さて、俺はいま何をしたでしょう」

 アキヒトが笑みを浮かべて質問を投げかけた。みんなが目を丸くして、そわそわと視線を滑らせる。パーバティとラベンダーが顔を見合わせて「なにって、魔法よね?」「そうだと思うけど」などと囁き合う。アキヒトが二人へと目を向けた。

「正解だよ、ミス・パチル。ついでに、そのまま前に出てきてくれ」

 困惑した表情を浮かべながら、パーバティはせかせかとアキヒトのほうへと早足で向かった。ニコニコと笑顔のまま、アキヒトが羊皮紙をパーバティに渡す。

「君に課題をあげよう。さっき俺がやったことを、いまここでやってみてくれ」

「え? あっ! ごめんなさい先生、私、杖を持ってくるのを忘れて、」

「問題ないよ。杖は使用しないとさっき言っただろう?」

「え?」

 パーバティは呆然とアキヒトを見上げた。ほかの生徒も、みんな同じ表情でアキヒトを見る。杖もなしで、どうやって魔法を使えと言うのだろう? ハリーも内心で困惑した。あのマルフォイですら、ノットやザビニと目を見合わせている。そんな生徒の心情を分かっているはずのアキヒトは、しかし優雅に小首をかしげる。

「どうした? 何か問題でもあるか?」

「あの……はい。あります。杖がないと魔法は使えません」

「それはなぜだ?」

「えっ?」

「なぜ杖がないと魔法が使えない?」

 ハリーとロンは反射的にハーマイオニーを見た。むずかしい顔で考え込んでいる。ハーマイオニーが授業で質問に対してすぐに挙手しないなんて(二人が知る限りだが)はじめてだ。ハリーはそっとパーバティへと視線を戻す。パーバティは一生懸命に頭を回転させていた。

「だって……それは、魔法使いは一般的に、杖と呪文を用いて魔法を使うからです」

「だが、杖を持たない状況においても、魔法使いは魔力を行使することはできる。たとえば危機に瀕したときや、激しい感情の起伏が起こったとき、あるいは、杖を持っていなかった幼少期、無意識に魔力を行使したことはなかったかい?」

「……あります」

「では、なぜいま魔法が使えない?」

 クラス中の生徒が、お互いに目を見交わし合っていた。表情を見るに、だれも答えは分からないようだ。パーバティも完全に硬直してしまっている。彼女を数秒じっと見つめたあと、アキヒトは視線を滑らせた。みんながそっと視線を逸らす。アキヒトが吹き出した。

「悪い悪い。すこし意地悪をしすぎたな。ミス・パチル、着席してよろしい。がんばってくれたご褒美に五点あげよう」

 ポンと背中を押されて、パーバティは困惑しつつも席へと戻った。それを見届けて、アキヒトが口を開く。

「俺の授業は、君たちがどのように魔法を使っていくべきかについて、つらつら話していく。まあ分かりやすく言うと、君たちの魔法の質……威力などを上げることは可能かという話題だ。結論から述べると、可能だ。……みんな、そんなに一言一句聞き漏らすものかと意気込まなくても大丈夫だ。メモを取ってかまわないし、聞き逃した、理解できなかった箇所があれば、俺の話を遮って指摘してくれれば繰り返すから」

 無意識に前のめりになっている生徒を見て、アキヒトが苦笑した。途端、みんなが身じろぐ音、インク瓶のふたが開く音、羊皮紙が擦れる音などが教室に響く。マルフォイも、いつもより真剣な表情で羽根ペンを構えていた。

「あと、俺の授業では君たちに質問を投げかけることがあるが、挙手制じゃなくて指名制だから、当たったひとはちゃんと考えて答えようとしてくれな。正答は必須じゃないから、思いつきを自由に呟いてもらってかまわないし」

 ハリーの横で、ハーマイオニーがそわそわした。すこし離れたところにいるネビルも(おそらくハーマイオニーとちがう意味で)そわそわしている。スリザリン生も微妙に緊張した面持ちだった。

「まず聞きたいんだが、……そうだな、ミスター・ザビニ。魔法を行使するのに必要な要素は何だと思う?」

「……魔法使いであることじゃないのか?」

 すこしだけ眉を寄せながらの言葉に、アキヒトは「そうだな」とにっこり笑った。スリザリンに五点が与えられる。ロンがフンと鼻を鳴らした。

「そう、すなわち魔力だ。そもそも魔法というものは、魔力でもって『世界』に働きかけ、超常現象を引き起こす行為だ。魔法を使わない状態で触れている『世界』の様子を『自然』や『ふつう』という言葉で定義するとして、その『自然』であろうとする『世界』の意思を魔力でもって弱める行為が魔法である。と言えば分かりやすいかな」

 あまり分かりやすくはない。とハリーは思った。参考までにロンをうかがい見ると、ポカンと口を開けてアキヒトを見ていた。その隣のハーマイオニーは難なく理解できているようで、なるほどという調子でうなずいている。

「……先生! まったく分かりません!」

「さっそくの指摘をありがとう、ミスター・フィネガン。もうすこし噛み砕いて説明しよう」

 ピシッと威勢よく挙手したシェーマスがありがたいような、ムカつくような。ハリーはなんとも言えない気持ちだった。もしかしなくても、昨夜シェーマスから「気が狂ってる」と言われたからだろう。湧き上がってきそうになる良くない感情を押し込めて、ハリーはアキヒトへと意識を向け直した。
 
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