始まりというのは大体が唐突である

あの日承太郎と感動の再会と熱い抱擁を駅のホームという公衆の面前で繰り広げてから早くも月日は流れ、最早帰宅すると自分の家に当然の様に居座って泊まっていくガタイのいい高校生にもすっかり免疫がついた頃。
全ての騒動の始まりはよりによってオペ中に起きた。




「そういえば名字先生ようやく彼氏できてたんだっけね?何も言ってくれないから勝手に祝っておくよ。おめでとう」


ピッピッと規則正しい心電図の電子音が響くオペ中に外科医から自分に飛んできたまさかの矢にひと呼吸反応が遅れて「結構です!」っと慌てて叫んだ時には、後ろで自分を観察していた武田が肩を揺らしていた。
オペはただいま絶賛縫合の真っ最中で、少しだけ緩んだ気の張りにもう少しで間抜けにもありがとうございます。なんて答えてしまうところだった。


「あー…川岸先生もしってるんですか?」
「言っておくが俺は何も言ってないからな!」


じとりと睨んだ武田は慌てて大袈裟に両手を挙げて降参のポーズをとってみせる。
川岸と武田。それから新人の外科医と数人の看護婦の前で、それもオペ中にする話かそれは。まったく



「まぁイイじゃねぇか。別に修羅場を見られたわけじゃねぇんだからよ。お前も運が悪かったんだって、なんだって教授陣勢揃いのドアが開く真ん前で彼氏と抱き合ってたんだよ」
「抱き合ってたの!?」
「そうなんですよ川岸先生」
「やめてくださいってば!」



スコア表に乱暴に記録を書き込みながら抗議の声を上げるが正直あまり効いている気がしない。ため息をついて麻酔器の後ろに置かれている丸椅子に座り込むと、ここ数日の疲れが一気に出たかの様に体が重い。
相変わらずおっさん達はこちらを気遣ってる様な体を装って浮いた話の無かった自分の話題で盛り上がっている。
溜息をついてから大きく息を吸い込むと手術室独特の消毒薬と生臭い香りが肺に広がる。
途端に鳩尾から首元に言い知れぬ嫌悪感が這い上がってきた。口の中にじわりと薄い唾液が湧いてくる。ドキドキと急にペースを速めた心臓と意に反して収縮しようとする腹筋から感じるこの感覚はそう。
間違いなく嘔吐感である。
慌てて立ち上がり上半身は情けなくかがんだまま急いで手術室の開閉ステップに足を掛けて外に飛び出そうとする。


「すみません……!吐きます」
「!?…バッカやろうとっとと出てけ!着替え場より向こうやれよ!鈴木さんついててやって!」


武田の叱咤も殆ど聞こえないほど慌てて走って指定清潔域の着替え場を通り抜けた。最後の清潔域を区切る分厚い前の扉のゆっくりとした開閉に痺れを切らしわずかな隙間に体をねじ込んで通り抜けた瞬間に限界はやってきた。


「ーーー……っ!?」


どうしようもない反射で舌が意に反して前方
にせり上がり、胃の腑の入り口が開く感覚がする。
あ。出る。と思った時に、自分の口元にあてがわれたポリ袋に名前は心底感謝した


「ぅっ……げぇッッ!……はぁッ」


ポタポタと熱い胃液だけが滴り、喉が焼け付くほど熱くて痛い
どうやらダッシュする自分を追いかけて来てくれたらしい年下の若い看護婦が、背中をさするながら外科のナースステーションに引っ張っていってくれる。
仮眠用のベットに腰をかけた時には、あの不快感もだいぶ和らいでいた。


「名字先生ナイスファイトでした。ギリギリセーフですね」
「ありがとう鈴木さん……ごめんね」
「大丈夫ですよ。いつもの私の仕事ですから」


ああ本当天使かもしれない。
熱も測っておきますね。と言って体温計を耳の穴にセットされ、簡単な問診の様なものをされる


「手術室の匂いに急にキちゃってさ……。腹痛はないし感染性胃腸炎ではない…と信じたいけど」
「昨日も普通に食事を?」
「あー………最近胸焼けするからあんまり食べてなかったかも。もしかして症状出てたかな」
「ちょっと微熱ですね」
「……はぁ、胃腸風邪か」
「最終生理は何時でしたか?」
「最終生理……最終ぅ……」


最終兵器彼女かと思うぐらいナチュラルにサラーリと聞かれたそれに一瞬思考が停止する。
なんだ今のは、
隣をみると可愛らしい大きな目をまん丸にして小首を傾げる鈴木さん。
まさか私は妊娠を疑われているのかこの可愛い子に。


「……!すいません。でも先生今彼氏さんがいるみたいですし、今まで大丈夫だった臭いで反射的に誘発される嘔吐症状ってやっぱりそれも………あるかなぁ…って」
「ある……あるか…なぁ?」


はたり。と気がつく。
そういえば何時だっけ。不規則な生活かストレスのせいか不順といえば不順な自分のアンネに想いを馳せる。
まずい。覚えていない。だって来たり来なかったり、なんだもん。
薄眼を開けて隣をみると、なぜか自分より不安気な顔をした彼女とばっちりと目があった

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