リストバンドカット | ナノ


 真田は教室の席に座り、新しい空気を肺深くまで吸った。
 季節は春、無事高等部へと進んだ真田はクラスの面々を見回した。
 ほとんどが中等部からの持ち上がりのため、何が真新しいというわけではないが、不思議と空気が心をざわつかせるように波打っている気がして仕方がない。

「みなさん、高等部進学おめでとうございます」

 担任らしい男性教師の話を聞きながら横目で窓の外を見ると、満開の桜が風に吹かれて散る様子が視界に入る。
 穏やかな日差しも、温かな空気も、この日ためにあるように当たり前のように存在している。
 あの全国大会の後、唯に会うことは一度としてなかった。
 支離滅裂な言動も上下の激しいテンションも、数カ月も経てば懐かしい過去になってしまう。妙に掴みどころのない雰囲気を持っていた彼女らしいと言えばそこまでなのだが、本当は唯という少女がいないのではないかという錯覚すら抱いてしまう。
 けれど部屋の机上にある黒いリストバンドの存在がそんな馬鹿な話あるわけあるまいと言っているようで、真田は知らず心のうちに苛立ちに近いもの感じていた。

「弦一郎」

 名前を呼ばれて顔を上げると不思議そうな顔をした柳がいた。
 周囲を見回せば大半の生徒たちは講堂に移動したらしく人影はまばらだった。どうやら自身が認識していたより考え込んでいたらしい。

「移動するぞ」

「ああ」

 席を立ち上がり、教室を出る。廊下はまだたくさんの生徒で溢れていた。


 理事長の話が終わり校歌斉唱をすればすぐに始業式は終わり、新任の教師の紹介や連絡事項の伝達がされる。
 それらが終わると生徒たちはざわつきながら教室へと戻っていく。真田も教室へ戻るために出入口へと足を進めた。

「真田くん、これ落としたでしょ」

 何をだ、と疑問を持ちながら後ろを向く。
 すると眼前にありえない大きさの球体がありさすがに後ろに一歩下がってしまった。

「何をする!」

 いつもの叱責を飛ばす。大体の人間はこれだけで怯むのだが、声をかけてきた本人はおかしそうに笑い出した。
 その聞き覚えのある声にまさかと視界を下げる。

「やーい引っ掛かってやんのー」

「唯…!?」

 立海大付属高等部の制服を着た唯は左手に持ったテニスボールを握り潰すように握った。

「あー、先輩付けないとダメなんだ。わかってる?真田クン」

「ここの生徒だったのか」

「単位ギリギリ、無事進級したんだよん」

 嬉しそうに笑いながら腰に手を当てて「さて問題です」と話し出す。

「じつは立海の生徒で先輩だった唯さんに対して、君の態度は変わるのか、変わらないのか!?」

 言われて確かにいかに唯であろうと先輩には礼儀を持って接するべきか一瞬悩む。

「必要性を感じんな」

 結論はすぐに出た、そもそも悩む必要があったかも怪しい。

「うん、その判断は正しいね。今更だしキモいし」

 そして唯もその言葉に深く頷いた。その顔はとても血色が良く体調は問題なさそうに見える。ボールを持つ左手から、ブレザーから覗く左手首にも新たな傷はない。

「あたし、結構やるでしょ」

 何がとは言わない。けれど言わんとしていることはよくわかる。

「うむ、中々やりよる」

「じゃあ改めまして自己紹介しようかな」

 柔らかな笑顔で、真田のそれよりはるかに小さい左手を差し出してくる。

「月丘唯です、よろしく」

 真田も微笑み左手を出し恐る恐ると、けれどしっかりと手を握る。

「真田弦一郎だ、よろしく頼む」

 その言葉に互いに力強く手を握り合う。その手の温かさに唯は涙が出そうなふにゃりとした笑顔を、真田は嬉しそうな笑みを浮かべた。


あとがき




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