ホグワーツ特急からキングズ・クロス駅に降り立ち、ハーマイオニーは息をついた。激動のホグワーツ三年目が、いまようやく終わろうとしていた。あとは家に帰り、新学期に備えて勉学に精を出すだけだ。

 ハリーとロンと一緒に九と四分の三番線のホームから柵を通り抜け、マグルの世界へと戻る。そこでウィーズリー夫妻と挨拶をし、友人たちに別れを告げ、父母と抱擁を交わす。

 さて帰ろうかと言われ、頷きかけたとき、ふと、人混みに紛れるようで浮き出ている人影が、ハーマイオニーの目に入った。のんびりと柱にもたれるように立ち、道行く生徒たちから挨拶をもらい、一言二言返している。間違いない、ディランだ。

 ハーマイオニーは少し逡巡して、少し待っていてくれと父母に頼み、荷物も彼らに託して、駆け出した。近寄ってくるハーマイオニーに気づいたディランは、口の端を吊り上げて、周りの生徒たちを軽くあしらう。そして、目の前までやってきたハーマイオニーを眺め、ちょいと首を傾げた。

「こんにちは、ハーミーちゃん。寄り道かな? パパとママと一緒にまっすぐおうちに帰らなくていいのかい?」

「べつに、私はただ、――― 私、もう十四歳よ。子どもじゃないわ」

「僕からしたら、君は子どもだ。君はまだ学生で、僕はもう社会人になるからね」

 ハーマイオニーは言葉に詰まった。彼がもう卒業生だという事実を、しっかりと理解していたはずの事実を、本人から突きつけられ、どうしてか戸惑った。

 まごつくハーマイオニーの前で、ディランは、ゆったりと視線を駅の構内に巡らせ、「こうして駅に立つのも、もう最後かな」と呟く。しばらくぼんやりしたあと、ディランは視線をハーマイオニーへと戻した。その口元が、笑みの形に歪む。

「君が礼儀正しい子で安心したよ、ハーミーちゃん。お世話になった先輩に最後の挨拶をしようとも思わない子だったら、どうしてやろうかと思ってた」

「あなたにお世話をしてもらった覚えはないわ」

「友達がいなくて寂しいってぐずぐず泣いてた一年生の君を、優しく慰めてあげたじゃないか」

「ぐ、ぐずぐず泣いてなんか、」

「泣くと言えば、ハーミーちゃん、今年も目を真っ赤にしてたね。授業とか裁判とか友情の亀裂とか、いろいろと立て込んでたって、ハグリッドから聞いたけど」

 ディランの口から出た人名に、ハーマイオニーはびっくりした。まさか、そんな情報を得るほどハグリッドと仲がいいとは知らなかった。しかし ――― 思い返してみれば、ハグリッドは、ハーマイオニーたち以外の力も借りているようだった。おそらく、その影の協力者がディランだったのだろう。

「……あの裁判も、結果は敗訴だったけど、処刑が執行され損なって、本当によかった……逃亡して、元気にやってるといいな」

 またぼんやりと虚空を眺めやって、ディランがひとりごちる。その顔が、いつもとちがって穏やかで優しく見えたため、ハーマイオニーはまた驚いた。彼がそんな表情を浮かべられるとは。

「君にね、ハーミーちゃん、一つ頼み事があるんだ」

 唐突に視線をハーマイオニーに向けて、ディランが出し抜けに言った。ハーマイオニーは肩を跳ねさせて、ドキドキしながら「な、なに?」と尋ねる。ディランは「むずかしいことじゃないよ」と口角を上げた。

「禁じられた森にね、今年、黒い野良犬が一匹住みついたんだ。熊に見えるほど大きな犬だけど、見た目ほど怖くないし、とても賢くて礼儀正しい。彼にね、僕の代わりに食料を配達してほしいんだけど、頼めるかな?」

「え、ええ……大丈夫よ」

 野良犬の正体に気づいたハーマイオニーは、それを表に出さないように気をつけながら、ぎこちなく承諾する。その犬がもう森にいないことは、伏せておこうと思った。

「ありがとう、ハーミーちゃん。君なら安心だ……ルーナは人目に疎いところがあるから、誰かに見つかってしまいそうで、心配で頼めなかったんだ」

 柔らかく目を細めるディランに、ハーマイオニーはドギマギした。こんな表情をする彼を、ハーマイオニーは知らない。もしかして誰かの変装だろうかと疑いたくなる。だが……彼は本物で、これが彼の素なのだと、ハーマイオニーはなんとなく感じ取った。

「さて、そろそろ君にお帰りいただく時間かな? ずいぶんと長く話したから、最後の挨拶としては充分だ。ほら、パパとママが心配して待ってるから、早くお帰りよ、ハーミーちゃん」

 見慣れたニヤニヤ笑いを浮かべて、ディランは、ひらひらと追い払うように手を振る。体重を両足にしっかりと乗せ、身体の軸をまっすぐに直す様子を見て、ハーマイオニーは咄嗟に彼の服の裾を掴んでしまった。

 ディランが目を見開く。ハーマイオニー自身も驚いたが、もう引き下がれない。ハーマイオニーは腹をくくって、まっすぐディランを見上げた。

「さ、最後だから、あなたを立てて、お礼を言ってあげるわ。い、いろいろと……あ、ありがとう、ディラン」

 精いっぱい虚勢を張って、どもりつつ、かつ最終的に睨みつけながらも、ハーマイオニーは言い切った。ほっと息をつくと、目の前のディランが口元にきれいな弧を描いた。直後、腕を引かれ、ハーマイオニーは小さくよろめいた。

 身体が支えられ、視界からディランの顔が消える。頬に柔らかいものが触れる感触がして、ついでに小さなリップ音が耳に届く。それからディランの顔が再び視界に入ってきて ――― いままで見たことのない、柔らかくてきれいな笑顔を、至近距離で見せられた。

「僕からもお礼を言うよ。君との時間は、けっこう楽しかった。ありがとう、そして、さようなら、ハーマイオニー」

 瞠目するハーマイオニーの腕を放して、ディランは離れた。楽しそうに「今度は目じゃなくて頬が真っ赤だね、ハーミーちゃん」と意地悪く囁いて、踵を返す。颯爽と去っていく彼の後ろ姿を、ハーマイオニーは、頬を深い色に染めて睨みつけたのだった。


 頬は薔薇色

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