レプリカ・スノウ
灰色の町は寒々しい色。細かく降り注ぐ雪を易ともせず、弾む空気を隠せずにいる。寂れた町並みを歩きながらラビはこの時期はどこにいっても同じようなものだ、と無関心に思う。
「そこの橙色の髪の毛の、修道士さま。どうかお恵みを」
帰路を急ぐ足取りを遮る太い声に振り返ると、そこには知らない容姿があった。
「やあ〜、修道士様は気前がいいなあ」
宿場のラウンジは、夕飯時というのもありどっと混み合っていた。男のがなり声や艶やかな女の仕草の溢れた気安い場所に不釣合いの男二人。
テーブルいっぱいに料理を頼んだラビは倦怠感に苛まれ頬杖を付いた。
「だいぶ無理やりだったと思うんすけど」
「そうか?ただ、有り金尽きたから飯をおごってくださいーっていっただけじゃないっすか」
「ついてまわって離れたなったじゃんか」
ラビの文句に小汚い男はあっけらかんと笑い、能天気に頭を掻くと言い訳もなく食事に戻ってしまった。ラビは更に呆れたが二の句は継げなかった。
しっかりがっしり食う男だ。あまりの豪快ぶりに、感心して息がこぼれて収まってしまった。
男に声を掛けられて、宿場に引きずり込まれたのはもう三十分も前の話。どれほど腹が減っていたのかは机に積まれた汚れた皿が奇麗になる工程の早さが物語っている。
ラビは一つ炒め物を摘んで、結局箸を下ろした。男が大口でがっつく仕草を眺めていてとうにはらがいっぱいだ。
あきれたもんだ。乞食さ加減に威厳がある。物乞いのくせに、一度隙を見せればまったくもって遠慮がなかった。飯をがっつく様子は慎むどころか味わっていさえいない。習慣になっているということだろう。
男がラビを上目に見る。
「くわねえの?」
男が敬語もなく、まるで自分の皿のように料理を差し出した。
「全部食ってよいさ」
左目を細めて顎をくいっと上げると、男はきょとんとした。
「ヤサシーっすねー、修道士サマ」
棒読みじゃねえか。この厚顔無恥。
にかっと笑った仕草に、笑みもなく小さく悪態をついてみたものの、男は意味がわかっていないようだ。そうだろう。乞食が熟語など知っているわけもない。
どうしてこんな日に自分はこんなところにいるのだろう。それもほぼ独り。目の前の男が殆ど無視。そ知らぬ横暴に巻き込まれているだけなのだから、どれほど悲しくてもいきずりに寂しさを紛らわしたなんてプライドが許さない。
どうせなら可愛い女の子がよかったのに。ほとほと神様には嫌われているみたいだ。こんなのにつかまるなんて自分の中ではかなり不幸。世界一、だなんていいませんけど。そんな宗教じみた教訓を口にする趣味はない。
「ごちそーさま」
行儀よく、大きく手を合わせて乞食は頭を下げた。
頬から手を離してそのわかめ頭をじっと見詰める。何か言ってやろうか、と言葉を用意したものの感嘆とともに形もなく空気にまぎれてしまった。
此処まで奇麗に食われるとにべもない。狐に摘まれたと思えば良い。
時刻はすでに20時過ぎ。
素面の客のいない宿場にも厭きていたところだ。さっさと宿をあとにしよう。
「はいはい、お粗末サマさ」
「こんな豪勢な飯は久々だったわ」
代金は二.五人分。仲間内にはもっと豪勢なやつもいるので驚きはしないけれど、男の針金のような体の何処にあの食料が消費されていったのか不思議なものだ。
隣に並んだ男は、体格が良いが見るからに無駄な贅肉がない。
太い腕はそれなりの筋肉がついているのであろうだ。ただの人間だとわかっていたのでイノセンスをつかった抵抗はできずとも、それなりに鍛えている自分がびくともしなかった。筋力勝負じゃ話にならなくておめおめと宿屋に入ることになってしまったのだから。
「早く仲間見つけろよ」
「はいはーい」
食事の合間にわかったことは、長身の男が仲間と逸れてしまっているということ。男は其の日暮らしで町から町をわたっているということ。そして二十六歳だということだけだった。
普通なら大事なことを聞き忘れているが、必要ない。
愛着の湧くようなものは切り捨てている。向こうは向こうでこっちを好奇心の隠れた目でみない。なら、商談は成立。お互い程よい距離をとったまま。
「んじゃ、この辺で」
「ぁ、ちょっとまって。お礼させて」
暗い街路をじゃりじゃりと二つの足音だけが響いていた。
外套とマフラーに顔を埋めたラビは、眉を寄せて横目を向ける。ここいらでさようならと別れを切り出すと男が慌ててポケットを探った。
にこ、男が笑った。
「手ぇ、だして?」
「ん?」 いぶかしむも無理やり手首を握られて、広げられた手のひらに落ちた小さな雪の粒たち。
いや、違う。これは…塊。真珠だ。
「…ナニ、コレ」
「前働いていた町が港町でさ。海で取れるもので、貴重なんだって。修道士さまのあげる」
「これ売れよ」
「あれ、喜ばないの?!お礼なのに!」
ひどいなあ、と男は肩を竦めた。
冷たい手のひらで転がる五個の白い真珠。
今にも降ってきそうだ。
今日はクリスマス。
「さながらクリスマスプレゼント、ってことでさ。ね?」
受け取ってよ。男が首を傾げて、ラビはその結晶を見つめた。外に出しっぱなしの手のひらは凍えそう。じくじくと指先から冷気が体を侵略してくるけれど、魅せられた。
高価なものだ。魅入られるほど透明な光を発している。一目でわかった。これを売ればそれなりの金になる。
金がないって泣きついてきたのは何処の誰だ。
「やっぱ、もらえない…ぇ、ちょ、あれ?」
目の前にいたはずの男がいない。慌てて振り返ると、道を逆走していた。
「ちょ、こらーーー!置いてゆくな!いらねーしっ!」
「まあまあ、そんなこと言うなよ!素直にもらっとけ!」
五メートル以上距離が離れていて、叫び合う言葉は冷気に反響して無駄に拡大した。
ラビは走り出そうとする。
しかしそれを男が制した。ラビに見せ付けるようにして開かれた手のひらからでてきたのは、大きな羽を持った蝶々、ティーズ。
「メリークリスマス!」
ふわり、と浮いてゆく男。
ぎゃあ!ラビは奇声を発した。
せっかくこれまで小賢しい男に知らぬぞんぜぬを通していたのに、最後の最後でこの仕打ち。こんなお別れの仕方があるか。反則だ!
「…死ね、馬鹿ティキ!!」
黙っていた名前をようやく叫んだ。
ティキは快活に笑う。
「言葉が過ぎるぜ、マイラビット」
こんな風に結局わめくのは自分で、感情を切り捨てられないでいる自分を知らしめるきっかけをもらった。全身の為にといえどありがた迷惑な贈り物。無形のものだというのに、体の中心を痛めつける。
四方八方する自分を楽しむティキに腹が立つから、無視していたっていうのに。
「…いっぺん殴らせろぉおお!!」
「かわいげないこと言うなよ、ラビ」
またな。
ティキは姿は、闇の中から現れる本物の雪の結晶のように消えていった。
残ったのは、冷たい偽者の雪と、少しでも浮かれていた気持ち、そして後悔。
くしゃりと自分の顔が、思いっきり泣きそうになったのがわかった。どうしてもっと、とか思っている。ラビは投げ捨ててやろうかと手を振り上げて、唇をかんだ。
手のひらの雪の結晶を、消えないように握り直した。