空想女とテレパス上司A


「……ふはっ」

突然聞こえた笑いが空気に漏れる音。不思議に思って、隣を見れば、ジェイド先輩が口に手を当て、肩を震わせていた。

え、ちょっと何。私、変なことをしたかな。
妄想が顔に出ていたとか?にやけていたとか?どうしよう。もし、そうだったならば、死んだほうがマシだ。

そう不安になっていると、いつの間にか笑いの満ち潮が引いたジェイド先輩が目でくいと前の方を指し示してきた。なんだろうと思いながら、彼の指示した方向すでに遅し。そこには不機嫌そうに眉をひそめる仁王像こと課長が睨んでいたのだから。




「おい、何をボサっとしとる」
「す、すみません。ちょっとくさピクミンが」
「くさピクミン?」
「触手プレ……ああ!何でもないです!」


課長はそうかとだけ言うと話を続けた。一気に注がれた熱い視線もパラパラと散っていき、ホッと胸を撫で下ろす。危ない危ない。こんな恥ずかしい妄想がバレたらもう終わりだ。冷や汗を拭いていると、課長が手を叩いた。


「―――ということで、コペンハーゲン支所から戻ってきた新しい部長をお呼びしております」


課長がそう言った途端、扉が開き、背の高い男性が現れたシュッと整った顔つき。眼鏡越しに見える透き通った瞳に癖毛なのかふわりと揺れる薄い銀色の髪。長いコンパスのような長い脚を動かしながら、ゆっくりと歩いてくる。


「本日からこちらの支所の営業部長を担当することになりましたアズール・アーシェングロットと申します。どうぞよろしくお願いします」


うっとりするほどに甘いマスクに目玉がおっこちそうになった。

王子だ。王子様がいる。色素の薄い髪にアイスブルーの瞳。こんなのお伽話しか見たことがない。そう子供の頃に夢見た絵本の王子様。

こりゃ、きっと、あれだ。信じていた家臣に謀反を起こされ、国を追われた若き王子。
その眼鏡は変装兼イケメンオーラで人々が気絶してしまうのを防ぐために掛けているに違いない。

コッペパン支社から来たとかどうのこうのと言っていたが、それは表向きでの言い訳であって、本当は亡命してきたのだ。そうだ、そうに違いない。


◆◇◆


「……キミというやつは大事な朝礼中にそんな下らない妄想を」
「だって、つい楽しくてやめられなくて」
「楽しいからって。その妄想のせいで自分の身を滅ぼしたりなんかしたらどうするんだ。話を聞いているだけでヒヤッとしてくる」
「えへへ、つい妄想が膨らんでしまって。すみません」

「えへへじゃない」と深いため息をつくのはリドルくん。
そして、その隣で苦笑いをするのはトレイ兄ちゃん。二人とも子供の頃から付き合いのある幼馴染みだ。

ちょっと厳しいけどしっかり者のリドルくんと優しくて頼りになるトレイ兄ちゃん。
実は言うと私はここで生まれ育ったわけではない。小学生の頃、父親の仕事の関係で今住んでいる街に引っ越してきた。引っ込み思案だった私は当然、周りに馴染むことができず、同じ通学団だったトレイ兄ちゃんに話しかけられたのが仲良くなったきっかけ。



「まあ、バレないように程々に楽しめばいいって話じゃないか。ところで、どんな人なんだ?その王子様っていうのは」

日替わりランチのハンバーグを突きながら、トレイ兄ちゃんが尋ねてきた。

「アーシェングロットって人でね。とにかく格好良くてね、ちょっと癖の付いた銀髪で薄い青色の瞳で。名前は忘れたけど、海外の有名大学院を主席で卒業した後、北欧のコッペパンっていう街で……」
「それはコッペパンじゃなくて、コペンハーゲンじゃないかい?」

てっきり話を聞いていないと思っていたリドルくんがスパゲティを器用にクルクルと巻きながら教えてくれた。

「あ、多分それ。そのコペンハーゲン支所で数年間働いて、今月帰国したんだって。でも、その正体は家臣に命を狙われたとある国の王子様。帰国したって言うのは真っ赤な嘘で、亡命してきたのが本当の目的で……」
「大臣の陰謀により国を追われた王子……。さっそく訳のわからない設定を考えているのかい」
「えへへ。だって、つい頭の中で勝手に映像が出てくるんだもん。あと、リーチ先輩達は王子のボディガード」
「よりによって、なんであの双子が出てくるんだ」


眉間にしわを寄せ、あからさまに嫌な顔をするリドルくん。リドルくんはリーチ先輩たちが苦手らしい。
一人は穏やかだが、腹の底が分からない。もう一人は気分の上がり下がりについていけない、とのこと。

空想をするぶんには美味しい二人だが、直接関わるのは私もちょっと苦手だ。
ジェイド先輩は優しいっちゃ優しいのだが、時折ぼろっとこぼす言葉が物騒なものだったり。上司の無茶振りに笑顔で応えているのだが、その中に薄らと墨を落としたような色が混ざっていたり。
フロイド先輩はリドルくんが指摘する通り、超が付くほどの気分屋だ。あと、のらりくらりとしており、全体的に苦手なタイプ。依頼された書類を渡しにいくときは、頭の中でどう逃げるかを何度もシュミレーションしてから、訪ねるようにしている。


「さっき三人でいるのを見かけたときに、仲良さげに話していたから、顔見知りなのかなーって。チェキ一枚撮るとしたらいくらだろう……なんてことを考えていたら、突然、リーチ先輩たちが揃って私の方を睨んできて……。もう、心臓が凍りつくかと思ったよ。多分、この会社に大臣の手先が潜んでいないか目を光らせているんだと思う」


夕方にやっている某有名時代劇の二人組の側近が頭の中に思い浮かぶ。リーチ先輩たちがあの側近役となると、話の終盤にある成敗シーンがとんでもないことになりそう。

「……何をどうしたらそんな考えが思いつくのやら。まあ、仕事に支障が出ない程度で趣味を満喫することだよ」
「はは、それにしても面白い設定だなぁ。その想像力を活かして、いっそ脚本家か小説家にでもなったらどうだ?」
「あ、つい昨日も二人と全く同じことをユウ先輩にも言われたんだけど」


―――もしかして、二人はテレパスなの?


空想の極めを果たしたユウの発言にリドルはますます頭が痛くなるのを感じた。相変わらずの苦笑いのトレイは引き攣りに引き攣った口角がもうそろそろ限界を迎える頃だろうと確信した。

賢い二人はもう何も言わないことにした。
これ以上、何かを話したとしてもユウの妄想に巻き込まれる近い未来が口を大きく開けて待っているだけだと。