主よ、人の望みの喜びを

 気配を絶っていた手が、忽ちラビを白いシーツで包囲した。
続け様に広い体躯がラビの都合もお構いなしに拘束してきた。
 影に横目を向けて、肩の力が抜けると膝の上の読みかけの本の扉を軽い音をたてて閉じ合わせる。圧し掛かってくる背中に不本意ながら今日は覚える事を諦めるしかないようだから。


「結婚しようよ、ラビ」


 先ずは何処からその考えが名案となるのか、こめかみに浮かんだ血管がぶち切れる前に説明してくれ。



【主よ、人の望みの喜びを】



 真っ白のシーツをラビの頭に被せて、自分も同じようにそれを被って、ティキは大の男なのに、どうも見慣れてしまった仕草で首を傾げた。
 わけもわからぬままこめかみ辺りを白い布ごと両手で押さえて、顔を持ち上げられた。視線が合ったのでここぞとばかりに上目に怪訝を滲ませる。何処までも如何わしい男で、人の意見をちっとも聞いたりしない。
 現に今も承諾前にラビの着衣を脱がせていくこともティキはさっぱり躊躇わない。

「脱ぐんかい・・・」
「やっぱり白が良いだろ?」

( なんのこっちゃ )
 此処まで奔放だと言葉が意味を成さないんじゃないか、と古今東西・その文字という形を何処までも信仰してきた今までの自分たちを否定的されているみたいだった。
寝転んだまま上に乗られると、セックス、すんのか? とか寸前まで熱の浮かばない頭に予想が浮かんで、こんなことに順応してペースは昏昏と乱れることに慣れた自分に、顔の温度が数度ばかり上昇して指して変化はない。それほど繰り返しの動作だったから。ティキと一緒に居ればいつも何処か落ち着かない。
 神聖なローズクロスを湛えた団服がティキに掛かれば床の塵を化してラビははっきりとした意識の中で明日の朝、一番で新しいものを用意させなければ、と表立つ面倒さに鬱々とした。目前のティキはそんな億劫を知ってか知らずかくすくすと喉を震わして、ラビの肌に直に触れてひと撫でした。
 嫌な笑い方。でも耳に自然に流れてくる。
過ぎた静寂さを伴った室内。重たは自身にまで圧し掛かり動作のたびに間接がぎしぎしとうなり音を上げる。ラビは窓を見上げた。
 雨だ。
 俄な雨が降っている。
 繊維のようなその水滴が湿気と形を変えて身体中にまとわりついているから生きた心地が仄かにもしないのかもしれない。
 自分が自分じゃないみたいな自分になっていっているみたいだった。





 別のことを考えていることはティキにとっては大したことではないのだが、案外ラビにとっては大きな問題で、上半身を開放されかけると判るとラビは慌てた。ジッパーに伸ばされた手を落ち着きなく制した。
 さっきまで唯々諾々としていたのに、素面で動揺してしまって些か恥ずかしい。

「・・・それで?」

 シーツを下半身に巻きつけて、はしたない格好でもなく誰が来ても言い訳の出きるほどの装いになる。呆れ、ため息、その他もろもろは効力がないようでただティキは嬉しそうに「可愛い」と張り付いた笑顔でニコニコ笑う。

「からかうなら帰れ」
「えー!ラビ!だってラビ話し聞いてなかったっしょ?」
「うん」
「ぅーわー!そんな堂々と!オレ泣くよ?駄々こねるよ。壮絶に。」
「うっせえ。シないならまじで服着るぞ」
「ラビのえっち」
「今すぐ帰れ」
「酷い!未来の旦那様に!」
「・・・」
「あ、何その顔?明らかにメンチきりすぎじゃない?ラビ」

