藍――AI――


五 吟遊詩人の導き

 北の極寒の地。ここは長い冬と短い夏とで構成されている。長い冬の時期は雪に閉ざされ、寒さに震えながら暮らすしかない。南のダリア山脈に当たった風が、吹き込む形になっているからだ。この地に暮らすしか、獣人たちの安息の場は無いのだ。獣人達は皆南の人間達の住む地域から流れてここまでやってくる。
 町の中には獣人だけが存在を許されていた。高層建築物は無く、平屋が多い。中央に行政塔が聳えていた。
「宿を取ろう」
 ハーベイが言った。行動を起す前に先に宿をとってからだ、と。インディゴは頷いた。
 この町に宿屋は一軒しかない。人の出入りが少ないからだ。商業は需要と供給のバランスで成り立ている。然るに人の出入りが少ないと言うことは、需要が無い、と言うことだ。この町では宿屋は一軒で事足りた。
 町の中心に位置する場所にその宿屋は建っていた。商業地区というやつだ。
 中に入る。そこにはルリィがいた。熟しきった酒場の一角でルリィがハープを爪弾いていた。ハーベイが驚いて、言った。
「何故お前がここにいる! どうやって……」
「私にはあなた方を導くという使命があるので」
 ルリィは平然としてのたまった。ハーベイは絶句した。
 しかし謎なのはルリィは顔を隠していないのだ。完全に人類種でありながら顔を隠していないというのは、この獣人種の町にあって考えられないことだった。緑色の目と髪、人目を引くその風貌に、しかし誰も注視していなかった。完全に溶け込んでいる。ハーベイにはその点も腑に落ちなかった。
「ルリィさん、話なら部屋で」
 珍しくインディゴが双方を促す。ハーベイもルリィも目を見開いた。
 宿の手配をしてから、ルリィの取っている部屋へと移動する二人。酒場の他の客達からの、訝しげに投げかけてくる視線を受け流しながら階段を上がる。軋む音が宿屋の等級を現していた。
 場所を移して最初に口火を切ったのは他でもない、ハーベイだった。扉が閉まったのを確認してからフードを外し、口を開く。
「お前はどうして俺達の先回りが出来たんだ? それに……獣人たちの中で隠す風でも無く溶け込んでいたのも腑に落ちない。理由が知りたい」
「あなた達を追って来た、じゃ不服ですか?」
「ああ、大いに不服だね。第一、獣人たちの中で溶け込んでいたじゃないか。少なくともその説明と、俺達を追い回す理由。これが知りたい」
 話の主導権はハーベイが握っている。インディゴは口を閉ざしたまま、二人のやり取りを見守っている。
「ああ、そのことなら……私には少し特殊な能力がありましてね。周囲と同化する事が出来るのです」
 同化というものがどういったことなのか、具体的には解らない二人であったが、疑問を口に出す前に、ルリィによって遮られた。
「それと、二つ目の質問の答え。この世界は破壊と再生を欲しています。それが答えですが、不服ですか?」
「…………ここに先回りできた理由は?」
 それにはルリィは伏目がちにしただけで、答えようとしない。
「私はあなた方と共にある。……それだけでは不服ですか?」
 ルリィが口を開いたときには、ハーベイの怒りは頂点に発していた。
「不服だよ! お前は何者で、何のために俺たちに関わっているんだ! 答える義務があるだろう」
「義務……ですか。何を持って義務というのでしょう。あなた方は私を拘束していない。私もあなた方を拘束していない。拘束していない以上、そこに義務が発生する余地はないと思いますけれど」
 にこりと微笑むルリィ。余裕の笑みだ。
「さて。話とは何でしょう?」
 ルリィはインディゴに向き直ると、改めて問い質した。
「私たちが今後どうすればいいのか、あなたなら知っているのでしょう?」
「知っていますけれど…………」
「それを教えてください」
 それはインディゴにしてみればひとつの賭けだった。自分たちがここへ来たのは、ルリィの導きがあったからだ。運命に導かれたといってもいい。彼女の言葉、一語一句に注意を払っても良いのではないか。少なくとも自分たちと彼女との出会いは、偶然ではないのだから。
「解りました。私はそのためにここにいるのですから」
 最初に出会ったころと同じ笑顔で返してきた。

