わたしを知らない



地獄の数週間から、ひと月で腰まで伸びた金髪を高いところでひとつに結ぶ。
この一ヶ月ですっかり胡散臭い闇医者のところに居ついてしまったが、さすがにここまで見た目の変わった自分を祖父の財団も見つける事は出来ないだろうと部屋を借りて、仕事頼んでくる怖いおじさんから、もう使われない適当な戸籍を売ってもらった。
今まで自分を自分たらしめていたアイデンティティーは最早内面にしかなく、時折夜に仕事に出たり、夜にフラフラと飲み屋街を徘徊したりする以外には知り合いも友人もいない気楽な生活を送っていた。

"佐藤友里恵"という新しい人間として生きるのは、簡単ではなかったが多くを望まなければ不自由はない。
床に伏せって姿が変わって以降、陽の下に長くいると疲れやすくなった。
人目をひく目の色。それを含むこの容姿も夜出歩く分には幾分か目立たなくていい。




その夜もいつものように駅前の飲み屋で安い酒を飲んで、見知らぬおじさんの楽しい話に適当に相槌を売って馬鹿みたいに笑っていた。
元々社交的な人間じゃないけれど、アルコールが入れば気後れせずに見知らぬ人と話せて、こうしてその辺りの女の子みたいに馬鹿みたいに声を出して笑える。
家に帰ってすぐに眠れるように、そこそこ大量に飲んだ名前は若干よたよたとしながらもさっきまで飲んでいた飲み屋の階段を降りて、週末で人通りの多い通りに出た。
携帯の画面をみれば時間はまだ11時ほどで、最悪脚の力を使って家に帰ろうと思う自分にはまだ時間がある。
2軒目に行こうかな。いつも行っている立ち飲み屋みたいな小さな店は、大体メンツも決まっていて、いけば必ず顔なじみがいて楽しく飲める。
11月も後半の街はいよいよ本格的に寒くなってきて、ブーツじゃなくハイヒールを履いてきた事を若干効果する。



「ねーねーお姉さん。一人?一緒に飲もうよ」
「ありがとうございます。遠慮します」


この姿になってから生きた壁のように出現する随分薄っぺらい人間にも慣れたきた。
彼らは別段何か期待しているわけではなく、適当に目について、一緒に遊べればラッキー。くらいの軽いノリで声をかけてきてくれる。いかんせん自分とは全く噛み合わないことはすぐにわかるので、足早に通り過ぎて目当ての店まで急いだ。
近道をしようと一本裏通りに入って、ふっと息を吐くと白い靄になったそれが冬の空気に溶けていく。
それを追うように視線をあげれば、夜空に浮かぶとても美しい満月に目が釘付けになった。


やっぱり夜が好きだ。
太陽より静かに照らしてくれる月の方が自分にはずっと優しく見える。
家を出てから、そう思うことが増えた。
冷えた外気を吸い込んで、月から路地へ視線を戻した。
寒い夜に室外機の上に乗っていたねこがにゃあ。と泣いて自分のすぐそばを走り抜けていく。
ふと、猫がいた室外機の側をみれば大柄な男性が地図を広げて立っていた。
ロマンスグレーの髪色のコートを着た恐らく年配の男性は、熱心に地図を見てはああでもないこうでもない零していた。
あまりに熱心に地図を覗き込んでいたので、その顔は地図で隠されてしまっていてよく見えない。
それでも、その立ち姿は嫌という程知っている。

仕立てのいいコートを着た大柄な外国人男性。


(そんなものがこんな裏路地でそう簡単に彷徨いててたまるか……)


歩みを止めずにそのまま路地を進む。
ヒールが地面を蹴る音が静かな路地に響いて、頭の中で自分の存在を消すように努める。
私はもう別人なのだ。
なんでこんなところで出くわしたのかは知らないが、このまま来た道を戻るのも不自然だ。
私は佐藤友里恵という名前のよく目立つ日本人女性で、空条名前という女はあのアパートの布団の上で消えた。
そうして一切の表情を消して老人の前を通り過ぎようとした。


「あぁ…!すまんがお嬢さん」


声を聞いて確信した。
この明るい声音、歩みを止めてちらりと老人をみれば、やはりそこにいたのは祖父であるジョセフだった。


「………なんでしょう?」


夜道に突然呼び止められた女性らしく不安げな表情を浮かべ返事をすると、祖父はますます笑みを深くして地図を広げて見せてきた。


「いやぁ!この辺りに来たのは初めてでね……友人に会う約束をしてたんじゃがすっかり迷ってしまって……"沈丁花"という飲み屋を探しとるんじゃが……」


その名前の店はまさに今から自分が向かおうとしていた店で、内心ヒヤッとしながらも顔には出さずにっこり笑って丁寧に道順を教えてやった。


「少し見つかりにくいところにありますけど、今の道順で行けると思います」
「すまないねお嬢さん。もしかして今から君も行くところだったかな?」
「いえ、私は別のところへ近道する途中だったので」
「そうか、なんだったらこれから一緒に一杯どうかと思ったんじゃが…」
「ふふっ…ありがとうございます。けど私も約束があるので、これで」


ニコリと笑って数歩進む。
あっ!と唐突に後ろで祖父が大きな声を上げた。


「………まだ何か?」
「お嬢さん美人じゃのぉ、やはり一緒に付き合ってくれんかな?」
「……褒めてもらえて嬉しいです…けど」

「まぁいいじゃあないか。久しぶりに会ったお爺ちゃんに付き合うのは孫の責務だろう?」
「………ッチ!」




ここ数年ですっかり性根がひん曲がってしまった自分の口から漏れ出た舌打ちが路地にやけに響いた。
相変わらず食えないジジイだ。
途端に貼り付けていた笑顔を消して、怯ませるくらいはできるかとカバンを投げつけて振り返らずに全力で走る。
いつのまにか物陰に隠れていたらしい、財団のツナギを着た人間をかわしながら細い路地を抜け、能力を使って高いところへ逃げようと足に例のブーツを出現させると、地面を思い切り蹴る。
すぐ側に立つ5階建てのビルの屋上へ飛び乗ろうと跳躍した。
…………ハズだった。



「ハーミットパープル!!」


突然伸びてきた紫色のイバラの蔦に右足首を掴まれる。
あっと気づいた時には地面に向かって引っ張られていて、とっさに落下の衝撃を能力で相殺させようと足から着地し受け身を取る体制になる。
地面に足が思い切り叩きつけられる感覚がして、ジンと鈍い痛みが足を伝って広がるがどうやら死んではいないらしい。
すぐさま体制を立て直そうとした地面の上半身をスルスルと伸びた紫の蔦がしっかりと絡みついてくる。
自分を止めたこの不可解な能力に混乱している間に、財団の人間がわらわらと集まってきた、手首や足に手錠のような拘束具をかけていく。


「ちょっと!!何するの!離して…!!」


悪態をつきながら暴れる自分の背後から腕が伸びて、妙な匂いのする布のようなものを口元に押し付けられる。
そうして名前の視界はブラックアウトした。



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