これまで屋敷内の掃除をしてきたクリーチャーは、現在やる気がないらしい。ルーピン曰く「シリウスへのちょっとした反抗心」とのことだ。……というわけで、リンは最近、ウィーズリーの子どもたちとハーマイオニーと手分けして屋敷の掃除を分担するのが日課となっている。

 今日はシリウスと二人で玄関ホールの床磨きだ。ほかのメンバーも、それぞれ二人一組で上階の廊下を担当している。明らかに掃除中にはしないはずの音がしばしば聞こえてくるが、まあ双子かジニーの仕業だろう。いちいち気に留めないことにしている。

 雑巾を絞りながら、リンは玄関ホールの壁を見上げた。何も掛かっていない。訂正。なにかが掛けてあった痕跡はあるのだが、そのなにかは現在なくなっている。シリウスに質問してみると、不快に思ったナツメが撤去してしまったという答えが返ってきた。撤去されたのは主に肖像画と写真と屋敷しもべ妖精の首らしい。

「あいつ、親愛なる我が母上の肖像画まで撤去してくれてな。実にありがたい。『永久粘着呪文』のせいで俺たちには取り外せなかったからな……」

「シリウスのお母さん? どんなひと?」

 ちょっと弾んだ声で話していたシリウスだったが、リンが素朴な疑問を口にした途端、無言になった。床に雑巾がけをしていたリンは、突然の沈黙を不思議に思って顔を上げる。シリウスは何やら考え込んでいる顔をしていた。

「………リンは知らなくていい」

「……わかった」

 不快感と嫌悪感に満ちた声で呟いたシリウスに何も言えず、リンはうなずいた。シリウスは家族とソリが悪かったらしい(ルーピン談)し、深入りしないでおこう。珍しく空気を読むリンであった。

 黙々と掃除をしていると、不意にドアが開く音がした。方向からして、地下へと続く扉だ。視線を向けると、ウィーズリー夫人が歩いてくる。どうやら昼食の時間らしい。掃除道具を持って、リンは立ち上がった。



 今日は昼食メンバーにトンクスがいるらしい。「よっ」と挨拶され、こんにちはと返しつつ、リンは首をかしげた。夕食ならよく見かけるが、昼にいるのは珍しい。スイとジニーとハーマイオニーが喜んでいるので、かまわないが。

「リン、隣いいか」

 適当な席に腰を下ろしたリンに、ジンが声をかけた。リンがうなずこうとしたとき、二本の腕がニュッと現れ、ジンの肩にそれぞれ肘を乗せた。

「おいおい、そりゃないだろ、ジン」

「さっき俺たちと一緒に食べるって約束したってのに、ひどいぜ」

「貴様らと約束を交わした覚えはない」

 ジンが無表情のまま、しかし声音で不機嫌さを表して、双子の腕をはたき落とした。しかし双子もめげない。「えー?」ととぼけながら、今度はがっちりと肩を組んだ。

「だって俺たちジンに言ったよな、ジョージ」

「ああ、言ったな、フレッド。『俺たちのあいだに座れよ、一緒に食おうぜ』って」

「誘いの言葉をかけたんだから、つまり約束したよな」

「そうだな」

「どうしてそうなる。約束というのは、双方の合意があってはじめて成立するものだ。俺は合意を示していない。よって、」

「ゴチャゴチャ言ってないで食おうぜ」

「飯が冷めちまうしな」

「ひとの話を聞け、貴様ら!」

 双子が強引にジンを席に座らせ、その両サイドを固めた。声を荒げるジンをジョージが「はいはい」と受け流し、フレッドは「これ食えよ、うまいぜ」といきなりチキンをジンの口に突っ込んだ。当然ジンはむせる。懸命に飲み込んでから怒鳴るジンに、フレッドがケラケラ笑い、ジョージがそっとジンに水を差し出した。

 一歩まちがえたらイジメだなと、スイは感想を抱いた。おそらく純粋に、排他的で寡黙ゆえに孤立しやすいジンを見かねて構っているのだろうが、かなり方向性に問題がある。見ているぶんには楽しいが。

 ひょんひょんと揺れるスイの尻尾を手で止めつつ(衛生的によろしくない)、リンは「ほどほどにね」と双子に声をかけた。フレッドとジョージが「合点承知」と親指を立てる。フレッドのほうの指を、ジンが曲げてはいけない方向に曲げた。

「いだだだだ!」

「リン、もっときちんと咎めてくれ」

 フレッドの悲鳴を無視して、ジンが神妙な顔でリンを見る。パイを頬張っていたリンは瞬きをして、パイを咀嚼して飲み込み、首をかしげた。

「悪意はないし、ジン兄さんもいつもより人間らしいし、厳しく咎める必要はないかと思って。ポンポン言い合える友人って貴重ですよ、ジン兄さん」

「………」

「……なんか、リンにそういう話をされると変な気分になるな」

 リンの正面で食事をしていたロンが複雑そうな顔で言った。みんなの気持ちを代弁した言葉だと、スイは思った。ジンは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたが、何も言わず、フォークへと手を伸ばした。……ジニーの発言により、すぐ手を止めるハメになったが。

「ね、トンクス、ジンの顔になって、満面の笑顔を浮かべてみせて」

「いいよー」

「よくない!」

 とっさに大声を出したジンに、食卓が一瞬シーンとなった。べつの話題で盛り上がっていた大人たちも、何事かと視線を向けてくる。ジンが我に返って着席してから一拍置いて、双子が爆笑した。

「やべー超必死! 見てえ! ジンの満面の笑顔!」

「ナイスリクエストだジニー!」

「でしょ? みんな見たいでしょ? ね、お願い、トンクス」

「やめてください、ミス・トンクス」

「んー……じゃあ多数決で!」

「待ってください。現時点ですでに明らかに俺が不利なんですが」

 いつもの冷静さがだいぶ剥がれて切迫した声を出すジンを見て、リンは助け舟を出そうかと判断した。だが口を開くまえに「止めたほうがいいかしら……」「でも僕も見てみたいよ、正直。君もだろ?」「私……そりゃ少しは……」と小声で話しているロンとハーマイオニーを見て、少し迷ってしまった。

 最終的に「トンクスに頼らず本人の笑顔を見られるよう努力すべきじゃないかね」というウィーズリー氏の言葉により、トンクスがジンに姿を変えることは免れた。しかし双子とジニーがいやにワクワクした顔をし始めたので、ジンにとってはさらなる災難となるようだ。
 
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