疑念


バロン北部に聳える山脈の一部に「ミスト」と呼ばれる村がある。幻獣と対話するといわれる召喚士たちが集まり、古くから外界との接触を避け形成された村である。
バロンにもダムシアンにも属さない山中の村は、ミストの洞窟を抜けるか山の隘路を越えるかでないとたどり着くことができない。寄りつく者はほとんどおらず、村人たちは静かに生活を営んでいる。
ゆえに召喚士の存在も、かつては伝説として、あるいは畏怖の対象として語られるに過ぎなかった。彼らの存在が明るみになったのは、世界を救った召喚士「リディア・オブ・ミスト」によるものである。
彼女の活躍により、滅亡の危機に陥ったミストの存在が世界に知れ渡り各国が復興の手を差し伸べているが、召喚士たちは今でもひっそりと暮らしているのである。

バロン城から逃げるように抜け出した王子セオドアと王女シルビアは、名の知らぬ男に率いられてミストへ続く洞窟へたどり着いた。
彼らの障壁となるのは、洞窟の複雑な道のりや近ごろ活発になったという魔物であるはずだった。しかし、彼らの行く手を阻んだのは他でもないバロンの兵士であった。

「何人たりとも通してはならぬ……国王の命です……」

洞窟の入り口に立ちはだかるバロン兵が、抑揚のない声で言う。目の前の少年が仕える国の王子と王女だということすら、分かっていないようだった。

「なぜだ……!?父上が、そんな命を出すはず……」
「何人たりとも通してはならぬ……国王の命です……」
「いえ、変だわ……この兵士……」
「何人たり……とも通し……ぬ………こくお……」

男が曲刀を構えるのが早いか、兵士の身体はたちまち変貌を遂げた。下半身が馬の肢体になり、うつろだった瞳が鋭い眼光を放つ。

「……え!?」
「なっ……!」
「油断するな!」

兵士だった魔物は咆哮を上げ、前足を高く掲げた。勢いをそのままに、圧倒されるセオドアに向かって突進する。

「う、うわっ!」
「セオ!」

すんでのところで身を翻してかわし、地面に倒れこんだ。セオドアを仕留め損ねた魔物が、勢いを殺して振り返る。
その瞬間を、逃さなかった。
男が地面を強く蹴り上げ、曲刀を振りかざす。魔物が焦点を定めたときには、彼の刃は首もとに迫っていた。
一瞬の静寂。頭が飛んだ。
血を吹き出しながら魔物は崩れ落ち、失くした頭部は遠くの茂みに転がった。
少年たちは、ただ呆然と立ち尽くしていた。

「兵が……魔物に……!」

セオドアの言葉など意に介さず、男は「やはりな」と独りごちた。表情を変えぬまま血を拭う姿が、シルビアには信じ難い。

「あの、あの人も……人間だったのに……」

もはや過去のことである。シルビア自身、どうしようもないことだと分かっている。だが、やるせない思いをほかにどうすれば良いのだろう。

「ちょっと前まで、バロンを……あたしたちを、守ってくれていた人だわ!家族だって……!」

男はただ「行くぞ」と言い残し、暗い穴の中へ入っていった。その表情は何も語らない。少なくともシルビアにはそう見えた。



20160926
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