フランは悩んでいた。
右手にはハサミ。左手には前髪だったものたち。
そして、目の前の鏡には大胆という言葉通り、バッサリと前髪を切り去った自分の姿が映っていた。


「―――……切りすぎた」


これならまだパッツンの方がまだマシだと後悔しようにも時すでに遅し。
眉よりも遥か上に掛かる髪を触ってみれば、何をどうしたらそうなるのかと(切ったのは私だけど)尋ねたくなるくらいにガタガタだ。

入学を機に少しはオシャレをしてみようかと思って、一世一代の思いで買ってみたファッション雑誌。
流行りのブランドやらメイクの仕方やら靴だの服だの。どれもこれもオシャレなものが紹介されており、ページを捲るたびに感嘆の声が漏れて仕方なかった。

まず、何から変えていこうかと考えた末、幼い頃からあまり髪型を変えてこなかったことに気づき、なら、髪型からにしようと決断し、安易な気持ちでハサミとクシを持ったのが間違いだった。


「こんなんじゃ、外に出られないって……」


鏡の中の女の子が涙目で睨み込んでくる。
そんなに睨まなくたって。泣きたいのはこっちも同じだよ。あ、鏡に映ったのは私だった。

受け入れたくない現実を受け入れ、はあ、と深いため息を漏らした。


◆◇◆


前髪のことが気になって授業の内容は一ミリ足りとも入ってこなかった。
バレないように話しかけられないようにと一番隅の席に座り、教科書で顔をガード。休み時間中はうつ伏せになり、寝たフリを貫き通し、なんとか昼休みまでやり切った。

購買でフルーツサンドを買い、人気の少ない中庭を歩きながら、前髪のことを考える。

髪が伸びるのってどのくらいかかるんだろう。
伸ばす薬とかないのかな。ああ、でも、この前クラスの男子がふざけて使っているのを見たとき、全身毛むくじゃらになっていたっけ。いくら髪を伸ばしたくても、ちょっとアレは無理かな。

寮長には悪いけれど、明日のシフトを休むことを後で伝えておこう。そしてしばらくはお休みをいただけないかお願いしよう。
とてもじゃないけど、こんな前髪で人前に出られる自信がない。(いや、元から人前に出るのは好きではないけれど)

ましてや、フロイド先輩なんかに見つかったりしたら……。

さあーっと、血の気が引いていく。
悪いことを考えるのはよそう。それだけで気分が重くなる。何か他にもっと楽しいことを―――。

と、噂をすれば、前方から背の高い人影が。
早速、お出ましなんて聞いていない!ヤバい。マズい。逃げなきゃ。でも、どこに?

一人芝居のごとく、自問自答を忙しく繰り返していると、ばっちりと目があってしまった。


「あ〜、なんかいると思ったら、ヒラメちゃんだぁ」


先輩は何か面白い玩具でも見つけた子供のような声と目を向けながら、歩み寄ってきた。
げっ、と声を上げるよりも逃げるよりも先に、何としても前髪を死守せねばという一心で自然と両手が動き、前髪を抑える。ボトッとフルーツサンドが地面に落っこちる。


「こんにちは、先輩。今日はいい天気ですね」
「めっちゃ曇ってるけどねー。てか、なんでおでこ抑えてんの?」
「いや、ちょっと色々諸事情ありまして。さっきそこの角でぶつけてしまいまして」
「なにそれウケる。普通に歩いていたらぶつかることないのに。ヒラメちゃんったら、ホントにマヌケだねぇ」
「あはは……」


安定の辛辣ぶり。だけども、辛酸を嘗めるのはもう慣れている。毎日のように浴びせられているのだから。


「でも、医務室に行った方が良くね?ほったらかしにしてると跡が残っちゃうんじゃないの」
「ご心配なく!こう見えても石頭なので、なんのこれしき……ひゃっ!」


突然、伸びてきた先輩の手に前髪を抑えていた両手が退かされる。
額に感じるのは清々しいほどの爽快感と先輩から向けられる痛々しいほどの視線。

終わった。穴があったら入りたい。すごく。猛烈に。
どなたか、人が一人入れるほどのちょうどいい深さのある穴をご存知ではないでしょうか。


「―――……似合ってんじゃん」
「……は?本気で言ってる?」


思わずタメ口で聞き返してしまった。
やらかした!と咄嗟に口を噤むごうとするが、先輩は至って気にしていない模様で「うん、そうだけど」と返してくれた。

ヒラメちゃんが切ったの?とオン眉にも程がある私の前髪を弄りながら尋ねてくる先輩に、こくりと頷けば、やっぱりね〜とケタケタと笑う。
私が切ったのだと、わかっておきながら、ワザと聞いてきたようだ。


「笑えばいいですよ。気が済むまで笑えばいいじゃないですか」
「あれ?ヒラメちゃん、なんかちょっと怒ってね?」
「怒ってませんよ。ほら、どうぞ!もっと近くで見て笑ってください!怒りませんから!」
「あはっ、ハリセンボンみたいに頬膨らせて、めちゃくちゃ怒っちゃって。でも、ヒラメちゃんが思うほど悪くないと思うけどなぁ」


上げて落として上げて落とす。
急上昇、急降下で走り抜けるジェットコースターみたいな人だ。


「だけどー、もうちょっと手を加えたほうがいいかなー」
「手を加える?」
「なんかクシとか持ってる?ちょっと貸してくんない?」
「えっと、持っていないです」
「あっそう。まあ、いいけど」 


と言って、先輩がペンを一振りすると、何もなかったところから、たちまちクシとヘアゴムが現れた。

魔法だとわかっていても、すごいものはすごい。
感嘆の声を上げていると、「ヒラメちゃんって、意外と身だしなみとかに無頓着だよね」と正しくもキツーいお言葉をかけられ、胸が痛んだ。


「はい。じゃー、ここに座って」
「え」


ベンチに腰掛けた先輩が座るように指し示めしたのは、膝の間にできた隙間。

そこに座れと?正気ですか、先輩。

いくら周りに人がいないとはいえ、ここは中庭だ。
移動教室に向かう生徒が近道として通ることだってある。それで、もしも、誰かに見られたりなんかしたら……。


「いいから、さっさと座れよ」


どうしようかと躊躇していると、痺れを切らした先輩に急かすようにジロっと睨み込まれる。

「は、はい!ただいま!」

その低い声と泣く子も黙る視線に鞭を打たれた馬のごとく、先輩の脚の間にすっぽり座る。

ジャストフィット……、シンデレラフィット……。
なんて馬鹿なことを頭に浮かべていると、「ちょっとだけ動かないでよー」とすぐ後ろから降ってくる声と共に、髪をとかれる。
そして、髪を少しだけ掬い上げると、迷いのない手つきで動かし始めた。

何をされているのだろうと少し不安になったが、動いたら後々怖いので、大人しく待つこと数分。

「はい、終わりー」という声と共に差し出された手鏡。
恐る恐る覗き込んでみると、そこには肩まで伸ばされていたはずの髪が二つに分けられ、緩く編み込まれていた。お堅いイメージが強い三つ編みがこんなにも可愛らしく、ふんわりとしたものになるなんて。
肝心の前髪はというと、長さは変わっていないものの、三つ編みとマッチしており、不自然さを全く感じさせないものとなっていた。

鏡の向こうに映る別人の私は目をキラキラと輝かせ、こちらを見つめている。

「どおー?気に入ってくれた?」
「もちろんです!先輩、天才ですか?美容師の学校にでも行っていたんですか?」
「別にー。パッと頭に思い浮かんだイメージを多分こうだろなって思いながら、なんとなく、やっただけ」


なるほど。感覚で何事もできちゃうタイプですか。学年に一人はいる天才肌という類の方でしたか。

それにしても、本当に可愛い。自分じゃないみたい。
鏡をジッと見つめては、感嘆の声を上げる私に先輩は「見惚れすぎ」と面白そうに笑った。


「先輩、ありがとうございます……!もう一生髪の毛洗いません」
「それは流石にやめよ?汚い」

前髪切りすぎ注意報



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