兆しが見えたから / 七海建人・灰原雄

 都内でありながら、本格的な水上アスレチックが整備されている自然豊かな公園。今日は初夏にしては暑すぎる程に晴れていたけれど、この公園の最終受付ギリギリの時間になれば、ジリジリと照りつけていた陽射しは幾らか和らいでいた。
「ほら、二人とも早く!」
「なぜ私まで」
「まあまあ、七海も一緒に行くって約束したでしょ?」


 わたしに引っ張られて、灰原に背中を押されて、そうして七海は渋々といった様子で着いてきてくれた。
 折角沖縄に行ったのに、海ではしゃぐどころか遊びもせずに帰ることになったのは先月のこと。せっかく一日伸びたんだから、ちょっとくらいは遊ぶ時間が出来るかと思ったのに。そんな不満を漏らしたわたしに、七海は「任務なんだから当然でしょう」と呆れていたけれど、灰原は「帰ったら遊びに行こうよ。水上アスレチックとか!」なんて笑顔で提案してくれて。それに七海も巻き込む形で取り付けた約束が、ひと月越しに実現したのだ。まさか、あの七海が来てくれるとは思っていなかったけれど。

「ねえこれ面白そうじゃない?」
「どう考えても狭いと思いますが」
「いいじゃん! 僕が漕いであげるから乗ろうよ」
 膝下にも満たないであろう深さの人工池。その岸には不安定そうなが繋がれている。高校生が三人で乗るには少しギリギリのサイズだったけれど、何とか乗り込んで鉄の棒に引っかかっていたロープを外す。離岸した途端に筏は揺れ動いて、水上をゆっくりと漂い始めた。

「わっ、結構揺れるね」
「沈みかけてないか?」
「大丈夫だよ。ほら、漕ぐよー!」
「うん!」

 オールを手に楽しそうな灰原に笑顔で頷いて、向こう岸へ向かって動き始めた筏の上でバランスをとる。七海は濡れたくないのか、池の水が筏の表面をうっすらと覆っているのを気にしていた。
 やや沈みかけた筏を漕ぎながら楽しそうな灰原と、気だるそうな表情をした七海。やがて筏は向こう岸へたどり着いて、岸に一番近かった七海がロープを引っ掛けて筏を固定しようとした時だった。

「わぁっ!」
「名前!?」

 七海が動いた筏は大きく揺れて、油断していたわたしは灰原が伸ばしてくれた手も掴み損ねて盛大に転び落ちてしまった。池の水は思っていたよりも冷たくて、落ちたことよりもその温度に驚く。膝下にも満たない水位とはいえ、尻もちを着いてしまえば下半身はほとんど濡れてしまっていた。

「ねえ七海、助けてー!」
「まったく……大丈夫ですか?」

 水の中から手を伸ばすと、七海は大きな溜息をつきながらも手を差し出してくれた。その後ろには、悪戯っぽい笑顔を浮かべた灰原。七海越しに目配せをしている灰原の意図を理解したわたしは、七海の手を掴んで力いっぱい引っ張る。それと同時に灰原が七海の背中を押すから、さすがの七海も水辺に足を踏み出してしまった。あんなに濡れたくなさそうにしていたのに、脛の辺りまでしっかり池に浸かってしまっている。

「ぷ、あははっ! 七海が落ちた!!」
「灰原さっすがー!」
「お前ら……」
「うわっ」

 バシャンと派手な音が響いて、灰原までもが七海に引きずり下ろされて水辺へと落ちていた。一度こうなってしまえば、もう躊躇う必要なんてない。両手で水を掬って七海に飛ばすと、向こうも吹っ切れたのか仕返しとでもいうような勢いでこちらへ水を返してきた。

「ちょっと七海、……わっ!」
「容赦無さすぎない?」
「あなたたちこそ。人を突き飛ばしておきながらよく言いますね」

 それからわたしたちは時間も忘れて、水上アスレチックも関係なしに水辺をはしゃいで遊んでいた。あんなに乗り気ではなさそうだった七海も、はじめの気だるそうな表情はどこかへいってしまったらしい。灰原と一緒に水辺を走って逃げているうちに、いつの間にか蛍の光とともに閉園時間を知らせる放送が響いていた。ロッカーに預けていた荷物を取り出して、公園の門の前で濡れた服をとりあえず絞ってみたけれど、気休め程度にしかならなかった。

「一応聞きますが、あなたたち、着替えは?」
「ないよ!」
「僕も!どうやって帰ろっか」

 困った気持ちよりも楽しさがまだ上回って笑っているわたしと灰原に、七海は大きな溜息をついた。さっきまで私たちに負けないくらい楽しそうに追いかけてきたくせに。そう思って灰原の方を見遣ると、きっと彼も同じことを考えていたと思う。お揃いの顔を見合わせていると、七海のお説教が止まった。

「後先考えずに行動するからです。……何ですか?」
「七海もさぁ、なんだかんだで楽しんでたよね」
「僕もそう思う。一番楽しそうだった」
「そんな訳ないでしょう」

 ムッとした顔をする七海を他所に、わたしたちは再び顔を見合わせて笑っていた。また大きな溜息が聞こえたけれど、この日を境に私たち同期の仲がより深まったような気がしていた。


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