病まぬ手触り

夜闇に溶ける忍び装束が霞む月を背に現れる。
失われる血液が急速に体を冷やして、続く呼吸がなんとか流れ落ちる血をかきとめた。
痛みはもはやジンとした大きなうずきで、体そのものが痛みになってしまったかのように底がない。
気を失って仕舞えばどれほど楽だろう。
その先にあるのが緩やかな死だとしても

そう思った時に現れた“あの人”を見て、杏寿郎はいよいよ幻を見た。と思った。










『炎柱が呼んでいる。らしい』

という噂を名前聞いたのは夕方になってからだった。
もっともあまね様から直々に介して伝えがない事を思えば、おそらく炎柱が病床で介抱に勝手に言っている事なのだろう。
おって帰った隊士が恩義をかんじて隠を呼びつけるのはよくある事で、それに応じてのこのこ御礼を頂戴に行く種類の人間ではない自分は
このままのらりくらりと事後処理を優先するつもりだ。

隠の多くを統括する立場になった名前には小さな書類仕事用の座敷が与えられていて、積み上がった資料は今にも崩れそうなバランスでいくつも積み上がっている。
障子越しに薄茜に染まる部屋に、黄昏時の気配をかんじて一休みに障子を開ける。
屋敷の奥にある2畳ほどの小さな中庭を四方に囲むように走る廊下にずるずると這うようにして出ると、まだ若い中庭の小さな藤を見ながら胡座をかいた。

今回の鬼はたいそう長く生きていたようで、その地にまつわる伝承にもちらほらと登場する。
その微かな伝承をつなぎ合わせ他の鬼の気配がないか、その土地は本当に清くなったのかを確かめていた。
つんと目が痛んで眉間をさする。
強い鬼だった。ということはこうして倒された後に痛感する。
あの呼吸を続けるのがやっとで横たわる炎柱を見れば嫌でもわかる。

いまだむくみの取れない脹脛からはじんじんとようやく筋肉痛の気配がした。
まだ20そこらの頃は無茶をすればすぐに体に出てすぐ治っていたものだが、たった5年たっただけでこの様のようだ。


「名前か」
「あ……行冥さん」

ヌッと落ちた大きな影に顔を上げれば見慣れた大男がまたシクシクと泣いている。
隣に腰掛けられるように少し身体をずらすと、悲鳴嶼はそこに大きな体を下ろし懐から小さな包みを取り出した。

「お久しぶりです……って、なんですか?」
「果物の酸を粉末にして砂糖と混ぜたものだ。水に溶かして飲むように。と胡蝶が」
「はぁ……、つまりなんでしょう」
「痛んだ筋肉を少しでも治すために。と、胡蝶はなぜ自分の所に来ないのかと怒っていたぞ」
「なんと、そうですか」
「白々しいな…」

なんと天邪鬼な…と言いながらすりすりと手をすり合わせるこの男とは1番古い付き合いだ。
まだ隠になって右も左もわからないころに入ってきたこの大男は、変な話唯一の同期と言っても過言ではない。
入ったばかりの頃から一緒に仕事をすることが多かったせいで、彼が柱になった今もつい馴れ馴れしい態度をとってしまう。

「25の中年増になってやはり、10代の頃とは体が違うのがわかりました」

いまだくっきり跡の残る浮腫み足を装束を巻き上げて見せると、確認するために伸びてきた悲鳴嶼の硬い指が脹脛を支えるように触れた。
あからさまにしかめられた眉根に、これはどうやら叱られるのだな。
ということがわかってしまう。

「酷い浮腫みだ。痛みはないのか」
「時間が経って、少しだけ出てきたような…」

たかが筋肉痛です。
と続けるうちに悲鳴嶼の指が足首の裏から膝裏にぐっと肉を押し上げるように何度も強く擦り上げた。
そのなんとも言えない痛みに足首を掴まれたまま声にならない声を漏らして悶絶する。

「あぐ……なんですかそれは」

回数を重ねてようやく口がきけるようになって上半身を起こすと、擦り上げられた右足だけがほっそりと姿を取り戻している。

「すごい!治った!」
「治ってはいない、根本的な問題は酷い疲労と筋肉の傷だ。滞った水の流れを無理矢理起こしたのみ……そういえば」

パッと反対の足首を掴み上げられ、意図を察してありがたく左脚の腿まで服をまくり上げる。
同じようにぐいぐいと擦り上げながら悲鳴嶼が続ける。

「炎柱が呼んでいるそうだぞ」
「やっぱりその話ですか」
「知っていて行かないとは驚きだ」
「あまね様の命でもありません。それに休養中の病人には近付かない主義です」
「不敬ではないか」
「病床から起きるころには皆さん隠のことなど忘れます」
「それはどうだろうな…」

左足を掴んだままの悲鳴嶼の空いた片手が名前の口布の下から滑り込み形を確かめる様に頬から脹脛に負けないほど腫れている瞼をなぞり上げ、硬い指先で押す。

「本当に酷い浮腫みだ、胡蝶のところへ行った方がいい」
「厚い瞼は元々です、放っておいて下さい」
「嘆かわしい…」

また大男がシクシク泣き始めたのと、名前の体が後ろに思い切り引っ張り上げられたのはほぼ同時だった。

「うっ……わっ!?」

ぐんと引き上げられ空をかいた素足が視界の下でバタバタとバランスを取るべく暴れて爪先で床を辛うじて捉える。
背中にぴったりとつく体温と両脇の下に回された硬い腕から自分を引き上げたのが男だということだけがわかる。
耳のすぐ後ろですんと息を吸う音がして、次の瞬間にはあまりの大声に耳を塞げない事を呪った。

「方々探してやっと見つけたら悲鳴嶼と素足で戯れていたとは!」

よもやよもやだ!
と例えようのない圧力を放ちながら腹から声を出す後ろの男に見当がたった時には、名前はそのまま仕事部屋に投げる様に放り込まれていた。


[ 2/9 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -