風が頬をかすめた。
冬の空の下でもなんとなく春に近いような気候が眠気をさそう。
庭の手入れをするランボの鼻歌も、剣術が風を切る閃きの音も、すべてが心地良く鼓膜をノックした。


「葵、甘酒なんか作ってみたんだけど、どう?」

「わぁ、めずらしい。もらうもらう。」


手渡された湯のみにふぅと息を吹きかけて、口に含む。
苦いようでほのかに甘い、独特のおいしさ。
お腹の底からぽかぽかしてくるのがわかる。


「平和だねぇ。」

「うん、ほんとに平和だよ。仕事もほとんど片付いてるしさ、てっ、」

「どうかした?」

「いや、」


穏やかな日差しの中で、ふいに鋭い声が聞こえる。
そっと目を彼のほうへ向けると、湯のみを片手に口元を押さえる姿。
眉を寄せていたが、目があうとへらりと笑われた。
きらきらと日の光にかがやく髪は透明にすけていた。
笑う口元には赤が光る。


「あら。」

「やっちゃった。」


あかい舌でぺろりと切れた唇、そしてぷくりと浮かび上がる血をなめた。
甘酒の入った湯のみを見てみるが、唇が切れてしまうようなざらつきはほとんどない。
ふぅとため息をついて眉を寄せると、彼は情けなく笑った。


「またやっちゃった、でしょ、もう。」

「冬はだめなんだよなぁ。あはは。」

「あははじゃないっての。」


あったかいもの飲んでて唇切れるって、普段からどれだけ乾燥してるんだか。
彼の唇が切れたのはこれが初めてじゃない。
とくに冬なんかはけっこう頻繁に切れる。
しかもその度にしょっぱいものとか食べる時はいちいち顔をしかめるものだから、見てるこっちが痛い。そして心配になる。
ちゃんと保湿しとけとは常々言っているし、最近では見かねたリボーンが無理矢理リップクリームを塗りたくってやるものだから、油断していた。


「血が止まってきたらちゃんとリップクリーム塗らないと。」

「え、あぁ、うん。忘れた。」

「…まったく。」


おかしいなぁ、ちゃんとリボーンが上着のポケットに押し込んでるはずなんだけど、なんて思ったけどだめね。
今日はあったかいから上着なんて脱いじゃってるし、たぶん執務室に置き忘れてる。
2度目のため息をつきながら湯のみをテーブルに置いて、ポケットをあさる。


「ほら、口閉じて。」

「えっ今?」

「文句言わない。」


彼がリップクリームが苦手なのは知っている。
っていうか主に、薬用のスースーするヤツが苦手なんだ。
しょうがないから今のところは香りのついたヤツ、彼でも少しは抵抗なくつけれるもの。
これを知ったらリボーンがまた甘やかすなってどやしてくるんだろうけど、んん、まぁいっか。
きゅぽっとふたを取って無理にでも塗ってやろうと彼に近づく。
ふと、彼の琥珀の瞳とかち合った。


「…目も閉じて。」

「はいはい。」


こころなしか面白そうな声で言うものだからなんとも言えない。
幼いころからの気心知れた仲であるとは言っても、だ。
すくすくと立派に成長してしまった彼と、いまさら真正面から瞳をかち合わせるだなんて、それはもうすっごく恥ずかしい。照れる。そう、照れるのだ。

頭を固定させるために頬に触れようとして、またなんだか気恥ずかしくなってしまう。
意識すると、だめなんだ、本当。
少し力強く、頬を張るような心持ちで押さえつけて集中。

乾燥して少しかたくなったような唇に、なじませるようにゆっくりとスティックをすべらせた。
傷口を刺激しすぎないように、とんとんと優しく触れさせると、だんだん水気を帯びたように、しっとりとしてくるのがわかった。
これで皮が剥けてたらこうはいかない。
以前同じように彼にリップクリームを塗りつけている時、ひどくて処置にかなり時間がかかったことを思い出した。
あれはもう、だめだ。もう二度とあんなふうにはさせない。
せっかくきれいな顔立ちで、唇の形だってうらやましいくらいなのに。もったいないったら。


「…レモンのにおいがする。」

「わかった?よかったね、薬用じゃなくて。」

「…すいませんね。」

「いいえ?」


ふわふわとしてきた唇がゆったりと動いて、心臓がとっても冷静に早鐘を打つのがわかった。
ごまかすための憎まれ口なんて、ほんと子供だなぁあたしは。

日の光にきらきらとかがやく唇は、うすく桜色に染まってとてもきれいだ。
うん、きれいだわ。今日もほんとうにすてき。


「…おわった?目、開けても?」

「うん、終わった。いいよ。」

「ありがと。」


レモンの香りが嬉しいのか、今日は素直にお礼の言葉が出てくる。
いつもなら塗った瞬間にいやそうな顔をして、しぶしぶお礼を言うのに。
うーん、保湿のためだけなら薬用じゃなくていいかも。
普段から好きな香りのヤツつけさせとけば問題になることもないし。
塗り終えたリップクリームにふたをしてポケットにしまいながらそんなことを考える。
頬をつかんでいた手のひらを離すと、あたたかい風がふわりと指の間を通った気がした。

にこりと笑って、彼があたしの手をつかんだのだ、そして、


「やー、いい香り。ほら。」

「ほら?、」



音を立てずに、レモンの香りが鼻孔をくすぐった。
やたらとふわふわしたそれが、甘酒でしっとりとしていたあたしの唇を、

(かすめたんだ、)



「ね?」

「!!」




うん。
レモンの香りはとっても甘くって、あたしがいつも使ってるのと同じものの香りとは到底思えなくて、くらくらする。
でもね、たぶん今すっごく真っ赤になっちゃってるあたしの顔、この熱はきっと甘酒のせいなの。ほら、あたしってあんまりお酒に強くないし。

(そうだ、そうに、きまってる。)






090122




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