眼鏡は顔の一部じゃない 02







「十四郎…」
今まで掴んでいた熱を失った手の平を、ぎゅっと握り締める。会えるなんて思いもしなかった。
変わらない漆黒の髪と吸い込まれそうな瞳と、透き通る肌はあの頃のままで。初恋の相手に突然再開し、坂田銀時は一人舞い上がっていた。

(あいつ、何で泣いたんだろう…)

 しかし、それも一瞬のことで、涙する相手に浮かれた気分は急転直下、マイナス50度ぐらいまで突き落とされてしまったけれど、同じ大学の学生なのだからきっとすぐに会える。泣いた理由はその時、聞けば良い。

幼稚園の頃の事。坂田の初恋。
幼い恋とバカにされるかもしてないが、それでも確かに恋だった。
坂田はあの初恋以来、恋というものをした事がない。大学一年になるにも関わらず・だ。
いつだって、あの笑顔と「ぎんちゃん」と甘く呼ぶ声が脳裏に焼き付いて離れなかったからー

変声期を経て、低く落ち着いた声はあの頃と違うものだったけれど、「ぎんちゃん」と震えながら呼ぶ声色に心が、色鮮やかに生き返るのを感じた。まるで、時間が再び動き出したような。だって、こんなにも心臓がどくどくと脈打ち、全身が痛い。

「銀時、今のもしかして…」
土方が去った後をいつまでも見つめていた坂田の肩を同行者が叩く。
坂田が振り返ると、同じようなスーツに身を包んだ3人が立っている。

「高杉とヅラは覚えてるんじゃねぇの?」
「ヅラじゃない桂だ」
「十四郎って、あいつか…お前がイジメてたガキ」
「いや、ガキってあの頃はオメーもガキだったからね? つうか、イジメ? 誰が?」
「お前」

いつもの返答を返す長髪の男とは対照的に、隻眼の男が坂田を指差す。

「はい!?」
「お前。すげぇイジメてただろうが」
「銀時、お前はひどかったぞ。気持ち悪いだの言っていた覚えがある」

隻眼の男―高杉の言葉に相槌を打つ長髪の男―桂に、言葉を失った。
傍から見ていたら、あの頃の自分の行動はイジメになるのか。
(えー…言ったけど、それは可愛くてドキドキして素直になれなかった裏返しだからね…)
その対象が女の子であれば、きっと「好きだからイジメてたんだろう」と揶揄われたかもしれない。けれど、坂田の初恋の相手は、男の子。好きだからと変換されなかったとしても仕方ない。
そして、その想いを、旧友達に漏らしたら最後、末代までネタにされるであろう事は分かっていたので、坂田は言い訳しようとする口を閉じてしまう。

そんな微妙な空気を打ち破ったのは、幼稚園時代の話など微塵も知らない、黒髪もじゃもじゃ頭―坂本の呑気な声だった。

「おまんらぁ、入学式が始まっちゅうが、行かんでええがか?」

「「「そういう事は早く言え!」」」

口を揃えて言い返す、坂田と高杉と桂の形相に笑いながら坂本が返す。
「あははは〜てっきり気付いちょるもんやと思っちょったき、すまんのぉ」

急ぐぞと言い合い、4人は講堂へと走って向かっていく。
(あ、どこの学部か聞くのか忘れてた)
広いけれど、同じ構内。きっと必修課目等で、会える事が出来るだろうと高を括る。腐れ縁の仲間と、再開した初恋の君と、大学という新たな学び舎。
桜吹雪、並木道を掛けながら、ここに入学して良かったと、坂田は思った。


       *


入学式から1ケ月。あの日から、坂田は土方に会えずにいた。
総合学部から工学部や医学部といった専門分野まで揃える大きな大学といっても、共通の必修科目や、サークル棟や、新入生歓迎会等で顔を見ると思っていたが、一向に土方の姿を見る事が出来ない。さすがに、ここまで顔を見ないと避けられているのでは? と思わずにはいられない。

「おい、銀時、ラーメンが伸びてしまうぞ」
「わーってるよ」

桂の指摘に、目の前の醤油ラーメンをいそいでかき込む。スープをすった麺は少し伸びてしまっており、あまり美味しく無い。けれど、150円という良心的な値段設定なのだから、文句は言えなかった。ラーメンを食べ終わり、コップに入った冷水を飲み、火照った身体を冷ます。
目の前の桂はそばを完食し、デザートらしきヨーグルトをゆっくり食べている。そんな幼馴染から視線を外し、坂田は食堂の中を見渡す。広い構内には、学食が数か所点在しているから、土方に遭遇しないのは仕方の無い事かもしれない。けれど、もしかすると会えるかもしれないという希望から、探さずには居られなかった。

「あれ?」

視線が捉えた、給水コーナーにならぶ黒髪の男には見覚えがあった。
優男風の垂れ目の顔。入学式の日、土方の背を押し自分にぶつかってきた男だと思うと、桂に「それ、下げといて」と言い残し、坂田はガタっと椅子から立ち上がった。
そのまま、桂が文句を言うのも聞かずに、真っ直ぐ給水コーナーへ歩く。
列に並んでいる男は、ツカツカと近寄る坂田に気付いたのか、「ひっ」と小さく声を上げ、慌てて逃げ場を探すように左右を見渡す。それを逃がさないとばかりに、男の横まで近付き、坂田はその肩をぎゅっと握った。

