飛行訓練

「リンは、箒に乗ったことある?」

 そう尋ねてきた金髪の少女に、リン・ヨシノは、簡潔に返した。

「いや、ないよ」

 不意の沈黙が訪れた。みんな「あり得ない」と言いたげな顔をしていた。質問をしてきたハンナ・アボットも、スーザン・ボーンズ、ベティ・アイビス、アーニー・マクミランも、会話を打ち切って、呆然とリンを見つめる。

 ただ一人、ジャスティン・フィンチ-フレッチリーだけは目を輝かせた。

「それじゃあ、リン、僕たち同じ境遇にあるわけですね!」

「うん? ああ……そうなるね」

「初心者同士、一緒に頑張りましょう!」

「うん……まあ、ほどほどに」

 意外な共通点を見つけたからか、ジャスティンの声は弾んでいた。嬉しそうに頬を緩める彼に、リンがとりあえず頷いたとき、バァン!! と誰かがテーブルを叩いた ――― ベティだ。

「魔法族出身のくせに、なんで箒に乗ったことないのよ ――― っ??!」

 ベティの絶叫が、大広間中に響いた。

「うるさいよ、ベティ。今は食事中だよ? 特に朝食は静かに食べるものでしょう」

「誰のせいで叫ぶ羽目になったと思ってんのよ!」

「誰のせいでもないでしょう、君が勝手に叫んだのだから」

 さらりと返して、リンは紅茶を口に含んだ。それにますますベティが激昂するのだが、そこはスーザンとアーニーが抑えた。ハンナは相変わらずハラハラと見ているだけだし、ジャスティンは、むしろ咎めるような目でベティを見た。

「リンの言う通りです。うるさいですよ、ベティ。公衆の面前で……はしたない」

「黙れこのカール頭」

「君こそ黙ってくれないか、この外跳ねボサボサ頭。女子としてその髪はやばいよ」

 失笑してベティを見下ろしながら(単なる身長差)毒を吐く、リン・ヨシノを尊敬(崇拝?)してやまないジャスティン・フィンチ-フレッチリー。愛しのリンがバターへと手を伸ばしたところで ――― つまり彼女の意識が逸れた隙に腹黒さを垣間見せる辺り、さすがである。

 キレ気味のベティを抑えているスーザンとアーニーは、そう思った。が、すぐにハッと我に返る。そんな感心している場合ではない。

「ええと、そう、リン? 今まで箒に乗ったことがないって、本当?」

「どうして乗らなかったんだい?」

 険悪な雰囲気を変えようと、二人がリンを振り返って聞いた。バターをトーストに塗っていたリンは手を止め、首を傾げた。

「理由も何も……そもそも箒なんて、乗らなくても生きていけるでしょう?」

 ……なるほど。つい納得する三人(ハンナを含めて)である。必要不可欠でないことは、わざわざしようとは思わない。確かにリンはそういう性格の持ち主だ。

 三人(と、「さすがリン、言うこと一つ一つに重みがありますね」とわけの分からない称賛をするジャスティン)とは反対に、ベティは納得がいかないようだった。

「移動手段として大切でしょーが」

「うち箒では移動しないからね」

 そう言ったあと、リンはバターを塗り終わったトーストを頬張った。

 日本には、箒で空を飛ぶという概念はあまりない。移動手段としては、もっぱら式(または式神)を使う。ヨシノの本家には、一応、何本か箒があるらしいが、リンの家には、ナツメが箒での飛行を好まないため、箒は一本もない。単なる掃除用の箒ならあるのだが、当然それでは飛べない。

「それより早く食べたら? もう一限まで時間ないよ」

 もう八時半だとリンが告げると、みんな急いで食事を再開した。


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