晴れた夜空を指差した | ナノ


 昼休み、俺は階段を降りて二年の教室のある階に向かう。目的の教室に近づくと、目当ての人物が教室から出て来るのが見えた。

「青空」

 声をかけるといつもの微笑が見える。

「英和辞書貸してくんない?」

 さも当たり前のように手を出して要求してみると、いつもの爽やかな微笑が固まってどんどん黒い何かが溢れ出しているような、気がする。

「…貸してください」

 片手を出したまま頭を下げてみた。何だか頭上のオーラが増した。
 いかに普段空気を読まない俺でも、今顔を上げる勇気はない。





 経緯としては、まず不知火に借りに行った。この前奢らせたタコ焼きのことでグチグチ言われたあげく、貸してくれなかった。あいつは生徒会長を辞任すべきである。
 次に金久保のところに行った。どうやら今日は英語の授業がないらしく、すごく申し訳なさそうに謝られた。こちらこそ申し訳なく思ってしまった。
 最後に絶望しながら白銀に頼んだら見返りに最新のカメラレンズを要求された。貸すつもりもないくせによくもまあ口が回るものである。
 そこまで話したら「もういいです」と話を切られた。

「天野先輩、教科書類を忘れるのは感心できることではありませんよ」

「だろうなぁ」

 教師のようなことを言う青空は、事の経緯に不知火が含まれていたからか、仕方なさそうに辞書を貸してくれた。
 まったく折目も汚れもない辞書は開くのも怖い。間違ってもマーカーなど使わないようにしよう。

「そもそも後輩に借りに来ることもおかしいかと」

「頼りになりそうなのがお前しかいなくてなぁ」

「あまり嬉しくありませんね」

「あ、そう」

「ところで先輩、翼君に会ったそうですね」

 突然言われて意味どころか「ツバサクン」が誰かイマイチよくわからなかった俺に、青空は「生徒会会計の天羽翼君ですよ、まさか忘れたんですか?」と若干トゲのある言葉をくれた。

「あーはいはい会った会った。へんてこなあだ名くれちゃった奴な」

「彼が先輩のことを話してましたよ。懐かれたようですね」

「そうかぁ?」

「そうですよ、翼君は少し人を遠ざけるタイプだったので驚きました」

 柔らかな微笑を浮かべる青空の言葉を聞いて納得した。たしかに初めて目が合った瞬間はそんな感じだったような気がしないでもない。

「青空は未だに懐いちゃくれないけどな」

「懐いてほしいのですか?」

「んーいいや、そういうのメンドイから」

「言うと思いました」

 言外に何故懐く必要が、と言われた気がしないでもないのは勘違いか。けど初めて会った時から、何となくコイツはそういう奴だと感じていたからいいのである。

「そろそろ予鈴がなりますよ」

「おっと、課題写さねーと」

「課題も他力本願ですか?」

「へーへー」

「先輩はやる気という以前に意欲も欠けているようですが、とりあえずまず課題の意味を正しく理解して」

「あーマジ予鈴が鳴りそ、俺戻るわー」

 面倒な説教が始まりそうな雰囲気に嫌な予感しかしなかったため、足早にその場を去ろうと足の向きを変える。

「まったく…ああ、先輩、一つだけ」

 呼び止められて、一つだけならと青空のほうを向く。

「僕はわりと先輩に懐いていますよ」

 にっこり。清々しさが逆に悪意の固まりのようにしか思えない笑顔で言うと、あっさりと教室の中に戻った。

「キモ」

 ぞわりと立った鳥肌をさする。素直な青空は大変精神的に悪い、いや多分わざとだろうけど。
 嫌味な奴め。と呟いて腕をさすりつつ、呑気に鳴り響く予鈴を聞きながらゆっくりと自分の教室に戻った。




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