「よぉ、ジミー。ちょっと話があんだけど」
「いやー…僕には無いですけどー…」
「飯、食うまでは待ってやるから、十四郎のとこに案内しろ」
「……あー…いやー…」

視線を彷徨わせながら、男は歯切れ悪く、言葉を濁す。

「ラーメン、伸びちまうぞ?」

手のもつ盆の上には、醤油ラーメン。これは、少しでも伸びるとまずいんだ。だから早く食えと笑う坂田に、男は頷くしか出来ないようで、コクコクと頷いてから給水コーナーを抜け出し、手近な席に座り、ラーメンを啜り出す。
坂田はその横の席にどかっと腰を下ろし、男がたべる様をじっと見ていた。
無言の数分。
その沈黙に耐えきれなくなったらしい男がしぶしぶといった体で、坂田に視線を送りながら問い質してくる。

「あのー…土方さんとはどういう関係なんですか?」
「幼馴染。そういうオメーは?」
「…中学の同級生ですけど」

幼馴染なんて嘘だろう、と視線が言っていた。その視線を黙殺して、坂田は会話を続ける。

「へー…中学って、学ラン?」
「学ランですよ」

学ランを着た、中学生の土方か…と想像すると、幼さと凛々しさが混じり合ってきっと、とても似合っていただろうと思う。そんな想像をしている自分は少しだけ気持ち悪い。

「すごく似合ってましたよ。土方さんの学ラン」

素直で聡い男なのだと思う。
まるで、心の内を読まれたような返答に、坂田は少しだけイラっとした。

「へー、ジミー君は十四郎の事が好きなんだ」
「はいっ…!?いや、好きとかそういう事じゃ…って、ジミー君って何ですか!」

真っ赤になりながら否定する、その様に。心のなかで舌打ちする。自分の知らない土方の姿を知っている男に、無性に苛立った。再会してから、土方を見たのは一度だけ。それなのに、こんなにも突き動かされてしまう。それが恋なのか、執着なのかは坂田には分からなかった。

「ジミー君さー名前なんて言うの?」
「山崎ですよ」
「ふーん」

ずずっと山崎が啜る麺の音だけが坂田の鼓膜を揺らす。

「そういや、あんたの名前は何て言うんですか?」

坂田に少しは興味をもったらしい山崎の質問に、素直に応える事も出来ず、頬杖をつきながら坂田が問い返す。

「俺? 坂田銀時。十四郎から聞いてない?」
「聞ける訳ないでしょう。土方さんがあんな顔してるのに…」

『あんな顔』がどんな顔だったかなんて、自分が一番よく分かってる。震えながら、零れた涙。思い出すだけでツキンと左胸が痛んだ。あんな顔をさせてしまったのは、もしかすると自分の所為なのだろうかと思い、坂田は口籠る。そんな坂田の思いを知るよしもなく、山崎はラーメンの汁まで綺麗に飲みほし、はぁと息を吐く。

「…土方さんのとこまで、行ってもいいですけど。もう二度とあの人を泣かせないで下さいね」
「……」

険しい顔でそう言われてしまえば、返す言葉など無かった。
(完全に悪者だよね、これ)
立ち上がり、下膳コーナーへ向かう山崎の背を坂田は追いかける。言われた言葉を心に刻みつつも、自分より幾分か低い背を見つめながら、土方に会える喜びに胸は高鳴っていた。
(だって、やっと会えた…)
ならば、その手を握りたいと思っても間違いじゃないだろう。


       *

山崎の背を追いかけて辿りついたのは、まさかの工学部。同じ学部だった事に坂田は瞠目する。共通科目は限られているけれど、英語等の必修は同じ筈だ。それなのに、今まで顔を合わせなかったという事は、確実に避けられていたという事だろう。

本館から続く渡り廊下の角を曲がれば、そこは工学部の研究室がある講義棟で、一階の広い講義室が並ぶ廊下を歩く。山崎の視線の先を同じように見ていれば、廊下の窓から差し込む光に照らされる、艶々とした黒髪が見える。

(十四郎…)

険の無い表情は、一人だからだろうか。
携帯電話をイジっていた顔が上げられ、山崎を捉えたらしい視線がほころびそうにいなるのが、同じく坂田を捉え一瞬で凍り付いた。そんな表情をされる訳が分からず、戸惑う坂田の前で、山崎が「だから嫌だったんですよ」と呟いた。

