英雄


聖騎士セシル・ハーヴィは、かつての戦乱を救った英雄の一人に数えられている。暗黒剣を振るう彼が幾多の試練を乗り越えて聖の力を得、世界を救った英雄譚は国内に留まらず世界各地に伝わる。彼が伝説の聖騎士と称されるゆえんである。
やがて、バロン国王として彼の名は再び世界に轟いた。亡き先王の意思を継いだ治世は、期待に違わず復興と平和の持続に努められ、いつしか彼は名君と謳われた。
しかし、何もかもが苦もなく進んだわけではない。孤児育ちの彼が玉座に座すことを嫉む者が数多くいたのも事実で、ことあるごとにその存在が大きな障害となった。同じく英雄と称えられる王妃ローザの支えや、かつての戦友たちが統べる諸国との友好な関係なくして、現在のバロンはあり得ないのである。
そしてもう一人、バロン国復興に尽くし、やがて姿を眩ませた伝説の竜騎士がいた。




「……カイン・ハイウインド?」

セオドアが口にしたその名は、目の前の男が追っているという人物であった。
もしやと思って出した名前だったが、男の沈黙が肯定を意味し、幼い二人を驚かせる。男が命に代えてでも殺さなければならないという竜騎士は、祖国の英雄であり、父親の唯一無二の親友だと知っていたからである。

「な、なぜ……?」
「知る必要はない」

おそるおそる尋ねるセオドアの言葉を、男はすげなく切り捨てる。
セオドアはたじろいだ。だが、戸惑いもした。剣呑な言葉を吐く男の瞳が、なぜだか憂いをはらんでいるように見えたのだ。

「謎の男の正体見たりって感じね。名も明かさないくせに、目的が目的だわ。怪しすぎるのよ!」

シルビアは、訝しげに眉をひそめて呟く。
男は表情を変えなかった。

「ならば、ついてくる必要はない」
「それは……」

嫌だ、とセオドアは思った。
自分たちには、現状を打破するほどの力がない。父や母、そして国を救うにはあまりにも非力すぎた。
だが、目の前の名も知らぬ男には道を切り開く力があった。剣技に長けているだけでなく、重要な何かを握っているようでもある。何より、どうしても彼について行くべきであると、少年の直感が言っているのだった。
「いいえ」と、彼の代わりに口を開いたのはシルビアである。

「だからこそ離れるわけにはいかないわ。竜騎士カインを追っているなら話が早いじゃない。あなたについてけば――」
「カインさんに会える?」
「そういうこと!」

ひねくれた言い方をするが、シルビアも自分と同じ心情に違いないとセオドアは思う。現状、自分たちだけではどうにもならないことが分かってしまったから。
男は眉一つ動かさず言うが、その声色には陰りがあった。

「……私はその竜騎士を殺すつもりだが」
「お父様の認めた竜騎士カインがそう簡単に負けるかしら?……そもそもカインがどんな人なのか、私は知らないもの。一度は敵対したって話だわ」
「……けど、それは、誰にでもある悪い心を利用されただけだって……父さんも母さんもカインさんのことを信じてるって、言っていたじゃないか」
「それよ!」

シルビアは人差し指をぴんと伸ばし、弟に向ける。

「あのお父様とお母様の言うことよ。良いことしか言うわけないじゃない。二人とも、カインの良いところしか見ないし、良いところしか言えないのよ。あたしやセオドア……それだけじゃない。とくに国民にはそう言うしかないじゃない。カインは英雄の竜騎士だもの。だけど、実際はどうかなんて、あたしもセオドアも知らないわ」
「うん……そうだけど。……だけど……!」

シルビアが男を見据える。

「カインがあなたに殺されるべき人物かどうか、あたしが決める。そのためについてくの。万が一にそうじゃなかったら、相応の覚悟をなさい」

セオドアの瞳も男をじっと捉えた。

「……ぼくは、父さんと母さんが信じたカインさんを信じたい。そのために、ついていきます」

男は目眩を覚えた。自分の年齢の半分にも満たない子どもの言葉で、救われたような気持ちになってしまったのが、どうにもやるせない。
竜騎士カインの伝説は、セシルやローザたちと共に戦い平和をもたらしたと伝えられている。しかしそれは幻想なのだと、男は知っていたのだった。




20160408
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