「さっきは、本当にすみませんでした」
「いいよいいよー。そんなに謝らなくて。何度も謝られるのもなんかダルイから」
ひらひらと手を振りながら、笑顔で答えるのはフロイド先輩。
見た目はそっくりなのに名前は違う。
そう。なぜなら、彼はジェイド先輩の双子の兄弟だからだ。それを彼の口から知らされた途端、どうりで会話が噛み合っていないと納得がいった。
「でもー、くどくどと同じことを聞いてくるから、一瞬締めようかと思ったけど」
「ひえっ」
「なーんて。冗談だよ」
心臓に悪いことをサラッと言われ、ひゅおっと喉の奥が閉まる音がしたが、彼は屈託のない、悪気のない笑顔を浮かべている。
嘘か本当かわからない冗談を言うところは、どうやら兄弟共通なようだ。それにしても、兄弟揃って、背が高いこと。羨ましい。少しでもいいから、分けて欲しい気分だ。
「ところでさ、なんでこんなの読んでいるの?しかも、一人で」
うっ!痛いところを突かれてきた。
きっと、悪気は無いのだろうけど、グサッと音を立てて心に突き刺さるものがある。
「い、いや、何と言いますか……」
正直なところ、何も話したくなかった。
しかし、フロイド先輩から発せられる笑顔の圧力に圧迫され、ことの成り行きを暴露せざるを得なかった。
「―――という感じで。完全に乗り遅れたといいますか、周りに置いてけぼりにされてしまっているという状況でして」
「ふーん。つまり、ぼっちってことか」
「ぼっ?!」
聞捨てならない言葉に変な声が出てしまう。
「それ以外に何があるっていうの?あ、それとも自分がぼっちだってことを認めたくない感じ?」
と言って、先輩は向かいの席に座り、頬杖を突きながら、「図星でしょ?」と愉しむように笑う。だが、ここで「はい。そうです」と頷いたら、この失礼極まりないこの人に屈服してしまった気がして、悔しい。
「別にいいじゃないですか。一人のほうが、勉強にも集中できますし?それに、ほら。ここは学校です。勉強をする場所なんですから、友達作りだとかそういったものは全く……」
「へえ」
「な、なんですか、その顔は」
「いやあ?なんか、頑張ってんなあって。どうあがいたって、一人は一人に変わりないのに、必死になって、聞き苦しい言い訳作って、お疲れ〜って思っただけ」
「……え、ちょっ!」
手が伸びてきたと思ったら、頭をわしゃわしゃと撫でまわされる。
咄嗟の出来事に、「へっ?」やら、「はっ?」といった声しか出ず、固まっているわたしを面白がってなのか、フロイド先輩は頭を撫でまわす手を止めるどころか、勢いを増していくばかり。
小さな子供のように、力加減をしらないまま。
「あの、そんなに撫でないでください。せっかくセットした髪が台無しじゃないですか」
「いいじゃん。セットしてもしなくてもそんなに変わらないから、安心しなって」
またしても、心に弓矢が突き刺さる。いや、そんなことで感傷に浸っている場合じゃない。
頭の上で好き勝手に動き回る手を取り払おうとするが、びくともしない。なんて、力なの……!
