自信


セオドアが落ちた。
突然のことにシルビアは唖然とし、先を歩いていた男は少年の名を呼んだ。

ミストへ向かう洞窟はひんやりとしていて、陰鬱な空気が立ちこめていた。
もともと魔物の多く住み着く場所であったが、ここ最近は特に凶暴な魔物が出ると、セオドアは聞いている。王の命により調査隊が派遣されていたが、突然の襲撃に傷を負い帰ってくる兵もいたはずだ。
洞窟の向こうにはミストの村とダムシアン領へ繋がる山道が続いているが、十数年前に崩れてから今も人が通れるような場所ではない。つまり「行き止まり」なのである。
その洞窟を抜けると言い出したのは名も知らぬ男だった。セオドアもシルビアも疑問に思っていたが、幼い二人にとって、男の後をついていくことが最善の道のりなのであった。
ゴゴゴゴ、と地鳴りがする。洞窟に入った時からの断続的な揺れにシルビアは眉を潜めた。
地震だろうか。しかし、こんなに何回も起こるものだろうか。洞窟内を見渡すが、揺れのない洞窟は静かなもので、自分たちの足音だけがやけに大きく響いた。
「落盤するとまずい。急ぐぞ」という男の言葉を聞き、シルビアは我に返る。
その直後だった。
丁度橋を渡っていたセオドアは、揺れに堪えきれず橋から足を踏み外した。そのまま重力に従い下層へと落ちていった。

「ちょっと、大丈夫!?」

シルビアの声に微かな返事がある。どうやら無事な様子に、安堵のため息をついた。

「降りられるか」
「誰に言ってるのよ。先行くわよ!」

男の気遣いの言葉を気にも留めず、シルビアは橋の下へ飛び降りた。無事に着地したのを確認すると、男はため息をつき、王女の後を追う。
洞窟の底は、より一層冷たい空気に包まれていた。強まる魔物の気配に、シルビアは思わず身震いする。
膝をつき、挫いた足にケアルをかけている弟に寄ると、彼は申し訳なさそうに「すいません」と呟く。姉にではなく、男に向けた言葉だった。
青白い光が消えるのを見て、男は「歩けるようなら行くぞ」と歩を進めた。


*********


ゴゴゴ、ゴゴゴ、と唸る振動は確かに先ほどよりも大きく響いている。時折立っていることすら困難になることもあった。歩けば歩くほど力の中心へ近づいているようだと、シルビアは思った。

「揺れが大きくなってます……!」

セオドアが叫んだ時、ビシリと音を立てて足元へ向かって亀裂が入る。咄嗟に後方へと飛び退くと、三人の立っていた地面は凄まじい勢いで砕けていった。

「何!?」
「震源は……この真下だ!」

叫ぶと同時に、男は曲刀を構える。その様子を一瞥したセオドアとシルビアは、崩れた地面から覗く大穴に向かって身構えた。
ガリ、ガリ、という異音とともに、大穴で巨大な影が蠢く。赤い閃光が差したかと思うと、縦に長く伸びた影が飛び出しその姿を露にした。黒光りのする体節が幾重にも連なり、数多に生える足でぞろぞろと地を張っている。例えるなら虫だが、虫とは比べ物にならないほどの巨体だった。
ひっ、と小さく悲鳴を上げたのはシルビアだ。静かに後ずさる彼女を、赤い眼が捉える。はっと息が詰まった。追い迫る巨体を前に身動きひとつ取れず、咄嗟に目を瞑る。
――だめだ、と思った。
しかし、開いた瞳に映ったのは、あの男の背中だった。

「下がっていろ」

男はそう言い残し、彼に狙いを変えた魔物へ向かって斬りかかった。
シルビアは唇を噛んで――後方へ下がって――魔法の詠唱をはじめた。
男とセオドアが順に斬りかかるものの、魔物の繰り出す振動によって体勢を崩される。シルビアの詠唱も度々止まってしまった。

――これでは攻撃なんてできないわ!

「セオドア!」シルビアの呼ぶ声にセオドアは振り返る。大きな地震にまた体勢を崩したところだった。「あれよ!あの魔法を使うの!」
シルビアの脳裏によぎったのは、かつて母親が唱えた魔法であった。自分には使えないということを、利発な王女は知っている。悔しいことに、それは事実なのだった。だから――

「あれって、何!」
「鈍いわね!宙に浮くやつよ!」

え、とセオドアの顔がひきつる。
「セオドア!」と呼ぶ声を聞いて、魔物の一撃を紙一重で避けた。セオドアは明らかに動揺している。

「何をしているの、早く!」
「だって、あれは……まだ……!」
「成功してないって言うんでしょ。知ってるわよ。だから今、成功させろって言ってんの!」

無茶を言う!
その時、セオドアと男の心の声が一致したのだったが、そのことを二人は知るよしもない。
魔物が巨体を大きく反らし、地面に叩きつける。再び洞窟が揺さぶられ、シルビアはいよいよ立つことすらできずに倒れこんだ。悲鳴が聞こえた。
「……セオドア!」と男が叫ぶ。
セオドアは、がむしゃらに言葉を紡いだ。

――慈悲に満ちた大地よ、つなぎとめる手を緩めたまえ!
――レビテト!

忽ち、あたたかな光が三人を包み込み、足が地面から離れる。ふわふわと浮遊する慣れない感覚に戸惑うセオドアを横目に、男の反撃は勢いを取り戻した。セオドアとシルビアは、込み上がる喜びを噛み締めながら、男に続いた。


*********


「お母様にできるんですもの。セオドアにできないわけがないわ」

魔物の屍骸を背に、王女は屈託のない笑顔を向けて言い切る。
返答に困ったセオドアは、苦笑で返すほかないのだった。



20150114
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