重ね刻んだ先にあるものなんて、

今もまだ見えてはいないけれど ―




【春の中で】


開け放った障子から吹き込む乾いた春の風に土方は目を細める。花粉症の人間には厳しい季節らしいが、花が芽吹き鳥が舞うこの季節独特の心地良さが、土方は好きだった。
新しい年度になり、土方は真選組の副長職を退いた。
後進のためと云っても、15年近く居座った役職を退くのは容易なことではなくて。引き継ぎ作業や、各書類の体裁を整えるだけで軽く4ケ月ほど掛かってしまった。
松平と、局長であった近藤の双方の署名がされた辞令が降りたのは、つい2日前のことだ。
それまでの忙しかった日々が泡のように消えてしまったかのようで、今の土方は若干の手持無沙汰のまま春の訪れなどという風流に身を委ねることしか出来ない。
(…まぁ、仕事がねぇって訳じゃないんだが)
副長職を退くにあたって、真選組では新たな役職が設けられた。
局長であった近藤には、名誉局長などというふざけた肩書を。副長であった土方には、顧問という肩書が。真選組という組織に属することに代わりは無く、ただ少しだけ年を重ねた結果、前線を退くことになっただけの話。
いつまでも、この場所で走っていたいという気持ちはあった。けれど、そうしていては組織は育たない。これから先のことを少し考えられるようになったのは、重ねた時間なのか培った信頼なのか。
きっと、そのどちらでもあるのだろう。

気付けば、不惑。
四十にして惑わずなんて言葉はあるが、未だに自分は惑ってばかりだ、と土方は吸い慣れた銘柄を内ポケットから取り出し、白いフィルターを口に咥えた。
口やかましい部下と、恋人の所為で、吸う本数は前よりも格段に減った。
鍛錬をしてもついてこない身体を少しもどかしいと思う時もある。けれど、あの頃よりも穏やかに日々の全てを受け入れるようになった自分は、少しは成長しているのではないかと思う。
(年食ったって、変わらねぇこともある)
マヨネーズを手放せないことや、腐れ縁などという言葉で誤魔化しながら続いている関係。
武州から身一つで、大事なもの全てを置き去りにして出てきた江戸で出会い、築いた居場所は確かに土方の人生の中に根差して揺るがないものになっていた。

咥えた煙草に火を点けると、ジッと音を立てて先端が赤く燃える。吸い込んだニコチンがじわりと肺に沁みた。酩酊感を覚えながらも、土方の視線は窓の外から逸らされることはない。

「ふく、…じゃなかった、顧問、失礼します」
呼びなれないであろう呼び名が背後の襖にかかった。
煙草を咥えたまま、土方は笑みを零す。
「入れ」
無愛想な声色を作っても、滲み笑いを噛み殺すことは出来ない。それが地味な部下にも伝わったのだろう、振り返ると開け放たれた襖から部屋に入ってきた気まずげな顔が見える。
「…笑わんで下さいよ」
「くっ…」
拗ねたような響きに、喉で笑う。
見つめる顔の先に、艶やかだった短い黒髪は伸びて、今はてっぺんで結われている。その束には数本の白髪が見えた。自分が重ねたと同じだけの年を、この男にも降りかかっているのだと思うと、何だか可笑しい気持ちになる。それだけ傍に居たのだという感慨深さと、相変わらずな態度への安心感だろうか。
男が、髪を伸ばし始めた時に、問うたことがある。
『どうして伸ばしてるんだ』と。
不思議そうに尋ねた土方に、男 ― 山崎退はいつも通りのへらりとした笑みを湛えて、
「願掛け、ですかね」と言った。
何の、とは聞けなかった。
今まで土方の下にだけ就いていた男が、当時の土方同等の一番隊隊長という役職と、部下を得て。願うものなんて、たった一つしかないことが分かってしまったからだ。
(柄にもねぇことしやがって)
と、言っても山崎らしいと云えばらしいのだが。

「こちら、本日分の書類です。こちらに目を通して頂ければ顧問の本日の業務は終了ですので」
「んだ、これっぽっちかよ」
差し出された書類の束に、眉を顰める。
副長職に就いていたころの十分の一ほどの減った束。勿論、これが自分の仕事だと分かってはいるけれど、忙しさに忙殺されていた日々から急に解放されると、何をしていいのか分からなくなるのだ。
「また眉間に皺寄ってます」
書類に目を落としていると、山崎がボソリと呟く。
「あ?」
怪訝に思い、顔を上げると窓から差し込む陽射しの所為でか、山崎の顔がよく見えなかった。

眩しさと憧憬が混じった気持ちと、もどかしさと、焦燥と。
いつだって居場所を探して、もがいて、歩んで、走って、時に叫んで。そうやって生きてきたことに後悔など微塵もないけれど、こうして平穏な日々を迎えると不安になってしまう。
優しい場所に座っていて良いのか、と思ってしまう。見えないものなど沢山あって、見えないものなど手を伸ばして意地でも掴んできたというのに。
放り出された先で、見えなくなって、掴めなくなって。
本当は ―

(見たい、と思うのに)

その先の未来すらも。


「見にくいなら、そろそろ老眼鏡買った方が良いですよ」


笑みを含ませて、告げられた言葉に思わず手が出た。
ゴスっと鈍い音と同時に、山崎が畳の上に転がる。
しまった、と思った時にはすでに遅く。
けれど、殴られた山崎が酷く嬉しそうな顔で笑うものだから、土方は握り締めた手を下げ、誤魔化すように後ろ手で頭を掻いた。


「…喉、乾いたから……茶、持って来い」


「はいよ」


聞きなれた、応えが鼓膜を揺らす。

差し込む春の日差しが暖かく、身を纏う。








重ね刻んだ先にあるものなんて、今もまだ見えてはいないけれど。それでも、それでも、見たいと思った先がある。歩みたいと願う先がある。
山崎が去った自室の中、一人見上げる窓の外。
一面の紅色が告げる春の訪れに、土方は頬を緩ませた。








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