エドワード・アクアは、スリザリンに所属する四年生で、周囲から自然と遠巻きにされるような、少しばかり浮いた存在であった。

 厄介者ではない。むしろ、貴族出身であるため服装や所作は洗練されており、成績も良好。やや尊大な性格だが、相手の話を聞く冷静さも持っていて、ほかの生徒と大きなトラブルを起こすこともない。

 純血主義の差別者というわけでもない。純血だろうが気に入らない人間は気に入らないし、マグル出身者だろうと気に入れば気に入る、そんな考え方の人間だ。

 ただ、性格や言動が少し個性的なのだ。この世に存在する物質のうち、なにより“水”を愛しており、趣味は水浴びや遊泳。授業以外の時間に、ふと気が向くまま、大イカなどの水中生物が数多く棲息する湖へと、季節に関係なく着衣した状態でザパーンと飛び込む……。そんな「ちょっと変な人間」であった。

 そして、いま現在も進行形で遊泳の最中である。

「………」

 ぶくぶくと立つ泡を顔の皮膚で感じながら、少し深めに潜り、身体の向きを変えて水面を見上げる。ゆらゆら揺れる緑の水の向こうに、きらきらした陽の光を感じる。ふわーっと静かに浮いていく身体に力を入れ、水を蹴って、さらに下に潜る。

 もつれ合った黒い水草の森に手を伸ばし、ぬめぬめした表面を指で味わう。湖の中心の方へと泳いでいけば、小さな魚の群れが見えた。銀のダーツのようにキラッキラッと光っている。

 ぐんっと力を込めて前進し、魚たちとすれ違う。向きを変えて追ってくる魚たちに笑みをこぼし、戯れるように群れの真っただ中で一回転する。そのとき、なにかにローブと踝〔くるぶし〕を掴まれた。

 見下ろすと、水魔が数匹、水草の茂みから現れてくる。眉をひそめ、ローブのポケットから杖を取り出し、適当な呪文で追い払う。そのまま水面へと浮上した。

「……っは……」

 頭か水面を突き破ると同時に、口元につくっていた泡〔あぶく〕が割れる。エドワードは澄んだ空気を味わい、息をついた。立ち泳ぎしながら、顔に貼りつく髪を払う。

 空を見上げる。いま吸っている空気と同じくらい澄んだ、きれいな青だった。視線を空へと固定したまま、身体を横にして水面に浮かび、岸に向かって背泳ぎしていく。

 もうすぐで岸かと、身体に染みついている感覚から感じ取り、また立ち泳ぎに体勢を変えて進めば、やがて湖底に足がつく。水を跳ねさせて歩きながら耳栓を外したとき、パシャンという音がした。

 目にかかる髪を払い、エドワードは音源の方へと顔を向けた。一人の女子生徒が、エドワードからそれほど離れていない場所で湖に足を突っ込んでいた。パシャパシャ、片足を動かして水音を立てる。

 すぐに関心を失って視線を逸らし、エドワードは岸に上がった。黙々と泥汚れを落とし、濡れた衣服を呪文で乾かしていたが、パシャパシャという音がいつまでも続き、まったく止む気配がないため、ついに「おい」と女子生徒に声をかけた。

「何をやってるのか知らないが、うるさいぞ」

 女子生徒が顔を上げて、エドワードを見た。それまで濁り色のブロンドに隠されていた顔が現れる。二つの銀色の目がエドワードの姿を捉え、水音が止む。

「あれ、泳ぐのはやめちゃったの? あんなに楽しんでたのに?」

 女子生徒が首を傾げた。さらりと長い髪が揺れ、彼女の左耳に杖が挟んであるのがエドワードの目に入った。杖の保管位置についての感覚は人によってちがうものなので、まあ置いておく。しかし発言の内容はいただけない。エドワードは眉を寄せた。

「君、俺が泳ぐ様子を見ていたのか?」

「うん。とっても楽しそうだった。あたしまで水遊びしたくなっちゃったもン」

「二度と見ないでくれ。俺は、勝手に観察されることがきらいだ」

 ピシャリとエドワードが無表情に言った。そのまま荷物が置いてある場所へ向かい、足の汚れを清めてから靴下と靴を着用する。

 エドワードが身なりを整えていると、背後で砂の音がした。胡乱げに振り返れば、至近距離に大きな目が二つあった。瞠目して、エドワードは反射的に後ずさる。

「だめだよ。後ろ髪に水草がついてるから、取らなきゃ」

「けっこうだ。自分で取れる」

 目の前の少女が伸ばした手を払い、エドワードは杖を取り出し、自分の頭に向けて振った。空いている方の手に、ぬるりとした水草が飛び込んでくる。それを地面に落とし、エドワードは再び頭に向けて杖を振り、髪をきれいにした。

「あんた、エドワード・アクアだ。ちがう?」

 少女が唐突に言った。エドワードに手を払われても、まったく気にしていないらしい。気楽な調子でエドワードを見つめている。エドワードは「そうだ」とぶっきらぼうに言い、杖をしまった。

「どんな噂を聞いて見にきたのか知らないが、先ほども言った通り、俺は勝手に見物されるのはごめんだ。俺は見世物じゃない。たとえ俺が変人奇人だったとしても、」

「あたしは、あんたは変人じゃないと思うよ」

 少女がエドワードを遮った。瞬きをして、エドワードは彼女を見下ろした。大きな丸い銀色に、自分の姿がはっきりと映っている。

「あんたは自分がやりたいことをやってるだけだもン。それはほかのひとも同じだよ。内容がちがうだけで、みんな変わらないんだ……」

 予期せぬ言葉をもらい、エドワードは不意を食らった顔をした。自分が他人と変わらないなど、初めて言われた。反応に困る。その間に、少女がエドワードから視線を外した。

 彼女の視線を辿れば、岸辺に小鳥がいて水遊びをしていた。興味津々の眼差しを向け、少女は小鳥の方へと歩き出す。エドワードは咄嗟に「おい」と呼び止めてしまった。

 少女が身体ごと振り返る。不思議そうな目で見つめられ、エドワードはどことなく居心地の悪さを感じた。いまさらだが、この少女は瞬きの回数が常人よりはるかに少なく、そのためか目力が強い。

 しかしここで引くことはできない。エドワードも負けじと睨みつけた。

「去る前に名乗れ。君が俺の名前を知っているのに俺が君の名前を知らないのは癪だ」

 かなり不躾な言い方になったが、少女は気分を害した様子もなかった。むしろ、ぱっちりと瞬きをして、名前を聞かれたのがうれしいと言わんばかりに、にっこりした。

「ルーナ・ラブグッドだよ。よろしくね、エドワード」

 べつによろしくまではしたくないが。エドワードが言う前に、ルーナはくるりと身体の向きを戻し、スキップで岸辺へと歩いていった。小鳥が飛び立ったが気にせず、また裸足を水に突っ込んでパシャパシャと音を立てる。

 彼女が立てる波が水面を揺らす。水と泥土との境目に寄る細波を見ているうちに、エドワードは気が削がれ、息をついて踵を返した。


 細波に消える

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