「…疲れた…」 最近やたらと忙しい。早く帰ってもやる事ないし、別にいいんだけどさ。 けど、あの先生人遣い荒いよね、雑用ばっかり押しつけて。おかげで、疲れすぎて最近全然連絡出来てない。 「電話してみよっかな…」 呟いてすぐ頭を振った。向こうも今忙しいって言ってたじゃん、ワガママ言っちゃいけないってわかってるのに、でも。 ――会いたい。声が聴きたい。優しい笑顔が見たい。 雲が出て来て月を隠してしまった。冷たい風が、秋が近付いているのを告げている。 何処からかギターの音が聞こえてきて、その音にあわせて小声で歌ってみた。少し前に流行ったラブソング。なんかちょっと泣けてきた。 大好きな人がいて、大好きだと言ってくれる人がいて。それだけで十分幸せなのに、いつの間にか、それじゃ満足できなくなってしまっている。 なんてワガママなんだろう、私は。 涙が頬を伝ってぽとぽとと音をたてて落ちた。ベランダのコンクリートに水玉のシミを作る。 「あーもう、泣くなって…」 自分でもどうすることも出来なくて、まだ響いているギターをBGMにし、涙目のまま、月の消えた夜空を見ていた。 「……寝よ」 泣いたら疲れが増した気がした。部屋の中に入ろうとした瞬間、ギターの音がふっと消え、代わりに声が響く。 「もうお休みですか、お嬢さん?」 悪戯っぽい笑い声。聴き間違えるはずのない――あの人の声。 「――え?!」 驚いてコップを落としそうになった。 なんで、どこから聞こえた?訳がわからなくて周りを見渡していると、隣のベランダから姿を現した。 「驚いてる驚いてる」 笑いながらこっちを見ている。驚き過ぎて体は固まってしまっていたけれど、また涙が出そうになった。 嬉しいのと、ビックリしたのと、でも、それより何より―― 「何でそんな所にいるの?!」 思わず大声が出た。夜中に近所迷惑だな、なんて冷静なこと考えてる余裕はなかった。 「ん?だってここ、知り合いの部屋だし」 「そんなの聞いてない!」 「当たり前じゃん、言ってないもん」 「だから、そうじゃなくて!なんで――…」 あまりに唐突な出来事に、ついさっきまで会いたくて仕方無くて、辛くて泣いていたことを忘れていた。 捲くしたてる私を見つめる優しい笑顔に気付いた瞬間、涙で視界が歪んだ。 「…会いたかった…」 そう言って、またベランダに水玉のシミを作る。 「うん、俺も、会いたかった。久し振り」 優しい声と笑顔で、慰めるように言った。本当に久しぶりなのに、なんで笑顔を見せられないんだろう。 「仕事、まだキリが良いところまでいきそうになくて。だから、もうちょっと待ってて。…ごめんな、寂しい思いさせて、ごめん」 再び姿を見せた月を見つめながら、そうポツリと呟くように言った。涙を拭きながらその横顔を見つめる。そんな顔、今まで見たこと無い。 「うん、大丈夫。…ほんとは、全然大丈夫じゃないけどさ?」 ちょっと苦笑いして、続ける。 「でも、私一人が寂しい訳じゃないって、わかってるし。仕事、ひと段落ついたらゆっくり会えるでしょ?だったら、楽しみは取っておかないと――仕事、頑張ってね。私も、勉強とか、頑張るし。…待ってるから、ずっと」 笑いながら私も月を見つめる。この言葉は半分本当で、半分は自分に言い聞かせてる。大丈夫だって思いこまないと、また弱音を吐いてしまいそうになる。 だけど、ふと思ったことがあって、それを口にしてみた。 「それにさ」 視線を月から彼に移すと、精一杯の笑顔で続けた。 「会いたい会いたいって仕方なくなっちゃったらさ、またこんな風にして会っちゃうんだよ、きっと。我慢しなきゃとか、ワガママ言っちゃダメだとか思っててもさ」 「…そっか、…そうかもしんない」 ちょっとビックリしたように私をみた後、ふっと笑った。 「ね?そう思うでしょ?」 お互い顔を見合せて笑った。大丈夫、大丈夫。どれだけ辛くても、きっと待っていられる。 「そうだ、ね、もう一回ギター弾いてくれない?あの曲、好きなんだよね」 「今何時か分かってる?近所迷惑だろ?」 「そりゃそうだけど…、でもさっきまで弾いてたんだしさ。ちょっとだけでいいから。それくらいのワガママ聴いてくれたっていいでしょ?」 ちょっとベランダから身を乗りだして、精一杯近づこうとした。腕を伸ばしても届かない。近くて遠い、あなたまでの距離。 「じゃあ、一曲だけな」 しばらくの間思案して、諦めたように苦笑いしながらそう言うと、ギターを爪弾き唄を奏で始める。 「――ありがと」 その曲を聴きながら、青白く光る月を見上げた。 同じ月を二人で眺めて、あなたの奏でるギターにあわせて、使い古された誰かの愛の言葉をそっと口ずさむ。 こんな近くにいても、手を伸ばしても、あなたには届かない。でも。 届きそうで届かない距離。その距離でさえ、今は愛おしく思える。 月とギター 届かなくても、会えなくても。私たちはこうして繋がっている。 一人じゃなくて、傍にいるから。 080204 (060430~060502) ------------ 色々ありえない設定…。 イメージとしては大学3回生と社会人1,2年目な二人。 |