商人と少女

神父の死をきっかけに、ノワール家の愚業が白日の下に晒された。

人々は驚いた。あんなにも善い人だったのに。優しい人だったのに。

人々は恐怖した。若いのにもかかわらず、俗欲のない、聖職者の鑑とも言われた彼が御法度とされる黒魔術の行使。そして、人身御供として多くの娘を殺してきたこと。その力によって、領民たちを従わせ、圧政を敷いていたことに。

人々は口を揃えて言った。
きっと、彼は恨みを持った遺族に殺されたのだろうと。天罰が降ったのだろうと。




あの日以降、セシリアが亡霊の姿を見ることはなくなった。
もしかしたらなんて、僅かな期待をしながら、墓地へ向かってみたりもしたけれど、そこにあったのは月明かりに照らされた墓石が佇んでいるだけだった。


―――もしかしたら彼そのものが私の幻想だったのかもしれない


そんなことを考えながら、今日もまた教会前に散らばった落ち葉を箒で掃く。
今この教会の管理をするのはセシリアと二日に一度、様子を見にきてくれる顔見知りの町人だけだった。

そして今日はその顔見知りの町人が来る日。
早く掃除を終わらせて、お茶の準備をしようと箒を動かす手を早めようとしたとき、ふと背後から誰かの声がした。

カシミアのコートに光沢を放つ革靴。
山高帽に銀縁の眼鏡を掛けた紳士風の男が立っていた。


「貴方が……、シエラさん?」
「え、あ、えっと」
「失礼。私としたことが。今はまだ、セシリアさんといった方が良かったですね」


改めてその名前で呼ぶ彼にセシリアが頷くや否や、あれほど毅然とした様子だった男の顔がみるみるうちに和らいでいく。


「よくぞ御無事で……。ずっとずっと貴方のことを探しておりました」


糸が切れたように彼女を抱き締め、そう話す彼の声は、か細くて今にも消えてしまいそうな声だった。


◆◇◆


「先程はとんだご無礼を。どうかお許しください」
「本当に大丈夫ですから、そんな落ち込まないでください、アーシェングロットさん。紅茶が冷めちゃいますよ」


と彼女に勧められ、少し緩くなった紅茶を飲む男。
名前はアズール・アーシェングロットという。ここからうんと離れた街に住んでおり、人を惹きつける話術で数々の取り引きを成功させてきた凄腕の商人だ。


「この味……」
「どうかされました?」
「ああ、いえ。久しぶりに飲んだなと思いまして」


そう言って、彼は陶磁器のカップをソーサーに置いた。
そして、眼鏡の奥を光らせながら、ゆっくりと薄い唇を動かした。


「単刀直入に言います。私は貴方を養子にするためにここに来ました」
「養子……?!」
「はい。そのためにずっと貴方を探し続けていました。十四年もの間」


戸惑いを隠せないままのセシリアに彼は続けていく。


「これでも私、貴方のご両親とは学生時代からの古い知り合いだったんです。お父様に関しましては特にね。それで卒業後も彼らとは交流を続けていました。まあ、覚えていないでしょうけれど、実は貴方にも会っていたんですよ」
「……そうだったんですね」
「ええ。本当に幸せそうでしたよ、貴方たちは。だから、二人が殺されたと知らされたときは信じられませんでした。何かの間違いに違いないと。でも、行ってみたら、ようやく気付かされました。嫌でも認めざるを得ない光景が広がっていたのですから」


彼は惨劇の舞台を思い出し、重いため息を吐くと、気を紛らわすかのように紅茶をグッと飲み干した。


「だから、そのとき、心に決めたんです。残された身として。友人として。何がなんでも貴方を探し出し、彼らを殺した人間から連れ戻すと。しかしながら、手がかりを見つけるのに難航してしまい、気がついたらこんなにも月日が流れてしまっていた」


「さぞ辛い思いを、苦しい思いをしてきたでしょう」と彼女に合わせる顔がなく、眉間に皺を寄せる。
しかし、そんな彼にセシリアは軽く首を振った。


「いいえ、アーシェングロットさん。私、ちっとも辛いなんてこと、思ったことはありませんよ」
「何を言うんですか。そんな気を使って建前なんて」
「どんなに辛いことや悲しいことがあっても、いつもそばにいて、励ましてくれる人がいたんです。誰よりも優しくて、誰よりも温かい人。もう会えないけれど、その人がいたおかげで、私、ちっとも辛いなんて思ったことはありませんよ」


ふわりと音を立て、綻ぶ口元。
見つめるだけで、吸い込まれる夜空に映える金色の双眼。
鮮やかなで緩やかな彼女の表情にアズールはかつての友の姿と重ねずにはいられなかった。


―――嫌だな。お前たちと……、貴方たちにそっくりじゃないか


「見る限り、貴方は一人でもう十分そうですし。養子についてはあくまでもただの提案に過ぎないので、どうぞ忘れてください。ただ、外の世界に興味があるなら、別ですけどね。でもまあ、この田舎くさ……長閑な町に住むのも悪くはないと思いますよ」


と言って、掛けてあった帽子とコート、杖を持ち、上品そうにお辞儀をすると部屋から出ていった。

太陽の光が差し込む部屋の中、一人取り残されたセシリアは彼の言葉が頭から離れないでいた。


―――あの人について行ったら、もっと違う世界が見えるかもしれない。この教会よりもうんと広く、この町よりもずっと広い、そんな素敵な世界に私も……


「……行きたい」


急いで部屋を出て、軋む階段を駆け降りる。大理石の礼拝堂を抜け、重厚な扉を開け、町へと続く小道を走り抜けていく。


「あの、すみません!」


ずっと先にある小さくなった彼の背中に向かって、声を張り上げる。


―――ねぇ、魔法使いさん。ちょっと不安だけど。本当にあっているかわからないけれど。自分が正しいと思った道を早速歩んでみようと思うの。自分を信じてみたい。だから、どうか、どうか、こんな私をどうか、見守っていてください。


秋風を切る彼女の頬をいたずらに撫でる爽やかな風。
健気な少女の願いは雲ひとつない澄んだ空に真っ直ぐに届いていった。



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