藍――AI――
十 疑心の発露
地下の道は容易なものではなかった。足首まである水が、凍えるほど冷たい。
皆、物言わず歩き続ける。物言わぬ行進、まるで死者の群れのようだなとインディゴは思った。
やがて、静かな光明が見えてきた。それは、皆の目に希望の光のように映った。
出口だ……。誰かが言った。その一言に、皆無言で頷くだけだ。その光の先に不安の色を見出したのかもしれない。これから起こるであろう未来を垣間見たのかもしれない。ただ一つ、この出口に何が待ち受けているのか、皆一様に予測していたことだけは確かだった。
予測はいつでも裏切らない。
皆、思った通りの出来事に、冷静でいられた。
出口を出た所で声が掛けられた。
「諸君、待っていたよ。御苦労」
メガネをかけた男はスポットライトを浴びるように、背後からのライトの照射を背に立っていた。丁度インディゴ達からは逆光になっている。だから男の細かな表情などは解らない。ただ、その男が人間であることだけは窺い知れた。やや甲高い、皮肉交じりの声音で男は続ける。
「我々の望む者を連れて来てくれたね」
「コムリ!」
ハーベイがコムリの方を振り向く。その顔は、険しい。しかし、コムリはただ首を横に振るだけだ。男の言っていることは、自分の関知するところではない。そう言っているようだ。実際、コムリとは無関係なのだろう。その証拠に、男はコムリの方を見向きもしない。そればかりか、インディゴの方ばかり見ている。
「インディゴくん、久しぶりだね」
「あんたの顔なんて、二度と見たくないと思っていたのに」
「連れないね。君が戻って来てくれるなら、他の者達は見逃してやろう。悪くない取引だろう?」
男の眼鏡が光った。光の反射か、それとも。否、光の反射はあり得ない。男は逆光だからだ。ならば、眼鏡の奥の瞳が光ったということだろう。その約束を守るという保証は誰がするの、とインディゴは言った。その言葉が耳朶に触れた時、男は辺りを窺うように視線を走らせ、思考を巡らせるようにゆっくりと目を閉じた。恍惚とした言葉がその唇から漏れ聞こえてくる。
「君は知っているかな? 藍色の毛並みを持つものは、同じ時代に二人として生まれることは無い、という伝説を。ではなぜ、君はここに居る?」
インディゴは目を見開いた。
「君には価値がある、と言っているのだよ。約束を守るだけの、ね」
「ほんとに、」
「貴様は、世界を滅ぼす気か」
インディゴが答えようとして、コムリに遮られた。獣人達は皆一様にアルセナヴィッチコフのことを言っている事に思い当たったが、ハーベイだけはピンとこなかった。
(世界を滅ぼす……? インディゴやアルの力って、世界を滅ぼす力なのか)
ハーベイは誰に言うともなく、心の中で呟いた。それで二人を嫌いになったわけじゃないけど、この世界を本当に滅ぼすものなのだとしたら人々にとってそれは限りなく災厄に近いもの、なのではないかと思った。実際に力の発動を目の当たりにしたわけではないから何とも言えないが。
かつて、アルは言った。僕たちは運命に導かれたのだと。運命に導かれて、この世界に生を受けたのだ。世界樹に同調しているから良く解る、と。
(あの時、アルが僕たちと言っていたのは、インディゴも入っていたのか……)
ハーベイはちらとインディゴを盗み見た。顔が引き攣っている。緊張しているだけではないようだ。と、言うことは、あの男と獣人達の言っていることは確かなのか。確証は無いが、信じるしかない。そして、今自分にできることは何か、を頭の中で計算し始めた。
一発の銃声がその場にいた全員を凍りつかせた。
発砲したのはハーベイだ。当然、人間の科学者に向かって。はたして、男はその場に屈折れた。胸を押さえていたが、急所は外れたようだ。ハーベイが軽く舌打ちする。
「皆、力を使え!」
簡潔だが、力強い声が周囲を包み込む。そのハーベイの一言で、その場にいた獣人達は我に返った。そして、誰よりも早く動いたのが、インディゴだった。
力の制御――と一言で言ってしまえば簡単なものだが、インディゴにとってそれは雲を掴むように難しい。だが、今出来なければ、大好きな人達が殺されてしまうかもしれないのだ。インディゴは両の眼を瞑った。視界からの情報を閉ざすことによって、内にある自身の力に集中するためだ。制御が難しいなら、全ての情報をシャットアウトして力に集中するしかない。その努力を、彼女は初めて試みた。
彼女の奥底、水底に揺らめく青い花が見えた。怒り、恐怖、不安、全てのネガティブをそこに閉じ込めた時、蕾みだったそれは花開いた。炎のようにちりちりと火花が散った。
インディゴの体が光っている。それを目撃したハーベイは空唾を飲み込んだ。
それは、力の発現だった。
青い光は暴発することなく、一点に集束していく。インディゴの胸に。数字の烙印を捺された場所、その一点に高速で回転する青白い月のような球体を留め置く。そこから発する光の管は、その場にいる全てのゲリラ兵達を貫いた。人間の科学者も、戦車も、例外ではない。唯一の例外は、コルムやハーベイ、施設仲間達だった。インディゴにとって、かけがえの無い味方だからだ。
全ては一瞬で終わった。
朝日が昇ると同時に、青い光は収束していき、小さくなって消えた。
インディゴの身体も光を失っている。
「インディゴ、頑張ったな」
最初に声を掛けたのは、インディゴの倒れ込む身体を抱き止めたハーベイだった。
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