――夢をみた後は、現実と夢の境目があいまいだ。
目が覚めてもしばらくは、どちらが夢でどちらが現実なのか、はっきりしないことがある。
「アリス。…アリス。」
目が覚めたら、シャープペンシルが網膜に焼き付いた。
最近買ったものだ。
ちょっと先生たちには疑われたけれど、れっきとした、たばこの形をしたシャープペンシル。
ピンク色のドクロが描いてあって、キャップを後ろに付けるとノックできる。
意外と可愛いんだ。
のそりと起きあがると、窓から西日がさしていた。
まずい、だいぶ寝ちゃってたみたいだ。
「…あれ?」
ぱっと思い出して、私、外村葵は顔を左右に動かした。
確か、私はこの自習室にテスト勉強をしにきた。
誰と?
友達の京子と。
「…京子?
…先に帰っちゃったかな?」
そうひとりごちて、私はため息をつこうとしたけれど、その前に息が詰まった。
「京子はいない。」
気配からして、恐らく私一人しかいなかった。
京子は今ここにいなくて、私一人しか。
なのに、今、後ろから、
男の人の、声が。
ぴしりと固まった体を、私はどうにかして、ゆっくりと後ろへと向かせる。
首のあたりが妙にそわそわする。
振り向いた先に、灰色のフード。
膝よりちょっと高いあたりまでは、薄い暗いグレーのパーカー。だぼだぼしていなくて、すっきりとしたシルエットだ。それに、限りなく黒に近い、グレーのズボンをはいている。
体のラインとか声は、男の人っぽいけれど、口元しか見えないくらいに深く被られたフードのせいで、顔はよく見えない。
…どう考えても、おかしい。
今日は平日で、学生は制服を着て学校にいくんだ。
明らかに部外者が、私の目の前に立っている。
「…あのぅ…私、すみません、失礼しますね…
京子に…」
私は、小さい声で告げ、そそくさと教材をかき集めて、ぐしゃぐしゃに鞄につっこみ、扉へと小走りした。
あぁ、なんでだろう。
よしとけばいいのに、私は律儀にも、そろそろと振り返ってしまった。
「京子は、いないよ。」
間近に聞こえて、私は声を上げた。
「ち、ちち近い!なんなんですか!?」
ひとしきり声を出してみてから、私は近くにあるフードに向かって叫んだ。
なんなんだ、この人は。
足音すらしなかった。
「あ、あなたは誰?
なにか用ですか?」
「俺は…チェシャ猫。
そう呼ばれてる。
名前は綱吉。ツナでもなんでもいいよ。」
「…チェシャ、猫?
つ、綱吉さん?」
「うん。」
柔らかな声色で、チェシャ猫…もとい、綱吉さんは笑った。
いや、ずっと笑っている。にんまりと微笑んでいる。
チェシャ猫なんていうあだ名をつけられるなんて、なんでだろう。
っていうか、綱吉なんて随分と古風な名前だ。
「さぁ、白ウサギを追いかけよう。」
…。は?
「さぁ立って。」
「え、ちょ、ま、うさぎ?
何でウサギなんですか?探してるの?」
「俺は探してないけどね。
アリス。君が探すんだよ。」
「―――アリス?」
ぴったりと壁に背をつけて、私はチェシャ猫綱吉さんの事を見上げた。
相変わらずにんまりと笑っている。
目元が見えないと、どうにも表情がわかりづらい。
「そうだ、アリス。行こう?」
「…人違いですね!
だって、私、アリスなんて名前じゃないわ…。
外村葵っていう名前がちゃんとあるし…、
だから、その、私はアリスじゃないんで!!」
「…うん、だからさ、行くよ、アリス。」
「話聞いてなかったわね!!」
「…だからさ、俺がアリスを間違えるわけないんだ。…ほら。」
すっと手を差し出されたけれど、私は息をのんで、振り払った。
ばんっ!!と、扉をあけて、外に飛び出した。
そして、立ちすくんだ。
「…長………。」
リノリウムの廊下は、茜色の日をすい、ぼんやりと光る。
幾つかの教室の先には角があり、曲がって階段を下りることができるはずだった。でも、不可能だ。
これが、不可解な世界と、チェシャ猫綱吉と、キャラの濃い人達との、物語の始まりだった。
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