表情


「あたたかいミートパイが食べたいわ」

ため息まじりの一言に、セオドアと男は顔を見合わせる。そして、声の主であるシルビアを見ると、彼女は愛らしく微笑むのだった。

地下水脈の洞窟の中ほどまで進んだあたりで、三人は野宿を決めた。
はじめは留まることを渋っていたセオドアだったが、ひと度腰を落ち着かせると釘付けられたかのように動けなかった。シルビアも同様に、岩に背中をもたれながら足をだらしなく伸ばしている。がらんどうの天上をぼんやりと見つめながら、どういうわけか先の一言を呟いたのである。

「姉さん……」

セオドアはすぐに非難の声を上げた。どう足掻いても、ここに温かいミートパイなどはない。空腹感と虚しさがつのるだけだというのに。

「なに。セオだって食べたいでしょう」
「……食べたいけどさあ」
「当然だわ。もうお城を出てずいぶん経つもの」
「だから、今、そんなことを考えても仕方ないだろ」
「いいえ。こうやって、無事に帰る活力を得るのも重要だと思うわけ」
「でも」
「固いこと言わないで。ね、セオドアは何が食べたい?」

シルビアの説得に納得したのか、押しに負けたか、セオドアは故郷の食卓に思いを馳せた。姉のように空洞を見上げながら空想に浸る姿は些か滑稽でもある。
時おり生唾を飲み込みながら、彼はついに結論に行きついた。

「母さんの作った……レモンパイが食べたいな……」

半ば恥じらいながら呟く王子は、年相応の幼さを見せた。剣を構えるときのキリリとした眼差しがうそのような、あどけない少年の顔である。
その表情に男は既視感を覚えた。それは、十数年前に彼が確かに見た表情なのだった。

「お母様のレモンパイは間違いないわ」
「アップルパイも捨てがたいけれど」
「セオが言うから、甘いものが食べたくなってしまったじゃない」
「姉さんのせいじゃないか」

二人でくすくす笑う姿を、男は焚き火越しに見つめた。
どこか懐かしい思いに駈られて、思わず目を逸らすと、シルビアが男に顔を向けた。そして、言う。

「――ねえ、あなたにも帰るところがあるんでしょ。帰ったら、ねえ、食べたいものとか、ないの?」

予想外の問いかけに、男は切れ長の目を見開いた。すぐさま元の顔に戻ったが、彼にしては珍しい表情だったので、シルビアとセオドアの胸はどきりと脈打った。
おかしなことを聞いただろうかとシルビアは考えるが、結論は出なかった。ふだんの彼なら涼しい顔で流すのだと思っていたのだ。
再び訪れた沈黙だったが、薪のはぜる音がいやに響く。先刻までは微塵も気にならなかったのに。
耐えかねたセオドアが、食べたいものを挙げようとしたとき、沈黙は破られた。面差しを変えないままの男によって。

「昔――ずいぶん昔のことだが――作ってもらったことがある……シナモンの利いたホットチョコレートだろうか……」

今度は幼い二人が驚く番だった。まさか、名前も知らない彼が自身のことを語るなんて思ってもいなかった。
しばらく二の句が告げないでいたが、やがてシルビアが嬉々として言った。

「それじゃあ、お父様やお母様を助けて、無事にバロンを取り戻せたら、あたしが作ってあげるわ。お城に招いて、丁重にもてなしてあげる。――ね、いいでしょ」

男は何も言わなかった。まるで自分の軽口を責めるように、俯いたままだった。
しかし、この一方的な口約束は、以後シルビアにとっての精神的支柱となるのだった。




20160802
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