 カーテンも付いていない窓の外が白み始めてきた。暁の前兆が町全体を包み込もうとしていた。宵の紺のカーテンがゆっくりと上がっていく。それはまるで劇場の仕掛けのようだった。市場ならばこの時間帯から準備が始まる。喧騒が次第に高まる。
「まず、この町から出ないと」
 最初に口走ったのはハーベイだった。ルリィから事の次第を聞いた後だ。その作戦を成功させるには、まず町の郊外に住んでいるという人に会いに行かなければならない。ほとんど世捨て人同然の暮らしをしているから、一筋縄ではいかないだろう。研究所を恐れているとも聞いている。何らかのアクションを起こせば、何らかの災いが降りかかろう。それを承知で力を貸してくれるだろうか。ルリィのいった言葉が真実なら、力を貸してくれるだろう。だが、彼女を全面的に信じていいのだろうか。ハーベイは迷った。ここは獣人の町だ。獣人に、売られはしないだろうか。その考えも捨てきれない。
「でも、いくよ。…………行くしか、無い」
 インディゴの力強い声が木霊した。
 日中にアクションを起こしたほうが自然だろうと、インディゴとハーベイとルリィは明け方を待って出かけていった。ハーベイはフードを目深にかぶって。ルリィは人型だが、平然としていた。その所作も獣人たちに対して何らかの効果があるのだろう。だが、たとえそれが禁じられた魔道だとしても、そのような危ない御業には誰でも近付きたくないもの。ルリィに関しては触れなかった。誰も。
 市場の喧騒を振り払い、三人は市場通りを歩いていく。覗く余裕も無いので、急ぎ足で素通りだ。ただ喧騒が後ろから追ってくる。
「泥棒だ!」
 見ると、犬の獣人が市場に並べられた装飾品を手に、逃げ出していた。ちょうどこちらに向かってくる。
 その言葉を聞いて、ハーベイが動いた。即座に泥棒の腕を掴み、捻り上げる。その時、泥棒が暴れ、ハーベイのフードが取り払われた。顔が露になる。
「こ、こいつ、人間だ!」
 獣人達は好奇の眼差しと敵愾心とで、ハーベイを見遣る。目が血走っている。
「やばい。逃げるぞ!」
 ハーベイの掛け声を待たず、ルリィとインディゴは走り出していた。
 市場を突っ切っていくと、その先には西の門が見えてくる。そこをとりあえず目指す。しかしインディゴには記憶があった。西の門を抜けるとそこには……。

 逃げるのには慣れている。研究所から脱走するときに逃げてきたし、今は隣のハーベイと一緒に逃避行だ。ハーベイの方もそれは同じらしく、慣れた逃げ方だ。この人はいったい今まで何をしてきたのだろう。ふと疑問が過ぎる。私はまだハーベイのことを知らなさ過ぎるのかもしれない。向こうは自分のことを知っているのに、こちらは何も知らない。むしろ知らせてくれない方だ。不公平だ。こんな
 思考はそこで途切れた。町の外れに出たからだ。寒い所に生えているイワダレソウが咲いている。他にも寒冷地に強い草木が点在していた。インディゴは懐かしさに目を細めた。この先に、この先に研究所がある。
「こちらへ! 早く!」
 ルリィが二人を誘導する。
 追っ手が駆けつけるが、ルリィが片手を振るうと、地面を這っていた蔦や茂みが彼等の行く手を阻んだ。
「今の内に!」
 ルリィが叫ぶ。なぜルリィが? インディゴが疑問を口にする前に引っ張られた。腕を引っ張ったのはハーベイだった。彼女は異常だ。だが、それに甘えるしかないのも事実である。事実は利用するためにあるのだ。そう、目が物語っていた。

 結局ルリィをその場に残し、ハーベイとインディゴは元研究員に会うために郊外へと向かった。

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