 ティキの張り付いていた笑顔が、子供みたいに無邪気なものに変わる。かわいー顔が台無し、とラビの頬に触れた。
ラビはふいと顔を背ける。「うるさい」と小さく反発する。かわいいがからかいの言葉じゃないって知っているけどこれを抗わずにいれるものか。男のオレには褒め言葉じゃない。正直抱かれている最中もしょっちゅう言われて、そのときばかりは夢中で否定は口端にも上がらない。まともに相手していたら此方が苦労するだけの男だ、ティキは。

 「結婚式をしようと思ったんだけど」

 誰かこいつを海の藻屑にしてくれ。
本当に碌な事がない。二人が更に詰め寄って、ティキが胸の上を這うたびに二人の重さに不安定な音がベットからあがった。ラビのこめかみにまで流れたティキの掌が、その形にそって丸い手つきで頬までを撫でる。

「・・・なんの冗だ」
「だから、結・婚・式だってv」

 念押しされて目が点になってるとまた「可愛い」ってティキは言う。そんな答えを望んでいたわけじゃない。(お前の頭のが十分かわいいわ)





 ティキは既に裸だった。真っ白いシーツを被って、真っ白いシーツをラビと一緒で下半身に巻き付けていて、ある意味一糸纏わぬ裸体は神々への禊に似ていた。
 全くもってどんなものよりお互い一番似合わない。

 ティキの褐色の肌は指先から掌まで色濃くて、ブラックでもない異質さを見え隠れさせている。黒い瞳は安易に汲み取れない深さをしていて、緻密に色気を漂わせて、正気を含んでいるのにどこか歪んだ色合いをしていた。

 「ねぇ。結婚しようよ、ラビ」

 真っ直ぐ見上げて狂うことない嘘にラビは小さく不信がる。ティキは本当、と目を細めた。
乾いた目の中で湖畔のように静かな水がゆらゆらゆれる。火の激しさが沈下した瞳。どこまでも不安そうな水面。
 誰だ。
 それとも、此れが、
 窺い見る様子。探っていることなんて過去には一度もなかった。
(なんの夢だ、これは……)

 
 本当に純白なんてものも、似合わないのは知っていた。
 どこにも逃げ場がない。今まで禁忌以上の禁忌を起していたのだから、今更何を誓えばよいのかなんてわけが判らない。
 でももうこれ以上を考えるのは、卑屈なだけ。
 それだけの価値があるのではないだろうか。





 求めるように腕をとられて指を絡めあう。
 目を見ると奪うように抱き締められる。「・・・痛い」小さく呟いた。身体中がだるくて痛くなるように重たい両手をさらう様に拘束されて抗えない。ティキは構わずラビの担っている性を皮膚を引き裂くように布ごと乱暴してゆく。
 ぁ、ぁ。と小さく悲鳴を上げながらラビはゆっくり痛みに耐えるように首を左右に揺らした。そして口にすることもキスもせず、それに首は縦に振らず、ただ揺さぶられはじめた。

「幸せだろーなー、ラビ。オレ結構良いお父さんになると思うよ?」
「・・・黙れ、へたれ・・! 収入は一定以上じゃねえと実家に帰るさー…ッ!」
「その前に監禁して、愛の折檻とか?」
「・・・ひどでなぁ・・・、ヒ・・・ッ!!」


 破裂しそう。繋がった部分で意地悪されると、膨張していた自身も白濁とした妄想も、一緒に目蓋の裏でクラッシュしかける。
 一つ一つの戯言に、靄がかった映像がぼんやり次々に浮かんでくる。虚像だとしても形にできてしまうのだから、少しばかり現実味を帯びすぎていた。
 気持ちよさで涙が溢れて、塞き止めようと目蓋を閉じると暗闇の中には何処までも果てがない妄想が孵っていく。
 柔らかな発光色の未来。
どこまでも幸せそうに笑っているこじ開けた瞳にもティキが広がった。
恐れるように目を閉めてしまうと闇の中に夢想が肥大に広がる。水分の含んだ睫の格子を隔てて目蓋に滲んだ涙を瞬きで振り払い、目に見えても見えなくても構成が繰り返して循環する。
(壊れちまい、そ…)
 本気、みたいで。
どこが出口。
 此処が、ゴール?





