呼ぶ


「セオ」

驚いて振り返ると、僕よりも驚いた表情と視線が重なった。
二の句が告げないでいる彼女に、何と声をかけようか言い淀んで僅かな静寂が生まれる。

「あの」
「馴れ馴れしく呼んでわるかったわ」

気まずさに声をかけると、重ねるように彼女は呟いた。拗ねたような声。訝しげに眉を顰めるので、せっかくの可愛らしい顔立ちが台無しになってしまっている。

「そんなこと思っていないよ。シルビアさん」
「さん、だなんて、よそよそしい!シルビアでいいのに」

思わぬ反応に少したじろいでしまった。
ついこの間会ったばかりだというのに、彼女はまるで古い友だちか、姉弟のように接する。だからといって、馴れ馴れしいなどと思わない。むしろこの距離感が心地よく好ましく思っていた。
慣れない世界で、たったの一人きりで、何の記憶も持たないという彼女はどんなに心細かったろう。
それでも物怖じのしない言動と、果敢に黒魔法を振るう姿はとても勇ましい。母やアーシュラなどとは違う強さを、歳のさほど変わらない彼女は持っているのだ。
思い切って「シルビア」と呼ぶと、満足そうに笑う。

「ところで、僕に何か用ですか?」

そう言うと、シルビアは少し考え込むように首を捻った。

「……ううん、とくに用はないけど。セオドアが、なんかぼんやりしてたから」
「そ、そうかな」
「なにか難しい考え事してたでしょ」

考え事。
たしかにしていた。

「セオドアが一人で考え込むなんてよっぽどのことだわ」

そうだろうか。
いや、この世界に来てから、一人でいることなんてなかったから、そうなのかもしれない。

「……当てて見せましょうか。カインに何か言われたのね」
「えっ」

思わず出た声にシルビアは目を細めて笑う。
図星だった。
カインさんから「いずれ俺やセシルを超えていくだろう」と言われたことで、頭がいっぱいなのだった。
2人とも強く、尊敬する騎士である。おいそれと超えるなどと言うことはできない。──けれど、こんな弱音を吐くことは、認めてくれたカインさんにも失礼なことだ。
気がつくとぐるぐると考えてしまって、シルビアからすれば「ぼんやり」していたのかもしれない。

「何でわかったの?」
「ふふ、セオドアわかりやすいのよ。鋭いわたしから見れば一目瞭然なの」
「そう、ですか……」
「それに、さっきカインと一緒にいるのを見てたし」
「それじゃないか」

シルビアはまた、意地悪く笑った。こういうところがどうにも憎めないのだ。
どうしてもと聞きたがるので、カインさんに言われたことを話すと、やれやれと言ったように肩を竦める。そして、優しい瞳で僕をまっすぐ見た。

「不安なのね」
「……そうなのかな」
「それなら、すぐに解決する方法があるわ」

人差し指をピンと伸ばした。真面目な口調で続ける。

「カインなんか、明日にでも超えちゃえばいいのよ」

自信満々に言うので、冗談やでまかせなんかじゃないのだろう。きっと、シルビアは心の底からそう思っている。

「超えるって言っても、何を……」
「そう、それよ!カインは大事なことを言ってないの。カインやお父様を超えるって具体的にどういうことなの?」
「え、ええと」
「カインは本当、こういうところがぼんやりしているのね!」
「そうなのかな……」

何故だかわからないが、カインさんの悪口を言うときのシルビアはやけにいきいきとしている。──と言っても悪意があるわけではなく、親しげで微笑ましいくらいなのだけど。

「僕はバロンの騎士として超えたいと思っているから、それだけではないと思うけど……やっぱり剣を磨いて、強くなりたいとは思っているよ」
「だったら話が早いじゃない。毎日勝負を挑んで勝った日がその時だもの」
「そんな単純な話かなあ」
「単純な話でしょ。難しく考えすぎなのよ。あなたもカインも」

シルビアはまた呆れたように肩を竦めた。まるで僕やカインさんのことをなんでも知っているような口ぶりで、なんだかおかしい。
僕の返事を待たないうちに、シルビアは悠々と話を続ける。

「セオドアが、カインやお父様……あなたのお父様を超えるっていうなら、あたしも大きな目標を持とうかしら」
「目標?超えたい人がいるの?」

シルビアから他人の話を聞くのは珍しいので、思わず身を乗り出した。
記憶を失ったままの彼女は、故郷の話や家族の話をしない。「父親を探しているらしい」と聞いたが、何も手がかりがないために、半ば諦めているようだった。「あたしは1人でも大丈夫だもの」と言って気丈に振る舞っている。
そんなシルビアの目標。やはり黒魔導士なのだろうか。

「……そうね、とても強くてかっこいい黒魔導士が良いわ……うん、ゴルベーザ!ゴルベーザが良い!」

ゴルベーザ!
黒い甲冑を纏った強くて──かっこいい?……そう言われたら確かにかっこいいけれど、ビビさんとか、ティナさんとかだと思っていたから驚いた。
しかし、僕の叔父にあたるゴルベーザさんもすごい黒魔導士だ。シルビアが憧れるのも頷ける。
今でも十分強いけれど、彼を目標にするシルビアはもっと強い魔導士になっていくのだろう。
そう思うと、気持ちがスッと軽くなった。もやもやしていた思いが、晴れたようだ。

「うん。シルビアみたいに、前向きに考えてみるよ」
「そうこなくっちゃ。やっとセオらしくなったわ」

そう言うと、ハッと目を見開いては、ばつの悪そうな顔を浮かべる。

「僕のこともセオでいいよ」

そう言うと、シルビアは忽ち目を輝かせて笑う。
その笑顔が、なぜだかほんの一瞬だけ寂しそうに見えた。


20221001
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