「ねぇ、忍足君。」

―お願いがあるんだけど。


甘ったるい声で、苗字がまるで誘うように囁いた。






「そんで、お願いって何なん?」

これを尋ねるのは三回目だった。
一度目は話しかけられた直後。
苗字は至極楽しそうに笑いながら、放課後教室で、とだけ言って去っていってしまった。

二度目はつい先程。
教室で会ってすぐに聞いた。しかしそれも、そんな大した用事じゃないよ、とだけ言ってはぐらかされた。

そして今。依然として答える気の無さそうな苗字は楽しそうにじゃあ行こっかと何処かへと向かい始める。
俺は一つため息を吐いて、せめて何処行くか教えてくれへん?と問えば苗字は保健室だよ、とまるで当たり前だと言うように答えた。

「保健室って、」

全く、何やねんほんま。
心の中で吐き出しつつも存外満更でもなかったりする。

前を歩く苗字は、可愛いと言うよりは美人の部類だ。スカートから伸びる足は、肉付きがもう少しあっても良いとは思うが、ガリガリというわけでもなくすらりとしていて綺麗だ。
白い肌はすべすべしていそうだし、細い腰。それに、スレンダーな割に胸もあるように思える。って何を考えているんだ、自分は。
しかし、苗字の持つ独特な雰囲気は妙に惹きつけられる。


保健室に着けば入り口には外出中の札。
それを気にも留めず苗字は中へと入っていった。
自分もその後に続く。

中へ入れば苗字は棚を漁っていて、あった、と言うと茶褐色の瓶を机の上に置いて椅子に座る。

「ほら、忍足君早く早く。」

無邪気に手招きする苗字に誘われるまま近づくと、コレ、お願いしたくて、と手を出される。
視線を手にやれば良く市販されているピアッサーが置かれていた。

「ピアス?」
「そう。初めてだから、開けて貰いたくって。ね、お願い。」

突っ立ったままの俺に、もう一度お願いと言って手にピアッサーを握らされる。
断る理由も無いと了承して、机の上の消毒液にガーゼを浸す。
苗字が髪を反対側の方へ流して、この辺にお願い、と耳朶を指した。
言われた場所に消毒液を塗ってピアッサーを押し充てた。
綺麗な耳朶と首筋を見ていたらと何だかぞくぞくしてくる。
無言と言うのも意識が集中し過ぎて嫌かもしれない、そう言えば、と俺は口を開いた。

「何で俺なん?」
「忍足君ってほら、お医者さんの子だし。それに…印象に残るでしょう?」

―忍足君の中に。

聞きながら、手に力を込める。

バチンッ

カラン、とピアッサーの一部が落ちた。

「それってどういう意味なん?」
「私のコレ見る度にきっと忍足君は今日の事思い出してくれる。」

今開けたばかりのピアスを指で触りながら苗字が無邪気に笑った。

「そうしたら、私の事もっと意識してくれるでしょう?」

確かにもう既に、俺は彼女に対して特別な感情を抱き始めていた。


 甘 い 罠


end.







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