 逃げる、とティキは言っている。ラビと一緒にどこか遠くに。手の及ばないどこかに。
 そんな明確なことを言葉にしたことは、出逢ってから此の方、嘘でもなかった。軽々しく出来る話じゃなかったから、赦さなかった。緊張したり圧迫されたり、殺されかけて寝首をかいたりしたけれど。はじめからこれだけは主権をラビがもっていた。見詰めることさえも、こっちばかり真剣だったのだから。
 貪欲になっていた。
言葉も欲しがるし、身体は顕著に反応して直ぐに勃起する。もちろん優しい言葉だけ掛けられるわけじゃない。痛いことは沢山されたし、なじられた。
平行して益々純粋に供給に余念がなくなっていった。

 まともにベットに押し倒されて見つめられると唇を重なった。舌が誘い出される。
 はぁ・・・。はぁ・・・。
息が拗れる。そして熱い。息が急かされてどんどん上がっていく。もうすでにうまく頭が回らない。どっちか現実が区別しがたい。

 滑らかに、そして複雑に絡まっていった。
誰しもが天から伸びる糸に踊らされる傀儡の世界で、神の意思のままに動かなくなった。道を外すように。
密接した位置で示し合わせたように、二人分の糸が一気に反乱しだしたから、絡まって縺れてしまっている。
 引き寄せられたまま、離れなくなってしまった。策略のように。
 自分たちの力ではどうしようもなくて。
引力に逆らって絡まり、引力のまま縺れ合った。
神様はやっぱり怒ってるのではないだろうか。ティキと一緒にいるたびに、そこら中が軋んで痛かった。
 言うことを聞かない人形なんて捨てられるのが落ち。
出逢うはずがなかった存在。
 ずくん。抱き締められただけで体が悶える。
 ちくん。胸までも切なさで痛む。
 自余を求めれば朽ちていくばかりの、どこまでも神の管轄でしかないこの世界。
 
 求めない方法を知らないのに。



 記録をするのが好きだった。神の壮大な慈愛を垣間見ることのできる運命の出会いだった。生まれてからのことは全部覚えている。だからオレは自分がブックマンになるものだと、それは神が自分に与えてくれた最初で最後の恩恵なのだと、自覚までして、感謝しまくった。
 でも今、記録は意味がない。刻まれている。身体に。心に。忘れない、じゃなくて忘れたくない。

「ふ・・・ぁ、あ・・・」

 脳に傷ができる。行儀のなっていない逆手で持った快楽の刃。穿たれるたびに鋭く刻まれていく。其れがきっと自然なことだったはずなのに、ラビにとっては初めてだった。 勝手に動き出すことじゃなくて、自分で取り込むなんてこと、今までなかった。
 滲んだ結合部が更に突き上がって、見られているみたいで脳みそが麻痺してくる。
 運命なんて言葉は神のものだ。
流れに逆らっていく。


 スプリングが、ぎしりと二人分の重さに負けて歪む。痙攣した中からティキが抜けてゆく。処理しきれない微かな残滓をラビのうちに落として。
 チッチッチッ。時計の音だけが響いていた。あとどれぐらいで夜は明けてしまうのだろう。性から離れてしまっているから、神の定義なんて見当がつかない。
 でもそれで良いと思う。
 倦怠感の中に、心地よい眠たさがラビを襲う。
 十八歳のラビの目の前に、二十六歳のティキという男がいる。
それと同じぐらい、どうでも良い。

「・・・結局、これかよ」
「だって、せっかく服脱いだし?」
「いや、身包み剥がされた気分なんすけど」
「邪魔じゃない、あれ」
「結婚式って結構神聖なもんだと思うんさー」
「はあ?今更神に何を誓うんだよ」
「言い出したのお前だろーーー!!!」


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