名前


驚くべきことだった。
目の前の小さな魔道士は、この私を知っているという。三日月を描いた翠の眼が私をとらえ、嘘偽りのない真っ直ぐな眼差しから私は目をそらせないでいた。
この世界には不釣り合いな幼い娘だった。 あまりにも無垢すぎる。

さらに驚くべきことに、娘はこの私を「オジサマ」と呼んだ。
おじさま。
叔父様。
私のことを指すのであろうが、些か突飛すぎやしないか。無論、私は彼女を知らないのだ。多くの記憶を取り戻しつつあるはずだが、彼女に関することは何一つ思い出せないでいる。
二の句を告げないでいると、娘は何が面白いのか顔を綻ばせたまま、依然として双眸を輝かせていた。
「やっと会えたわ」と娘は言う。
「お前など知らぬ」と言うと、彼女は酷いと罵りながらあからさまに不機嫌な表情を見せた。

「叔父様なら、わかるとおもったのに」

そうは言っても知らぬものは知らぬ。そもそも私にはそう呼ばれる筋合いもないのだ。
娘は口を尖らせたまま歩を進め、少しずつ距離を縮めた。少し手を伸ばせばその細い首を鷲掴みにできる距離である。手を伸ばさずとも、魔法の射程距離に入っている。華奢な体躯は電流で一撃だろう。
そんなことを知ってか知らずか、気がつくと彼女は私の目の前に立っていた。後ろ手を組み、何でもないように小首を傾げている。
私の射程距離ということは、この魔道士にとっても攻撃可能だということなのだろう。私など敵ではないという挑発だろうか。であれば、ある意味恐ろしい自信である。過信と言うべきかもしれない。

「この私を、カオスにつく魔人ゴルベーザだと知ってなお近づくか」
「ふふっ、やだわ、叔父様もカオスだのコスモスだのなんてことにこだわっているの?」

恐れを知らない愚かな魔道士への忠告は、大した効果も得られないようである。

「コスモスの戦士にしては忠義が薄いようにみえるな」
「あたしは元の世界へ戻りたいだけだもの」

随分記憶が戻っているような口ぶりだが、その真意ははかりかねた。

「お父様はともかく、カインもあたしのこと知らないっていうのよ。薄情よね。知らないのは仕方ないけど、気づくべきだもの。利口そうな顔して、ばかなんだわ」

ね、と娘はまた目を細めた。
馬鹿か。それは、そうかもしれない。
とりまく世界が変わったからといって性格の本質は変わるまい。呆れるほどに馬鹿真面目な竜騎士も、屈託なく笑う娘も、恐らくこの私も。
だからこそ、この状況に戸惑うのはもはや仕方のないことなのだ。私のいた世界には、こんなにも無垢で強気で、幸福に満ちた者はいなかった。
悪意のない笑顔があまりに眩しくて、思わず目をそらす。この娘はここにいてはいけない。私と共にいては――

「ここにいては、仲間に疑われるだろう。こちらの者にも目をつけられるかもしれぬ。立ち去るがよい」
「あたしはだいじょうぶよ。誰にどう思われたって、構わないもの」
「しかし」
「優しいのね」
「早く行け。私の気が変わらぬうちにな」
「叔父様は、魔人なんかじゃないわ」

恐れるどころか、親しみさえ感じさせる口調で娘は続ける。

「あたし、叔父様のほんとうの名前を知っているもの。ね。――」

なぜ忘れていたのだろうか。
呼ばれた名は、まさしく私のものであった。




20150316
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