グリモールド・プレイス十二番地。古びて傷んだ扉と擦り減った石段の前で、リン・ヨシノはぱちくりと瞬いた。そんな彼女の横を通り過ぎたルーピンが、杖で扉を一回たたく。カチッカチッと大きな金属音が何度か。そして、カチャカチャと鎖のような音。それから、ギーっと音を立てて、扉が開いた。

 入るよう促されて、リンはそろそろと敷居をまたぐ。肩の上のスイが緊張している気配を感じながら、オレンジ色の旧式ガスランプに照らされた玄関ホールに足を踏み入れた。

 内装は、意外にもきちんとしていた。てっきり廃屋のような状態だと思っていたが、手入れはされているらしい。蛇の形をしているシャンデリアをしげしげ眺めていると、どこかの扉が開く音がした。

 ホールのいちばん奥の扉からシリウスが現れた。リンたちの姿を認めて「……ああ、来たか」と呟く。それから大股でこちらへと歩いてきて、リンの前で足を止める。一拍置いて、シリウスは複雑な感情の入りまじった笑みを浮かべた。

「ブラック家へようこそ、リン」



 立ち話もなんだしと通された厨房で、リンは固まった。あまりにも衝撃的な光景に出くわしたためだ……ナツメがダンブルドアを殴り飛ばすという現場だ。脳の情報処理が追いつかない。スイもバランスを崩して落ちかけ、ルーピンに回収された。

「……シリウス」

「不可抗力だ。俺だってまさかこんなことが起こるなんて思ってなかった」

 背後でルーピンとシリウスが交わす言葉が耳に入ってきて、ようやくリンは我に返った。慌ててダンブルドアへと駆け寄るが、手で制されて止まる。座り込んだダンブルドアの腫れつつある頬を心配そうに見るリンの視線の先で、ダンブルドアがナツメを静かに見上げた。

「交渉は成立したかの?」

「……提示した条件を反故にしない限りはな」

「もちろんじゃ」

 これでもかと眉間に皺を刻むナツメとは対照的に、ダンブルドアはにっこりとした。飄々と「ご協力感謝いたしますぞ」と言い、ひょいと立ち上り、シリウスを見る。

「ミス・ヨシノとの話もまとまったことじゃし、さっそく今日から準備に取りかかるつもりじゃ。よいかの?」

「ええ、もちろん」

 ありがとうと礼を言って、ダンブルドアはリンを見た。

「元気そうじゃな、リン。これからにぎやかになるじゃろうが、我慢してもらえると助かるのぅ」

「? はい」

「詳しい話はシリウスとルーピンから聞けるはずじゃ」

 それだけ言って会釈して、ダンブルドアは厨房から出ていった。いったい何なんだ……。リンの肩へと戻ったスイが呟く。リンはさぁと返しながら視線を滑らせた。しかしナツメは厨房から姿を消していた。

「……母さんはどうしてここにいたの? ここはシリウスの家なんでしょう?」

 シリウスに問うと、微妙な沈黙が降りた。ぱちぱち瞬くリンの肩の上で、スイがゆらゆらと尻尾を揺らす。シリウスは「あー……」と歯切れ悪く口を開いた。

「そう、俺の家だ。ということはつまり、ナツメが出入りする権利がなくもないわけだ」

 きょとんとするリンの背後で、突然パチンと音がした。振り返って瞬く。屋敷しもべ妖精が一人いた。シリウスが「呼んでないぞ、クリーチャー」と不機嫌な声を出す。

「なにをしにきた」

「クリーチャーめはお茶を淹れに参りました。ナツメ様がお茶をご所望です」

「母さんが?」

 リンが思わず口をはさんだ途端、シリウスへと深々と頭を下げていた屋敷しもべ妖精が勢いよく顔を上げた。血走った灰色の目と目が合って、リンは瞬いた。

「……こんにちは、はじめまして。リン・ヨシノです。あなたの名前は?」

 とりあえず挨拶だろうと思っての行動に対して、スイがずり落ちかけた。今日も今日とて絶賛ズレてる子だな君は! 内心で叫ぶが、だれにも聞こえないのであった。じれったい。スイは歯噛みした。

 そんなスイが見守る先で、屋敷しもべ妖精は「クリーチャーでございます」と頭を下げた。

「成長したリンお嬢様にお目にかかれることを、クリーチャーめは待ち望んでおりました。本日お会いすることが叶い、クリーチャーめは光栄でございます」

「……どこかで会ったことあるかな」

「リンお嬢様が赤子のときに。ナツメ様がレギュラス様にお会いになる際には、恐れ多くもクリーチャーめがリンお嬢様のお世話をさせていただいておりました」

「え、あ、はい。なるほど……お世話になりました」

 吃驚と動揺。いまのリンの心情を言い表すとこの二つである。すごく気まずい事実を知ってしまった。返す言葉はこれで合っているのだろうか。無表情下でそわそわしつつ、リンはべつの疑問を口にした。

「レギュラスさんってどなたなのか聞いてもいい?」

「ブラック家の末の御子息……リンお嬢様の叔父君でございます」

「クリーチャー。挨拶としては充分だろう。さっさと去れ」

 不意にシリウスがイライラした声で遮った。クリーチャーは「かしこまりました、ご主人様」と頭を下げる。しかし目は反抗的だった。恨みがましい目でシリウスを見ながら、パチンと姿くらましをした。……お茶を淹れにきたんじゃなかったのか。いいのか。リンは内心でツッコミを入れたが、諦めた。なんとかするだろう、たぶん。

「……ナツメのやつ……主はだれだと思ってやがる」

「彼女がそんなことを気にするひとだと思ってるなら、君がまちがってるよ」

 しかめ面のシリウスの肩を、ルーピンがポンとたたいた。

「それよりこの屋敷についての説明を、まだリンにしていないよ」

「ああ、そうだったな」

 ふと我に返った風情で、シリウスがリンへと視線を合わせた。

「リン、夏休みの残りだが、この屋敷で生活してほしい」

「……うん、分かった」

「くつろいで過ごしてほしい……と言いたいところだが、いろいろと手伝ってもらうと思う。掃除とか、料理とか」

「分かった」

「あと、たぶんウィーズリー家が夏休み明けまで泊まりに来る予定だ。ハーマイオニーも。それ以外にも人の出入りが激しくてうるさくなるが、我慢してくれ」

「そんなにうるさい?」

「相当な。ダンブルドアはトンクスやマンダンガスも団員にするつもりらしいし……」

「団員?」

 首をかしげるリンを見て、それまで黙っていたルーピンが苦笑まじりに口を開いた。

「この屋敷は、不死鳥の騎士団の本部……つまり、ヴォルデモート対抗勢力の拠点になるんだ」

 
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