七月某日の夕食前、みんなで皿などを準備していたとき、ビルがフラー・デラクールを本部へと連れてきた。 「ジン、おいさしぶーりね!」 輝く笑顔を浮かべたフラーが、突然の客人に驚く面々を放置して、ジンへと駆け寄った。が、抱きつくことは叶わなかった……ジンがすばらしい反射神経で避けたからである。しかし、フラーは傷ついた様子もない。 「あいかーわらず、ジンはシャイでーすね」 「………」 呑気なフラーに対して、ジンの表情筋はいつも以上に死んでいた。まったくの無表情である。いったい何を考えているのか、リンにも判断がむずかしいほどだった。 「いつ見ても思うけどさ、すごいデコボコな二人組だよな」 「……デコボコって……ほかに言い方ないの」 おもしろおかしそうに笑ったフレッドに、リンが小声でツッコミを入れる。すかさずジョージが「じゃあ、ちぐはぐ」と返す。それもなんだかちがう気がするが、じゃあどんな言い方ならしっくりくるのかと考えてみれば、たしかに何も思い浮かばない。それならそれでいいかと、リンは思考を放棄した。 スイがひょいと尻尾を振ったとき、リンとフラーの目が合った。フラーの笑顔がまた輝いて、ふわっと空気を揺らして寄ってくる。スイはリンの肩からジニーの肩へと移動し、フラーがリンを抱きしめるのに巻き込まれるのを回避した。 「リンも、おいさしぶーりね!」 「はい、お久しぶり……」 言葉の途中で頬に柔らかい感触を覚え、リンは硬直した。そんなリンにかまわず、フラーは反対側の頬にもキスを落とす。シリウスが持っていたグラスにヒビが入り、ジンが持っていたフォークが曲がったのを、スイは目撃した。 「……デラクール、リンに不必要なスキンシップをしないでくれ」 「ジン、やきもちでーすか?」 「ちがう」 即座にワクワクした表情を浮かべたフラーの言葉を、ジンが容赦なくぶった切った。フラーはリンからいったん離れ、不満げな顔でジンを上目遣いで見つめる。なぜかロンがくらっとよろめき、ジニーとハーマイオニーに頭をひっぱかれた。その音で、厨房の硬直がとけた。ウィーズリー氏が直男を見やる。 「ビル、この子がミス・デラクールかね? 君がまえに話していた……」 「そうだよ、父さん」 うなずいたビルが簡単にフラーを紹介し、フラーがよろしくと笑顔を振りまき、ロンがもう一度ジニーにたたかれたのを合図に、夕食の準備が再開された。フラーがさっそくジンのそばへと寄って何やら話しかけるのを見ていると、だれかがリンの肩をトントンとたたいた。 「ただいま、リン」 「……? おかえりなさい、ビル……」 にっこり笑うビルに、リンは困惑しつつ挨拶を返す。彼からこんな挨拶をされたのは、『隠れ穴』にお邪魔していたときを除けば、今日がはじめてだ。なぜ唐突にこんな挨拶をしてきたのか、まったく分からない。リンが問うまえに、ビルがジンを指さした。 「あの子と会話するとき、ジンはいつもああなのかい?」 「……『ああ』とは……」 「いつも以上に無表情で距離を取りがち」 「……まぁ、そうですね」 リンがうなずくと、ビルは「なるほどな……」と一人ごちた。神妙な顔つきで、観察するようにジンとフラーを見つめる。何やら思うところがあるらしい。彼の思考が見当つかないリンは、いぶかしみつつ彼の横顔をうかがう。自分への話はもういいんだろうか……それなら、夕食の準備に加わりたい。 そろり、試すように片足を後ろに下げたとき、ビルが「なあ、リン」と話しかけてきた。リンは足を戻して「はい」と返事をした。ビルがちょっとかがむ。 「ひとが他人とのあいだにあらかじめ距離を置く理由は、大きく分けて二パターンあるけど、何か分かるかい?」 「……相手がきらいだから、ですか?」 「ひとつはそう。もうひとつは?」 リンはぱちくり瞬いた。距離を置く理由……ほかにあるだろうか。無言で思考を巡らせるリンを見下ろして、ビルはクスクス笑った。分からないかぁと楽しそうに呟いて、ポンとリンの頭に手のひらを乗せてきた。 「……おぼれないように警戒してるからだよ」 「?」 きょとんとするリンに、ビルはちょいと首をかしげた。さらり、彼のきれいな髪が流れ落ちる。 「情が深い人間に多いパターンだけど、いったん懐に入れてしまったら離せなくなるから、不用意に懐に入れないよう、無意識に距離を置くんだ」 「……ジン兄さんは情の深い人間ってことですか?」 「俺にはそう見えるな。たとえば、リンにすごく甘いし、過保護だ」 「………」 思い当たる節がいくつかあって、リンは内心で納得した。そうか、ジンは情の深い人間だったのか……。数秒ジンを見やって、リンは再びビルを見上げた。 「それじゃあ、ジン兄さんがフラーに距離を置くのは、おぼれないためなんですか?」 「さあ、そこは断言できないけど」 ぱちぱち、リンは目を瞬かせた。……あれ? と疑問符を浮かべてビルを見つめる。ビルはニッと口角を上げた。 「リンはどっちだと思う? 単純に苦手なのか、おぼれないようにか」 「……え、っと……」 まさかそう切り返されるとは思わなかった。リンは困惑して、ジンとフラーのほうを見てみた。きれいな笑みを浮かべて手を伸ばすフラーと、それを避けるジン。彼の顔は無表情だ。……まったく読めない。 「……判断がつかないです」 素直に言うと、ビルはクスクス笑った。 「だろう? だから、俺の考えも単なる憶測だよ。……二つめのパターンだったらいいなぁって思ってるだけだ。そっちのほうがおもしろいし」 「………」 さすがウィーズリー家の長兄だと、リンは思った。ちょうどそこで、ロンが二人も手伝うようにと声をかけてきたので、リンたちは会話をやめて、それぞれ準備に加わった。 5-3. 距離について |