フランクは振り返った。途端、彼は恐怖の金縛りに遭った。

 暗い廊下を、ズルズルと、何かがフランクの方へと這ってくる。ドアの隙間から細長く漏れる暖炉の灯りでその正体が明らかになり、フランクは震え上がった。

 優に四メートルはある巨大なヘビだ。フランクを締め殺すことも、一呑みすることも、造作はないだろう。

 クネクネと近づいてくるその姿を、フランクはただ見つめた。あまりの恐怖に身動きすらできない。二人の男が良からぬことを企てている部屋に逃げ込むか、じっとして、このままヘビに殺されるか ――― 決めかねているうちに、ヘビは傍までやってきた。

 そして信じられないことに、奇跡的に、そのままフランクを通り過ぎていった。ドアの向こうの冷たい声の主が出す、シュー、シュー、シャーッ、シャーッという音を辿り、菱形模様の尾がドアの隙間から中へと消えていった。

 フランクの額には汗が吹き出し、杖を握った手が震えていた。部屋の中では冷たい声がシューシュー言い続けている……フランクは、ふと、あり得ない考えに囚われた……この男は、ヘビと話ができるのではないか?

 何事が起こっているのか、フランクには分からなかった。ただ、湯たんぽを抱えてベッドに戻りたいと、ひたすらそれだけを願った。しかし、自分の足が床に根を張ったように動こうとしないのが問題だった。

 震えながらその場に突っ立ち、なんとか自分を取り戻そうとしていたとき、冷たい声が急に普通の言葉に変わった。

メイガ、ナギニがおもしろい報せを持ってきたぞ

「それは、それは……我が主、なんでございましょう?」

ナギニが言うには、この部屋のすぐ外に、老いぼれマグルが一人立っていて、我々の話を全部聞いているそうだ

「そのようなこと ――― 」

 メイガが笑った。それから身を隠す間もなかった。音もなく部屋のドアがパッと開き、フランクの目の前に、一人の男が冷たい微笑みを浮かべて立っていた。

「 ――― とうの昔から、気がついております」

 冷ややかでまったく温度の感じられない目を前に、フランクはヒュッと息を呑んだ。自分よりずっと年下の男に、得体の知れない恐怖を覚えたのだ。

「我が主、不躾な客人ですが、一応は客人。中に入れましょうか?」

おう、そうだな、メイガ、お招きするがよい

 メイガが部屋に入れとフランクに合図した。ショックを受けてはいたが、フランクは杖をしっかりと握り締め直し、足を引きずって敷居を跨いだ。

盗み聞きを許すとは、メイガよ、悪趣味だな?

「老いたマグル如き、すぐに始末できるかと思いまして。取るに足らないものに注意を払う必要が、我が主、果たしてありますか?」

脅威がない小物でも、うるさい蝿はできるだけ早く抹消したいものなのだ

「左様でございますか。では、次からはそのように」

 部屋の異様な雰囲気には似合わない気軽な会話がやり取りされる。冷たい声は暖炉の前の古めかしい肘掛け椅子から聞こえていた。しかし、声の主は見えなかった。男の後頭部さえ、椅子の背から現れていない。

 椅子のすぐ傍の暖炉マットの上では、とぐろを巻いてうずくまっているヘビが、鎌首をもたげてチロチロと舌を出していた。

マグルよ。すべて聞いたのだな?

「俺のことを、なんと言った?」

「口を慎め、マグル風情が ――― どなたに向かって口を利いているつもりだ?」

 食って掛かったフランクの首に、何か棒のようなものが突きつけられた。従者の男が無表情でフランクを見つめていた。その目にはなんの感情も浮かんでいない。

よい、メイガ、俺様が指示を出すまで、手を出すな……せっかくの客人だ。楽しませろ

「…………」

 メイガが武器を下ろした。本当に木の棒だった。フランクに向けて舌打ちをし、数歩、主人の方に下がり、フランクに触れた棒先を服の裾で拭い出す。フランクの頭にカッと血が上った。

「おまえ様よ、俺は今晩、警察の気を引くのに充分のことを聞かせてもらった。ああ、聞いたとも! それに、言っとくが、かみさんは俺がここに来たことを知ってるぞ。もし俺が戻らなかったら、」

おまえに妻はいない

 フランクが咄嗟に思いついた嘘を、冷たい声の主はどういうわけか見抜いた。

おまえがここにいることは、誰も知らぬ。ここに来ることを、おまえは誰にも言っていない。ヴォルデモート卿に嘘をつくな。マグルよ、俺様にはすべてがお見通しなのだ……

「へえ? 『卿』だって? はて、卿にしちゃ礼儀をわきまえていなさらん。こっちを向いて、一人前の男らしく俺と向き合ったらどうだ。できないのか?」

「貴様……!」

よい、メイガ、待つのだ

 ぶっきらぼうにフランクが言うと、メイガが激昂した。だが、主人の声に大人しくなる。とはいえ、フランクに据えられた眼光はフランクを射殺さんばかりであった。

さて、マグルよ。俺様は人ではない

 冷たい声は落ち着き払って言った。従者とは対照的に、フランクの挑発に乗ることもなく、冷静そのものだった。

人よりずっと上の存在なのだ。しかし……よかろう。おまえと向き合ってやろう……メイガ、この椅子を回せ

「仰せのままに。我が主」

 メイガが柔らかく微笑んだ。そしてフランクを侮蔑的な目で一瞥する。涼しげな表情のメイガが棒を一振りすると、椅子がひとりでに回転し、フランクの方に向けられた。

 そこに座っている“もの”を見て、フランクは杖を床に落とした。フランクは口を開け、叫び声を上げた。あまりに大声で叫んだので、自分の声のほかは何も聞こえなかった。椅子に座っている何者かが、杖を振り上げ、何か言ったことも。その何者かにつき従う者が上げた、妙に高い、興奮した笑い声も。

 緑色の閃光が走り、音が迸った。フランク・ブライスはその場に崩れ落ちる。床に倒れる前に、フランクは事切れていた。



 そこから三〇〇キロ離れたところで、一人の少年、ハリー・ポッターが、ハッと目を覚ました。

4-1. リドルの館
- 147 -

[*back] | [go#]