確かに恋だった
どこまで行っても光のないところまで堕ちて…
隔離された塔の地下室に灯ったランプは濁った発光をしていた。漂うのは乾いた埃の馨り。
黒の教団の地下深くにある史書室は、太陽とは縁遠く、古臭さが節々まで横溢していた。ティキは何度踏み入れても
そこの空気はなじまないと思っている。泥を沈殿させたような重たさが体中にまとわりついて来るような気がして、体
に悪いだろう、と心配になったりもする。
廊さえも侵略する書物の数々に足元を取られ書架に手をつけばざらり粉がまう感覚。埃を掠め取ったらしい。
案の定、有害だ。苦笑しかでない。
「ラビ」
低い声で、行き止まりの梯子の上、仄かな丸い明かりの中で鎮座する子の名前を呼ぶ。
果たしてどれほど待てば視線をくれるのか、というぐらい反応はない。
もともと諦めていたのだが。誰も見ていないが、体裁の悪さに恨めしく肩を竦めただけで、更に数歩近づいて何事も
なかったように梯子を見上げた。
木目の柱は少し不安定だ。心許無い。
ラビの手元は、ランプで照らされていた。だが眼元は深淵のように暗い。
覗きみた書物は表紙からして新品のようだ。この広大な史書室には不釣合いな安っぽい装丁をしていて、歴史の要人
であるラビの手の中にあるには少し浮いていた。
ラビは、よく言えば一直線だった。悪く言えば他を無視して、孤独を厭わない性格をしていた。
ランプの灯が揺れる。油が切れかけているのだろう。どれほど此処に篭っていたのか検討はつかないけれど、そろそ
ろ音をあげてくれたらティキも難癖付けないのに。
本人にその気がないので此方は無理やり呼び起こす以外手がない。
「もう、夜中だぞ。お前さ、どーせ明日も任務なんだろ?早く寝なくていいのか?」
気を引こうと珍しく殊勝なことなぞ言って見せても、ラビの無視は徹底だった。
以前、此れで襲ってみてはどうかと思案して、煩悶も面倒なので実行してみたら痛い目にあったので、迂闊に手を出
すこともできない。
何と声をかけようかと迷っているうちにも、一層深く活字の世界に嵌っていくラビに目を細めた。ラビの目は、ラン
プの暖かい光を反射することも出来ず静かな闇が支配している。
たちが悪い。こんな子供、今まで出逢ったことがない。
そもそも、齢十八は子供の部類なのだろうか。
ティキは昔日を手探るものの深い思い入れはないそれ。あの頃は感慨に構っている暇もなかった。
でもこれほどひん曲がってはいなかったと思う。意地を張って生きていたら今自分は此処にいない。
諦めたってことなのかもしれないけれど。
諾々と生きてそしてノアとなり、余裕がある立場となってこんなことを考えて、目の前の子は酷く曖昧な位置にある
のだと理解できるのだから自分は気づけば十分成長していたようだ。
選択に幅ができたからといって、自分より子供にこんな風に関わるべきじゃない、と思ってはいる。
「ラビ」
もう一回名前を呼び、更に名前を呼んだ。
彼の本当の名前を知らないせいで、これ以外に呼び様がないせいで頗る不便だ。
反応しないのは、彼が彼でなくなっているせいでもあるからだろう。
ラビは人権たるものよりも、誰もが持っている宿命で生きている。
自分が子供の頃は生きるのに必死だったけれど、なぜ生きているのかと言われれば意味なんてわかっていなかったの
に、ラビはそうじゃない。
追求のために息をしている。凄く単純で明瞭な大義名分であり外れることのできないレール。自
分の運命を自分で決められない。
主観よりも理論をイニシアチブとして持っているということは、ティキの知っているラビからは決して似合っている
ものじゃないけれど。
自分がノアなのは変えられず…変えようとしないないのは、自力で突破できるほどの気力も精神ももう持ち合わせて
いないからであり…この子も、自分の運命を受け入れているのかも祟っているのかもわからないけれど、変えようとは
していない。
だからきっと、御互いの関係はずっと変わらない。
変えようとすることはないし、流れに逆らうことのできない二人の間の関係。
お互いの運命に直行しかできぬのならいつか壊れるものでしかない。
「ラビ。今夜はもう辞めよう」
なのに、何でかこうして少しだけねじれていて。すこしずつ。
ラビの顔が、かすかに覗く。目の下に掛るのは決して灯火の影だけではなくて、皮膚に浮かんだ襤褸、隈だ。
幾何学模様の蝶を一羽、舞い上がらせてラビの視界を遮った。刹那にラビは何の動揺を見せることもなくティキをみ
つけた。
今まで注意はなかったものと思っていたのに、あれは故意的なものだったらしい。
「やあ、ラビ」
「あんた、何しに来たわけ?」
眉根の寄った顔が、存外な一言を紡いで更に深く不機嫌で染まる。
どうしようもなくご立腹らしい。ラビは非常に感情が豊かだ。食えない性格をしていると思ったのに隅々に見えるゆ
とりの無さ。
喜びと怒りと悲しみ、悲しみ。不必要な感情がそこには実在している。
選ぼうとしているのではなく、ただそこにある。コントロールできないもの。
それは、ティキも一緒だった。
どうして自分がここにいるか。うまい言い訳もできないのだから。
わざわざエクソシストとノアだから、なんてお互いの気高く卑しい見地は斑な気質と等しく安っぽくて。問題はもっ
と違うところにあるまま。
「逢いにきたよ」
「俺は逢いたくなかった」
ラビの口調は容赦なく、攻めるようにティキを襲う。
