「アズカバンから集団脱獄?」

 ある日、朝食の席で新聞を読んでいたアルバが、一面トップの記事を見て目を丸くした。その呟きを拾って、コリンが「え? なに?」と顔を向けてくる。アルバは新聞をテーブルの上に広げた。

「死喰い人が十人、アズカバンから脱獄したんだ」

「アズカバンって?」

「俺らの世界でいう刑務所だよ。つまり、魔法使いの監獄ってことさ」

 知らない単語に首を傾げるデニスに、アルバが説明をした。兄であるコリンは、口をあんぐりと開けて一面記事を見つめている。その目にははっきりと恐怖が浮かんでいた。

 対照的にデニスは、ことの重大さが分かっていない様子だった。おそらく魔法界についての基礎知識の不足が原因だろう。兄の横から新聞を覗き込んで、ある単語に目をとめ、また首を傾げる。

「ねえ、『死喰い人』ってなに?」

「それは、あれだ……『例のあの人』の部下たちだ」

 ぐっと声を潜めて、再びアルバが教えた。デニスは「例のあの人」とハリー・ポッターに関する一通りの情報だけは持っているため、今度はちゃんとした反応を示した。

「ハリーは、このこと知ってるのかな?」

 ようやく新聞から顔を上げたコリンが、テーブルを見渡した。彼の視線と反対方向に目を向けて、アルバが口を開く。

「いま知ったみたいだ。ロンとハーマイオニーと話してる」

「ねえ、いまって、すごく危ない状況なんじゃないの?」

 テーブルからアルバのほうへ身を乗り出したデニスが囁いた。びくびくした目が、新聞に載っている白黒写真十枚へと向けられている。アルバは手を伸ばして、新聞を取り、写真が見えないように折り畳んだ。

「危ない状況さ、もちろん。だから、俺たちみんな、これからDAにますます力を入れなきゃならないな ――― だめだ、二人とも黙って。この話はここで打ち切りだ。これ以上のことは、誰かに盗み聞きされるわけにはいかない。行こう」

 きゅっと唇を引き結んで、アルバは立ち上がった。新聞を鞄に突っ込んで、ローブを翻す。コリンとデニスが慌ててアルバのあとを追った。

「おーい、アルバ!」

 大広間を出て大理石の階段を上ったところで、アルバは背後から声をかけられた。振り向くと、ハッフルパフの五年生が四人、アルバたちのあとを追ってくる。全員DAのメンバーだ。なにかと頻繁にDAで関わるハンナのおかげで、だいぶ面識がある。

「やあ……アーニー、ジャスティン、ハンナ、スーザン」

 目の前で立ち止まった四人に、アルバが挨拶した。コリンとデニスは、あまり面識がないからか、頭を下げるだけの挨拶をした。アーニーたちも、それぞれ丁寧に挨拶をし、それから本題に入ってくる。

「今朝の新聞を読んだかい? アズカバンの集団脱獄について?」

「ああ、読んだよ」

「まったく恐ろしい状況だと思わないか? そうとも、とてつもなく危険な状態だ……我らがDA活動の重要性がより増してきている。なにしろアンブリッジは、このような事態に陥っているにも関わらず、依然として、」

「アーニー、少し声を落とした方がいいぞ」

 演説じみたアーニーの発言を遮って、アルバが視線を巡らせた。スリザリンの上級生のグループが、なにやら盛り上がった様子で近くを通りかかるところだった。アーニーたちの顔が青くなる。

 しかしスリザリン生たちは、アルバたちには目も向けず、騒がしく通り過ぎた。ハンナがホッと肩の力を抜くのが、アルバの視界に入った。

「……僕たち、ほんとにDAに力を入れるべきだよ」

 不意に、アルバの背後に隠れていたデニスが言った。スリザリン生のグループを、じっと睨みつけている。

「あいつら、いつも僕に呪いをかけて楽しむんだ……仕返ししてやりたい」

「こら、デニス、私怨の仕返しで呪いをかけるのはよくないぞ」

 正義のヒーローは、自分以外の誰かを守るために戦うものだ。デニスの頭に手を置いて言い聞かせつつ、アルバは微妙な笑みを顔に浮かべた。

「……まあ、呪いをかけられるのは仕方ないさ。俺たちはあいつらよりずっと年下で、おまけにマグル出身者だからな。あいつらにとっちゃ格好の餌食だ……」

「そんなこと、アルバたちが虐められる理由にはならないわ!」

 自嘲するように笑ったアルバの言葉に、ハンナが激昂した。その場にいる全員が目を丸くする。六人分の視線の先で、ハンナはアルバを見つめていた。

「年下でもマグル出身者でも、アルバは、あの人たちよりずっとよくできた人間だもの!」

「 ――― ……」

 まっすぐな目と向き合って、アルバは息を詰めた。ハンナがこんなにも強い光を目に宿したところを、アルバは初めて見た。ゆらゆら揺れている目なら、何度も見てきたが。

「……それ、は……ハンナ、俺のこと、買いかぶりすぎだ」

 困惑しながら、アルバはもごもごと言葉を発した。途切れ途切れの言葉を聞いたハンナは、瞬きをして首を傾げた。

「だって、アルバはいつも、私が失敗しても責めずに明るく笑い飛ばしてくれるし、私が落ち込んでるときには励ましてくれるわ」

 それは、トラブルに陥る度にハンナが泣きそうな顔をしているからだ。女の子の泣き顔はあまり見たくないと思っているため、必然的にそういった対応になる。それとなく伝えようとアルバが口を開く前に、ハンナがいつものようにニッコリと笑った。

「だから、アルバはとってもいい人なのよ」

 純真無垢とでもいうべきか。そんな笑みを前にして、アルバは何も言えなくなってしまった。よく分からない複雑な感情が、胸のなかに沸き起こる。むずがゆい。

 どうしよう、どう返答したらいいんだろう……。アルバは悶々と悩んだ。自分とハンナの周りでは、コリンやアーニーたちが居たたまれないように視線を合わせ身じろいでいる。彼らの姿を認識しつつも、アルバにはどうしようもなかった。助け舟を出してほしいのはアルバのほうだったのだから。


 君が笑うから

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