背を向け、廊下を早足で逃げるように歩き出す土方に、慌てて坂田は追いかける。

「十四郎っ!…止まれって」
「馴れ馴れしく名前で呼ぶなっ!」

止まれと呼びかけると、同じ強さで、呼ぶな叫ばれた。

「…何それ。じゃあ良いよ、土方って呼ぶから」
「っ!」

ああ言えば、こう言う坂田のしつこさに、土方は頭に血が上るのを感じる。けれど、ここで罵ってしまっては負けだと思い、ぐっと堪えた。

「土方なぁ…土方って!」

それでも、食いさがる坂田に、耐えきれず、逃げるを足を止め振り返りながら土方が声を絞り出す。

「俺の事、キモチワルイなら、話しかけてくるなよっ!」

いつのまにか、土方の目尻には水滴が溜まっていた。
キッと睨み返し、怒鳴る土方の言葉を理解するのに少し時間が掛る。
まさか、あの頃の自分の軽口を未だに引き摺っているだなんて、坂田は思ってもみなかったから。
思い返すのは、幼い日の戯れの言葉。


『おんなみてぇなかおして、きもちわりぃんだよ』


そんな坂田の呆然とした顔を見ながら、土方は心が冷えていくのを感じていた。いつだって傷付けた本人は誰かにつけた傷を忘れる。傷付けられた方は、ぐじぐじと膿む傷だけを抱えて、立ち止まったままだなんて、きっとこいつは知らないのだと、坂田を殴りつけたくなる気持ちを押し留め、土方は拳を握りしめた。

「は? ばかっ…そんなの、ガキがちょっかいかけて言った軽口だろ…!」

困ったような笑い声で言いながら、坂田が土方の手へと触れてくる。
その時、背筋を這ったのは、間違いなく悪寒だった。

「離せっ…!」

振り払った手を胸の前で握り締めて、土方が視線を逸らし、床を睨みつける。
怒りに震えているその姿を見て、坂田はやっと己の失言に気付く。その言葉は、傷付けた人間が言って、良いものじゃなかった。

「俺は…っ…俺の顔はキモチワルいって言ったのは…テメーだっ!!!! だから、眼鏡かけて、俯いて顔見せねぇように生きてんのに、何で今更俺の前に現れるんだよ…どっか行けよ!声掛けてくんなよ!キモチワルイなら、見んな!関わんな!何の用があるって言うんだ!また、馬鹿にして笑うのかよ!人を貶めて楽しいか!?やめてくれよ…俺ばっかり惨めで、もうしんどいのは嫌なんだよっ!」

一度、口を開いてしまえば、あふれ出るのは恨み事しかない。
目の前で、坂田が目を見開いて固まる。
そんな顔をさせたい訳じゃないのに。

(あぁ、女々しく泣く自分が殺してしまいたいぐらいに、嫌いだ)

嫌いなのは、いつだって『ぎんちゃん』じゃなく、みっともない自分自身なんて事は分かっているのに。惨めで、情けない自分を、土方はどうする事も出来ない。

「勘弁、してくれ…」

頼むからと告げる言葉は、笑ってしまいそうなほどに、か細く震えていて。
これが自分の声かと、土方から自嘲が漏れる。

(ぎんちゃんのせいじゃないのはわかってる)
(でも、もうむりだ。こわい、から…むりなんだ)

 入学式の日と同じように踵を返して、坂田の前から土方は背を向けて逃げる。周りの学生達が、何の揉め事かと寄こす視線が痛かった。背中に坂田の引き留める声が投げかけられたけれど、振り返る事も立ち止まる事も出来ずに、土方は無心に足を速めた。

(がっこう、もう、いきたくないな)

明日から何を言われるのだろうと思うと、それだけで背筋が寒くなるのを感じる。嫌だ嫌だばかりで、前に進まないとしない自分は、きっと幾つになってもこのままなのだろう。けれど、それでも良い。一人で傷付かずに生きていけるのなら、きっとそれで良い。

       *

「おい、土方っ…!」

坂田の呼び声を無視して、土方は足早にその場を立ち去ってしまう。周囲の学生達が「喧嘩か?」と言いざわついている廊下に、土方と一緒にいた山崎という地味な男と坂田だけが残された。
はぁ、と溜息を吐き、天然パーマのふわふわした髪をぐしゃっと掻き混ぜる。完全に失敗だった。まさか、あの頃に坂田が「好き」という気恥ずかしさから言った、からかいの言葉が、こんなにも土方の心に重く刺さってしまっているだなんて思わなかった。

(久しぶりに会えて、懐かしくて嬉しかったのは俺だけだったんだ。でも…)

その事にショックを受ける資格は坂田には無い。土方が顔を隠し、俯き、人混みに紛れるように静かに生きていく道を選んだのは、他でもない坂田の所為だからだ。


(それが少し、嬉しいなんて…俺は、歪んでる)


「サイッテー…ですね」


講義室が並ぶ廊下、壁に凭れかかって成り行きを見ていたらしい山崎の、まるで坂田の心を見透かしたような冷たい声色に(うるせぇ)と怒鳴り返してやりたくなったけれど、それを口にする事は出来ず、噤んでしまう。

最低だなんて事は、本当は坂田自身が一番よく、分かっていた。



苛立たしげにコンクリートの壁を殴ると鈍い音がする。
ズキズキと痛む手の甲だけが、今のこの時が現実だと教えているような気がして。

(吐き気しかねぇや)

そう呟いた声は、どこにも響く事なく、胸の奥底へ沈んでいった。









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