十一月二十四日。今日は「三大魔法学校対抗試合」第一の課題が行われるらしい。大勢の生徒が浮足立ち、昼食を手早く済ませて、競技場へと向かっていた。

 そんな中、エドワードは一人ゆったりと食事を取っていた。通りすがりのドラコ・マルフォイが「そんなにトロいと、アクア、ポッターの無様な試合を見るのにいい席がなくなってしまうよ」と余計な声をかけてきたので、エドワードは冷ややかに笑ってやった。

「悪いな、マルフォイ。あいにくと俺は、そんな低俗な目的のために君ほど必死にはなれないんだ」

 何人か、エドワードを気に入っているらしい女子生徒たちが、エドワードの言葉に合わせて笑った。ドラコの頬が一瞬で深く染まる。向けられる邪悪な目つきを無視して、エドワードはコーヒーのカップを口につけた。

「……むやみやたらと刺激しないほうが身のためだぞ」

「機嫌の悪い俺に余計なことを言うからさ。それに試合が終われば、いつも通り見事に課題をクリアしてみせたポッターに矛先が向くだろうから、心配ないな」

 ドラコが憤然と去ったあと、エドワードの向かいからセオドールが忠告してきたが、エドワードは聞く耳持たずで口角を吊り上げた。

 あまり見られない笑顔に、周りの女子生徒たちが色めき立つ。しかし、その笑顔が不機嫌時の表情だと知っているセオドールは、人知れず嘆息した。最近あまり遊泳ができていないため、いまのエドワードはストレスが溜まっているのだ。

 やがて教員たちが、まだ残っている試合観戦希望者たちを競技場へと追い立て始めた。エドワードはその波に乗って移動し、校庭の途中でセオドールと別れ、単独で湖へと向かった。



「……どうして君がここにいる」

 湖畔に仁王立ちして、エドワードは眉間に皺を寄せた。視線の先では、ルーナが岸辺に座り、素足を水につけ、相変わらずの水音を立てていた。機嫌よく鼻歌まで歌っている。

「試合を見に行かないのか」

「ここにあんたが来る気がしたんだ」

 ルーナは鼻歌をやめ、イマイチ噛み合っていない返答を寄こした。エドワードを見上げる顔は、にっこりと笑っている。何がそんなに楽しいのか、エドワードには理解できない。

 対抗試合が行われる時間帯ならば、さすがのダームストラング生も全員いなくなり、のびのびと泳げると思ったのだが、まさかルーナ・ラブグッドがいるとは予想外だ。とんだ誤算である。だが、いまは、他者への不快感より水への渇望のほうが勝っている。

 エドワードはルーナの存在は無視することにして、鞄を置き、靴と靴下を脱ぎ、ついでにネクタイも外して放り、湖に入った。すいすいと歩いていき、水位が腰まできたところで、耳栓をし、口元に「泡頭呪文」をかけ、水の中へと飛び込んだ。

 全身で感じる冷たさが懐かしい。身体もとても軽く感じた。水を蹴り、ぐんぐんと前に進み、深く潜っていく。いつも訪れている水草の森が、紺碧の闇から姿を現した。

 ぎりぎり水草に触れるか触れないかのところを泳ぎ抜け、小さな魚の群れの横を通り過ぎる。久しぶりに会ったと実感しているのか、懸命に追ってくる魚たちに笑みを漏らし、しばらく戯れる。

 満足した魚たちが散ったあと、水面を目指して浮上した。上がっていくにつれ、周りの水が明るくなっていく。陽の光がだんだんはっきりと感じられていく……。

 ついに、頭が境界を突き破った。冷たい空気が肌を刺し、泡〔あぶく〕が割れる。仰向けに水面に浮かび、エドワードは身体の力を抜き、ほうと息をついた。

 実に気持ちがいい。生き返った気分だ。身体の表面だけが濡れているのではなく、内部まで潤っているような感覚。満たされた心地。エドワードは頬を緩ませ、目を閉じた。

 水に身を任せて、ただ漂う。数分間それを楽しみ、それから少し潜って浮き上がり、背泳ぎをして、また漂う。おもむろに片手を上げれば、きらきらと陽の光を反射する雫が、顔へと落ちてきた。

 再び目を閉じようとしたとき、きらきらした水の粒が空へと舞い上がった。軽く目を見開いて、エドワードは一度身体を沈ませ、直立状態で浮いた。立ち泳ぎで方向転換すると、岸辺に足を上げて座ったルーナが、手のひらで水を掬って飛ばしていた。

「……俺に水をかけて、いったい何がしたいんだ?」

 降ってくる水を大人しく浴び、耳栓を外しながら、エドワードが聞いた。嫌がらせか、はたまた邪魔か……。怪訝な目を向けると、ルーナはぱっちり瞬きした。

「エドワードがもっと楽しくなるようにと思って」

「……つまり?」

「あんた、いつもは気だるげなんだけど、水の中にいるときは、とっても楽しそうだもン。なんていうのかな……あんたは、水があって初めて生きる感じがするんだ」

 のんびりした口調でルーナが言った。エドワードは目を瞠る。そんな風に表現されたのは初めてだ。……呆れたり皮肉ったりする調子でなら、似たようなセリフをもらったことはあるが。

 しかし、そういった調子はルーナの声には感じられず、思ったことを素直に口にしたような印象だった。その証拠に、エドワードの反応に興味を示さず、マイペースに話し続ける。

「自分の顔に雫を落としたとき、あんた、とっても気持ちよさそうだった。だからあたしも水を降らせたんだもン。あんたがもっといい顔を見せてくれるように」

 歌うように言葉を綴って、ルーナは再び手を湖に差し入れ、水を掬った。細くて白い手を伝って、雫が落ちる。手のひらから水がなくなる前にと、ルーナが掬い取った水を空へと飛ばす。きらきら、水の粒が光って、エドワードへと降り注ぐ。

「………」

 なんとも表現しがたい気持ちになって、エドワードは、水音と視線から逃れるように、耳栓をして水中へと潜った。静寂の世界が戻ってくる。それなのに、どことなく落ち着かない気分だ。あと、少し、息苦しい。……ああ、呼吸用の「泡頭呪文」をかけてないからか。

 ローブから杖を取り出して、素早く口元に泡〔あぶく〕を作る。新鮮な酸素を補給して、エドワードは息をついた。沈みながら、水面を見上げる。いまだに水が降っているのが分かった。

 その原因である少女を頭に思い浮かべて、エドワードは眉を寄せた。……たしかに、彼女は変人だ。どこかおかしい。

 だが ――― 彼女が落とした雫を、不覚にも一瞬きれいだと思ってしまった自分も、どこかおかしくなっているのかもしれない……。

 頭〔かぶり〕を振って思考を追い出し、エドワードは、雫の届かない湖底を目指して潜り込んでいった。


 雫

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