やめてくれと言わんばかりの視線を向けてやるも、効果は無し。完全に自分の世界に入り、楽しんでいらっしゃる。
もう、いいや。煮るなり焼くなり好きにして……と物憂げに浸っていると、頭を撫でまわす手がピタリと止まる。
「そんなに退けて欲しければ、さっさと認めなよ」
「はい?」
ワントーン低く、落ち着いた声で囁かれる。
「訳の分からない意地張ってないで、自分がぼっちだってことを」
「いや、だからそれは!」
「じゃあ、もっと撫でてあげる」
「もう!わかりましたよ!わたしはぼっちですよ!」
「あは、やっと認めたー」
「そっちが認めさせたんでしょうが……」
「あ?何か言った?」
「いえ、なんでもないです」
ひえ、恐ろしい。小さな声で呟いたはずなのに、拾われてしまうとは。なんて、地獄耳の持ち主なんだ。
背中を嫌な汗が伝っていくのを感じる。
フロイド先輩は約束通り、頭の上から手を退けてくれた。頭の上から降ってくる、ケタケタとした笑い声に見えない涙を呑んでいると、「んで、ヤドカリちゃんは〜」と声が降ってきた。
「ヤドカリ?!」
「うん。泡を吹くところとか、開きっぱなしの教科書を頭に乗っける姿がヤドカリみたいだから。どう?結構、良くない?」
と言って、鼻高々と同意を求めてくる先輩。
「は、はあ……、いいと思いますよ」
否定できるはずがない。
もし仮に、「全然、良くないですよ。わたしのどこがヤドカリなんですか?フロイド先輩、ネーミングセンス皆無ですね」なんて言ってみろ。この羨ましい限りに長い腕で締め上げられるに決まっている。ジ・エンドな未来が待っているほか、何がある。自分の身を守るためにも、ここは頷いておくのが一番だ。
うんうんと心の中に存在するもう一人の自分と頷きあっていると、「このまま、ぼっちを極めていくんだね」と忘れた頃にやってきた言葉の槍を突き付けられる。
「この四年間を勉強に捧げるなんて、すげーや。休み時間も放課後もホリデーもずっと図書室に閉じこもって勉強だなんて―――」
「……そんなの、嘘に決まっているじゃないですか」
しまった。まだ、話している途中で遮ってしまった。
口を噤もうかとするが、一度溢れてしまった言葉はこちらの意に反し、次から次へと出てきてしまう。
「本当は仲のいい友達を作って、休日になったら、買い物に行った先で何気ない会話をしたりして、部活も勉強もたくさん頑張ろうって。夢に見た、輝いた学園生活を送ろうって、そう思っていたのに。新学期初日から白目剥いて、泡吹いて、倒れるし。友達作りの波にも乗り遅れてしまうし、授業も分からないし。こんなの、もう何もかも全てが最悪……」
何を言っているんだろう、わたし。先輩に愚痴をぶつけたって、意味がないのに。
知り合って早々に愚痴を吐くなんて、とんでもない迷惑だ。
「すみません、迷惑をかけてしまって。こんなこと言っている場合じゃないですね。だから―――」
「つまり、それが願いごとってわけか」
だから、忘れてください。そう口を開こうとした途端、先輩の言葉と折り重なった。
先輩はゆっくりと口角を上げると、怪しげに弧を描いていく。その姿に全身の産毛がぶわりと逆立つような感覚に見舞われた。
「その願いさあ、叶えてみたいと思わない?」
「叶えてみたいって……。何を言っているんですか」
「嘘じゃないよ、本当だよお。アズールの手にかかれば、どんな願いも叶っちゃうんだから」
「アズール?」
どこかで聞いたことがあるような……。
確か、昨日、学園長が話していた内容の中にそんなような人物の名前があったような、なかったような。どうだったっけ。
記憶の大海原から、必死になって探していると、突然、視界が暗くなる。そして、頭の上にのしかかる重力。ふと、触れてみれば、それが開かれた教科書だということがわかった。
「今の話に興味を持ったなら、ここに来なよ。いつでも、歓迎しておげるからさ。ってことで、じゃーね、ヤドカリちゃん」
「え、あの、ちょっと」
こちらの呼び止めに振り向くことなく、ひらひらと手を振りながら先輩は行ってしまった。
「行っちゃった……、ん?」
ふと視線を落とした机の上に何やら名刺のような小さなカードがあることに気がつく。
何だろうと思いながら、捲ってみると、洒落たデザインにこれまた洒落た文字で『モストロ・ラウンジ』と。
「モストロ・ラウンジ……」
その怪しげな雰囲気を漂わせるショップカードをそっとジャケットの内ポケットにしまった。