いつもと逆。いつもは、ティキがラビを襲うのに。
逢いにくることは異常じゃない。でもうまくは説明できない。
誰かにやさしくすることは、異常じゃないけど、自分にとってはおかしなとこだった。
だから、うまく説明できないのだ。
誰かを殺すことは、決して楽しいことではないけれど罪に苛むほどのことではない。ティキはそういう人間だ。
人と関わることに意味はなかった。
絶妙な高揚を感じることができるスパイスでしかなくて、かといって非凡な日常でさえない。
ノアは人を超えているのだから、さらに複雑だ。
もっと、シンプルだったらよかった。
いつも考えて考えはいきどまる。結論はないのだ。人を超えた能力があっても、全ては解説できない。
正直小難しいことは苦手だ。でもラビと出会ってから考えるようになった。
ティキは繰り返し繰り返し愚だ愚だと自分の立場と、時の流れと、時代の流れと、世界の終焉などのことを感慨深く
遡るわけでもないけれど、求めるわけではないけれど良く思惟するようになった。
全て結果を生起したいわけでもなく、撞着も招いていることをただ理解することになるだけなのだけれど。
日常として、思考する。
「そろそろ、甘えたいかなって」
「・・・馬鹿にしてんのさ?!」
大人ぶって、悠長なそぶりを見せながら、子ども扱いされるとむきになる。
カッ、と赤くなったラビは、次第に逆上も越して複雑な表情になった。
こういう意外な一面のわけとか、考えると面白くて。
「あんたは、どうして、そう自分勝手なわけ?!」
「心があるうちは、甘える相手も必要でしょう」
「・・・揚げ足取りさ・・・っ!!」
ブックマンに心が無いから、そんな理由だけで最初ラビはティキに好きに抱かれていた。
でも、どんどん余裕がなくなっていく。
ティキはわざわざラビに「どうして抱かれているの?」なんて洗練されていない質問はしないのだけれど。
ラビが言う。「心がないから」受け入れることもしないし、拒絶もしない。
言い訳みたいに、一つの夜が終わるたびにラビは言う。自分に、言い聞かせるように。一夜の自分と決別するように
、人としての道理さえも犯せない領域を確信させるように。
抱かれている最中のラビは、泣くし喚くし酷く、人間的なのに。
「おいで」
「帰れ」
「帰るって、何処に?」
その様子が、おかしかったのに。
今ではそうじゃないと、物足りない。
余裕でなんて、いさせたくない。
でも、優しくしたい。
無茶苦茶にしているのに、大切にしたいと思うこの歪んだ感情が、いつも頭でわかっていながらどう処理していいか
わからないまま。
ラビのごくりと固唾の飲み込まれる音が耳に届いて、ティキはラビの手首を掴んだ。
わからないまま、それでも今はいい。今は。
「今夜はラビが寝るまで、此処にいたいよ」
有耶無耶で正常な形にもロジックにも当てはまらない関係。今言っている言葉の意味も、本当は全然自分ごとじゃな
いみたいなのに。
お互いがそこに居るということ以上は一層濁っていて。
「…ティキ……」
消えそうな横顔に、心臓が苦しくなる。
そして、無理にでも無感情に、曰く大人に、超越したブックマンになろうとしているから、たまにどうしても否定を
してやりたくなる。
お前は誰をみているんだ。今目の前にいるのは自分なのに。
腹がよじれてしまうぐらいに、沸々と沸き起こるこれはなんだろう。
いつか、世界が終わっても。ティキかラビのどちらかがなくなってその証拠さえなくなってしまっても。
消えない傷を、残して。
「まだ、一緒にいようよ?」
諦めて、とティキはラビの腕を強く引いた。梯子の上から、二人は盛大な音を立てて落っこちてゆく。
もっとうまい言葉で誘惑することだってできるのに。
ラビがどう受け取っているかは、汲み取りやすくて、疑心を買っているとわかっているのだけれど。
難攻不落すぎて憎らしいほど操れないから。
もう、一緒に堕ちていくしかない。
「…っ!!」
「・・・イッテ・・・」
腹の上でラビを受け止めたティキは、尻やら背中やら体外の鈍痛に細長い眉を寄せるが、ラビを抱える痺れる腕に力
をこめる。
「ぁ、ぁ、あ、アンタ!危ないさ・・・!」
その力に反発して、ティキを下敷きにしたおかげで外傷はなかったラビが慌ててティキを引きはがすものの、おろお
ろとティキの体を上から下まで視線で舐め回ると、襟元を掴んで揺さぶった。
ティキがぽかんとして目を丸めていると、ラビは段々感情を荒げていたことに羞恥心がこみ上げ、耳まで紅くなった
。
無情に近い位置にあるべき若年の彼の動揺に、腹部が反応した。
この感情に名前をつけるなら。
「ごめん、ね」
「あやまるぐらいなら、するんじゃねーさ!」
「…ごめんね、でも、あいしているんだ」
欲情のことなんてもう知らなかった。でも迷わずラビの顎を掴んだ。このこみ上げてくる気持ちをどう伝えていいの
かわからない。こんな安っぽい言葉じゃ本当は物足りない。
誰にも理解されていない、歪んだキモチ。
でもそれでよかった。いつか終わるとわかっていてもこの快楽にどう逆らえるというのか。
この恋に、どこまでも堕ちていきたかった。
そう、これは、
確かに恋だったのだ。
end
前書いていたものを、少しシンプルにしてみた感じです。
だいぶ分かりやすくなってかなあ・・・と(でもいまいちわかりにくい)
うちのティキポンは、ラビが好きです。でもちょっと複雑なのです(表現しがたい!)
タイトルは、大好きなお題屋さんより