自力


「うわああっ!」

崖道を下りはじめて、幾分か経ったころだった。
およそ道とは言えない険しい隘路である。不意に足を踏み外したセオドアは体勢を崩し、急斜面を転がるように落ちていった。鎧と岩の擦れる音が止むまで、男とシルビアは声をあげられなかった。
砂埃が静まってはじめて状況を理解したのだった。
遥か下方でうずくまるセオドアを見て、二人はやっと彼の名を呼ぶ。「無事か」と叫ぶ男の声から一呼吸あって、セオドアは身動ぎする。二人の声に応える姿に、安堵のため息をついた。
無事でいられるような高さではないはずだったが、彼の頑丈な身体は父親譲りらしい。

「待っていろ……!」

そう言うと、男はまずシルビアを見る。目があった。

「なに」
「お前は、ゆっくり来い」
「なぜ!」

思った通りの反応だと、男は胸のうちで苦笑する。
きっとシルビアは、セオドアのもとへ一刻も早く行きたいはずだ。無事とはいえ、どこかケガをしていても不思議ではなく、いつ魔物に襲われるかもわからない。そんな状況で弟をひとりにするのは、気が気でないのかもしれない。
しかし、彼もまた気が気でないのだった。彼女にケガでもされたら、それはそれで面倒だ――面倒でもあるし、できればケガなどさせたくなかった。そう思うのは、やはり親友の娘で、王女で、かつての想い人と重ねてしまうからかもしれない。

「お前にまで怪我をされたら面倒だ。いいか、今まで通り慎重に来い」

男の言葉にシルビアは苦虫を噛み潰したような表情で眉を寄せた。これも当然の反応だったが、こう言えば従わざるを得ないということを、男は知っている。
シルビアは、自分の力で国を救いたいと誰よりも願う王女であり、自分の無力さを誰よりも痛感している少女だった。実際のところ、彼女は決して無力ではない。しかし、幾分、幼すぎるのだった。
少女の無言の了承を得て、男はセオドアのもとへ下った。



「ケガは……?」

そうは聞いたものの、すでに立ち上がり男を待っていたセオドアに外傷はないようだった。「だいじょうぶです」と言う姿は強がりなどではないらしい。それどころか、彼は頭上にいるシルビアを心配そうに見つめるのだった。この弟あって、あの姉――もしくはその逆――なのかもしれない。


それからは大した惨事もなく、三人はひたすらに崖道を下っていった。時おり襲いかかる魔物には、シルビアが率先して撃退した。圧倒的な威力を奮い魔物を蹴散らす姿は勇ましくも恐ろしくもあるが、同時に拗ねる子どものようでもある。
シルビアには、魔法で苛立ちを発散させる癖があった。
ありあまるエネルギーを魔力で消化しようとするのは生まれもったもので、仕様のないことかもしれないが、それにしても目にあまると男はため息をつく。彼女の魔法は貴重な戦力である。それを自覚させねばならないが、下手に口を挟むと少女の機嫌をますます損ねる恐れもあった。彼女は特別扱いを嫌うだろうが、兵士でもない少女に辛辣な言葉をかけるのは躊躇われたのである。
男は散々言葉を選びに選び、ただ「余計な力は抑えろ」とだけ言った。男の言葉にシルビアは一瞬顔をしかめたが、その後は魔法を器用に使い分けた。技量はあるのだ。


最後の絶壁を下ったところで、三人は久々の地面に降り立つ。登るときに比べれば時間はかからなかったように思えるが、幼い二人はやはり疲労の色を隠せないでいた。
未だ呼吸の整わない二人に、男は「無事に越えられたな」と優しげに言った。

「降りてきたんですね。こんな崖を……」

思わず呟いたのはセオドアである。

「ああ、自分の力でな」
「い、いえ!あなたのおかげです!」
「私は機会を与えただけだ。それを乗り越えたのはおまえたち自身だ」

男の言葉は彼にしてみれば当然の発言だったが、二人から見ればとても珍しいことのように思えた。

「は、はい……!」

自分の力が認められたようで、王子は嬉しさを隠しきれずに顔を綻ばせた。王女はというと疲弊しきった体から言葉を発することすら億劫なようすで、突然優しく接する男を訝しげに見つめるのみである。
その時、上空を巨大な飛空挺が飛んでいった。セオドアがもっとも見慣れたそれは【赤い翼】である。――いや、【赤い翼】などではないと彼は言う。
【赤い翼】は誇り高き飛空挺団である。国のためと言って偽りの正義を振りかざすようなモノたちになど、【赤い翼】を名乗っていいはずがない。セオドアははるか上空を真っ直ぐ見つめ、そう言った。
北西へと飛ぶ飛空挺の行方は、おそらく砂漠の大国ダムシアンである。彼らを追って、三人は目の前に広がる砂の大地を歩きはじめた。




20150626
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