王国


「月がふたつに――」

天を仰ぐ王女がそう呟いたとき、血相を変えた侍女が部屋へ転がり込んだ。
何事かと問う間もなく、錯乱したように侍女は叫ぶ。
――城内に――魔物が――混乱して――ここは危険で……。
「お逃げください」という言葉を待たずにに王女は部屋を飛び出した。逃げたのではない。城内の様子を、自らの目で確かめようとしたのだった。
悲鳴が聞こえた。王女は迷わずその方向へと向かう。自分の国に異変が起こっていることは明らかだったが、王女――シルビアはまず自分の目を疑った。
これほどの魔物を目にしたのは初めてだったのだ。
シルビアの瞳に映ったのは、無数の魔物と対抗する兵士たち。そして、無惨にも地に伏す兵士。あんなに勇ましい男たちが、こうも簡単に倒れるものなのかとシルビアは思った。
有る者は逃げ惑い隠れ、またある者は勇敢に立ち向かう。そんな侍女や兵士たちを横目に、走る。走る。走る!
「シルビア様!」という悲鳴にも似た声が聞こえたような気がしたが、目もくれなかった。
彼女には国を救わなければならないという使命があった。それは王女としてて芽生えたものなのかシルビア個人のものなのか、彼女には判断がつかなかったが、とにかく走った。この緊急事態に逃げている場合ではない。

――お父様と、お母様に会わなければ。

会ってどうなるということではない。
あの崇高な両親であっても、この事態をすぐに収束させることができるかどうかもわからない。単に、無事を確かめたいだけかもしれない。
しかし、両親となら何かが変わるような気がしたのだった。




「シルビア!シルビア!こっちじゃ!」

先ほどとは違った声にシルビアは足を止めた。

「……シド!」

それは長くバロンに仕えた技師だった。
父のことだから、おそらく先陣に立って指揮をとっているに違いない――そう思った王女が空からの襲撃を迎え撃つため塔へ上ろうとしたところだった。
シルビアが生まれるよりもずっと前――両親が子どもの頃には既に飛空挺を整備していた――から、長くバロンを見守ってきた老技師は、年齢を感じさせないたくましい体躯である。その屈強な腕にはハンマーが握られている。彼の商売道具でもあり、武器でもあった。

「無事じゃったか!」
「ええ――」
「セシルとローザは見とらんか?」

シルビアが両親のことを尋ねる前に、シドが言う。頭を振る王女に、項垂れつつも続けた。

「あの二人なら心配ないと思うが――シルビア、ひとまず下がっておれ」
「いいえ、あたしも戦うわ」

二人をめがけ、一匹の魔物が突進する。シドがハンマーで迎え撃つよりも先に魔物は炎に包まれ、雄叫びをあげながら崩れ落ちた。シルビアの【ファイラ】である。
実のところ、「実践」で魔力を振るうのは初めてだった。自分の力を存分に発揮できる快感と絶大な魔力でもって戦いを制することに優越感を覚える暇もなく、魔物達は襲ってくる。
シルビアは絶えず魔法を唱え続け、シドは老体に鞭を打つかようにハンマーを振りかざし、王女を守った。




「遅いぞ!何しとったんじゃ、セシル」

シドの言葉にシルビアは勢いよく顔をあげた。
振り返ると、両親の姿があった。襲い掛かる魔物を次から次へと薙ぎ払う父の姿は勇ましく、城内を跋扈する無数の魔物をものともしない様子にシルビアは少なからず安堵した。

「シド、頼みがある」

――しかし、勇猛な父の言葉はシルビアが耳を疑うものだった。

「ローザとシルビアを連れて、城から脱出してくれ」

言葉を失った。
遠くで母の声がする。哀しんでいるようにも、怒っているようにも聞こえた。
シルビアはというと、自分の気持ちが哀しみなのか怒りなのか、恐怖なのか失望なのかわからなかった。あるいは、そのすべてなのかもしれない。
ただ、ここで逃げたくはなかった。ここで逃げて――父を残して――何になるというのだろう。結局ただ逃げることを強いられるなど、耐えきれなかった。

「いやよ、あたしは――」

シルビアの抵抗虚しく、シドの腕に引かれるがまま、国王である父から遠ざかっていった。




城内の魔物から逃れた一行はエンタープライズへと乗り込み、急発進で城を離れた。
愛しい国。愛しい街。そして愛しい夫を置いて離れる苦しみを思う間もなく、ローザの目には強大な魔物が映る。大きく黒い翼を広げ、攻撃体制に入る姿は――幻獣神!

「シド、離れて!シルビア!……シルビア?」

辺りを見回すが、王女の姿は見えない。

「ローザ!シルビアはどうしたんじゃ!」

一緒に逃げたはずだ。一緒に乗り込んだはずだ。
いや、分からない。
シルビアは、本当にエンタープライズが飛ぶまで一緒にいただろうか。

「シルビア!シルビア!――」

ローザの悲鳴は閃光に包まれ、バロンの誇る飛空挺は炎とともに落ちていった。




20150710
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -