死んだ恋人と瓜二つの彼だか性格のほうは少し違う。
今日のように水曜日の午後になると、必ずやって来ては、珍しい苗がないかとか育てているシメジが云々と話しをしては去っていく。不本意にも顔も名前も覚えられた挙句、終いには「桶が歩いていると思った」と水が入った桶を運ぶ私に向かって煽りの一言。完全に舐められている状態だ。
アラサーの女をからかって何が面白いんだか。付き合ってられないったら、ありゃしない。
ああ、やだやだとシュガーポットから角砂糖を取り出し、すっかり冷め切ったコーヒーへと入れていく。一つ、二つ……いや、今日はこの辺にしておこう。
「珍しいですね。いつもなら、少なくとも五つは入れるというのに。もしかして、ダイエット中ですか」
「……ッブ!」
「おや、図星だったようですね」
図星だったようですね、じゃない。
こっちは噎せかけたというのに愉快に笑いやがって。ああ、汚い。最悪。
手で口元を拭おうとすればそれを遮ってハンカチが差し出される。だが、清潔感のあるもの。ましてや、人の物を汚してしまうことに躊躇していると、「どうぞお気になさらず」と私の心中を察したかのように言った。断るのも逆に失礼にあたると思い、渋々、差し出された親切を受け取った。
だが、彼の口から出た、“ダイエット”というデリカシー皆無な五文字はどうも聞き流すことができない。
大人げないとわかっている。自分よりも一回り下の高校生に目くじらを立てるだけ時間の無駄だと。だけど、こればかりは抗議せずにはいられず、コーヒーを一気に飲み干し、礼儀知らずの青年を睨みあげた。
「ダイエットなんかじゃありません!健康!健康のために減糖していただけだから」
「健康……ですか」
「この歳になると色々と考えるんだよ。私もリーチくんくらいの頃はカロリーなんかガン無視で、どんだけ食べても大丈夫だったんだけどなぁ」
「いえ、今も変わらずお綺麗ですよ」
「年上をからかうのも大概にしときな〜」
「まさか。本音ですよ」
見た目こそは気持ちが悪いくらいに礼儀正しく、真面目な風貌だが、腹の底は何を考えているのか全くわからない。見通せない。最近の高校生というのは、こんなにも大人びているものなのかしら。
「ませたこと言うね。こんなところでアラサーのおばさんを口説いている暇があるなら、魔法陣の一つや二つ覚えた方が良いわよ……って、あれ?今日はバイトじゃないの?」
「ええ、水曜日は基本的にシフトを入れておりません。少しでも長く、貴女といたいので」
やっぱり、最近の高校生って怖い。いや、この場合は目の前の彼が特殊なのか。こんな歯に浮く台詞を躊躇することなく、はにかむこともなく、口にできるなんて。それに対して、ほら、こちらは苦いため息しか口にできない。
「そういう台詞は将来好きな女の子ができたときに取っておきなさい。きっと喜ぶだろうから」
皮肉なまでに端麗な容姿をしているのだから、同世代の女の子達が放っておくはずがないだろうに。こんなところで油を売っている暇があったら、もっと青春を楽しめ。まあ、そんなこと言ったところで、彼が耳を傾けることはないのだろうけど。
飲み干したコップを流し台に持っていき、ふと時計に目をやると時刻は18時手前を指していた。もうこんな時間。店仕舞いの準備をしないと。
壁にかけていたエプロンを取ると、店頭に並べていた苗木や花たちが傷んでいないか確認していく。
「勿忘草……?」
「あー、この花?よくわかったね。名前だけは知っているけど実物は見たことないっていう人が多いのに」
というか、まだそこにいたんかい。そんなツッコミはともかく、彼は眉をひそめ、疑問符を浮かべたような仕草を見せた。
「おかしいですね。確か春にしか咲かない花だと聞いたのですが」
「うん。本来は春に咲く花なんだけど……年中見たいっていう人が多くてね。だから、品種改良して一年中咲く花にしたの」
「そのようなことができるのですか」
「最近はそういう花ばかり。でも、花っていうのはその季節になってようやく見られるからこそ、綺麗だって思えるんじゃないかな」
少し折れかけた花にそっと触れながら、語りかける。
彼からしたきっと時代遅れの大人だと思われているんだろうな。
「……あ、そういえばこの前欲しがっていた品種の苗、手に入ったよ。店に届くのは明後日の金曜日くらいになるんだけど、空いている?」
「ああ、すみません、その日はシフトを入れておりまして」
「そっか……。なら、しょうがないね。また空いているときにでも取りにおいで」
どうせ来週にまた来るんでしょう?と予言してやれば、彼は来週の水曜日もシフトが入ってしまっていると眉を下げた。
聞くところによると、流行りのジュースを導入した途端、客足が一気に上がったらしく、嬉しい悲鳴をあげているそうな。
頼まれた物はできるだけ早めに渡しておきたい。何かトラブルがあったら大変だからだ。とはいえ、来週も来れないとなるとどうしようか。意味もなく、辺りを見渡していると、ふと壁に掛けてあるカレンダーの金曜日の欄に赤いペンで丸が描かれているのが目につくや否や、昼間にオーナーが言っていたことを思い出した。
「……じゃあ、こうしようか。今週の金曜日に届けに行ってあげるよ」
「よろしいのですか?」
「大丈夫、大丈夫。その日はオーナーが用事があるらしくって、午前で店を閉めるって言っていたから。そうだねえ、15時半くらいから空いている?授業とかそれこそバイトの時間と被っていたり……」
「18時からのシフトなので大丈夫です。それにしてもすみません。せっかくの半休なのにもかかわらず、お手隙をかけてしまい」
「いいっていいって。気にしないで。こっちとしてもなるべく早めに渡しておきたいからね。金曜日、15時半頃……場所はどうする?」
「温室はどうでしょう。その時間帯は授業で使われておりませんし、植物にとっても一番良い環境かと。それに花がお好きな貴女にぴったりな場所ですしね」
「最後の一言は無視するとして、あの馬鹿でかい透明な建物ね。そこなら私もオーナーと一緒に行ったことあるからわかるわ。金曜日、三時半、温室……っと」
忘れないようにメモ用紙に書き留めると、伝言用のコルクボードに画鋲でさした。こういうやり取り、ちょっと懐かしいなあなんて思いながら。