藍――AI――


一 はじまりの花

 都市の中心部で、藍色の閃光が弾けた。それはまるで、花のように広がり周囲を飲み込んでいった。
 荒野となった都市の中心に、少女が倒れている。全身を和毛にこげに覆われ、さながらイエネコの様である。体毛は藍色だ。獣人族の間では藍色の毛並みは珍しい、どころか百年に一人生まれるかどうかと言うほど稀である。
 その少女を見つめる双眸があった。十キロほど離れた所に立っているその男は、年の頃なら二十半ば、旅人然とした風体だ。広い鍔の帽子を目深に被っており、顔はよく見えない。羽織っているマントが風にはためいた。
「可哀想に」
 男はそう、呟くと疾駆した。少女との距離を一息で詰める。早くしないと回収班が来てしまう。その前に彼女を安全な場所まで連れて行かなければ。そう、思考を巡らせつつ、全力で走ったのだ。風のように。
 男が少女の元に辿り着き、肩に担ぎ上げた時点で、ジープが走り込んで来た。遠目に見て、五十キロほどの距離だろうか。男は、直ぐと踵を返した。
「止まれ! 止まらないと撃つぞ!」
 ジープが二十キロの距離に迫った時点で、制止の声がかかる。男は首を巡らせ視認する。ジープに乗っているのは三人。皆、獣人だ。ヤギの角のように、鋭角に尖った角が頭部に二本生えている。
 ――いや、それよりも、足を止めないと。
 男は腰のホルスターから、拳銃を抜くと、瞬時に打ち抜いた。ジープのタイヤを。通常のそれよりも、銃身の長いものだ。射程は十分、届く。と、一瞬の間を置いて、高い破裂音と共に、タイヤが弾けた。抜き打ち、というやつだ。逡巡する間も無く、前輪のもう一つを打ち抜く。通常では至難の業を、男はいとも容易くやってのけた。ヤギの男達は唖然とした。
 前のめりになったジープは、地面にキスをした。惰性で引き擦られていく。
 その様を一瞥すると、男は少女を抱えて走り去った。

 洞窟の中、男は焚き火に火を起こしている。てらてらと光る灯りは洞窟の凸凹の壁面に反射して、岩の赤い色合いを如実に照らし出していた。そこは大地の隆起によって起きた小山の中腹であることが解る。岩が隆起して出来たそこは、岩石がごろごろと転がっている。男の対面には焚き火を挟んで少女が横たわっている。先ほど男が連れ去った少女だ。少女は静かに寝息を立てている。和毛の無い二足歩行動物――人間である男とは似ても似つかないどころか、種族同士で敵対関係にあるもの同士だ。その男が、静かに少女の目覚めるのを待っている。裸体であった少女には毛布代わりのマントが掛けられている。火が点いて、数瞬の後に少女は目覚めた。
 薄ぼんやりとした視界の中、ただ赤々と燃える焚き火の火が眼に飛び込んできた。ぼんやりとした頭でその奥に人が座っていることを認識する。認識した後で、ふと何かに気付き、被せてあるマントの中を覗く。途端に、少女の頬から耳にかけて朱に染まり、小さい悲鳴を上げた。マントの中は赤裸々だったからだ。一糸纏いぬその様を見て、ついで男と自分を交互に見遣り、ますます朱に染まった頬を色濃くしていく。少女の疑いの視線を受け、男は苦笑いを浮かべる。
「気が付いたようだね。……はっは、安心したまえ、君には手を出してはいない。君に手を付けたら、怒られてしまうよ」鳶色の目が笑っている。
「……誰?」
 少女は、誰に? と問いかけたい衝動を抑え、誰何に留めた。その声は、小さく、弱々しかったが、よく通る声なので相手には伝わっているだろうと、少女は男が言葉を発するのを待った。
「ああ、すまない。名乗るのが遅れた。俺はハーベイラス・エコーと言う者で、アルセナヴィッチコフの友人だ。ハーベイでいい。…………君は、インディゴ・ブルーだね?」
 アルセナヴィッチコフと言うのは、獣人世界における伝説の人だ。少女と同じ藍色の和毛を持っている。伝説に名高いその人の名前を聞いて、少女は少し警戒を解いた。だが、まだ油断してはいない。
「おじさん、アルセナヴィッチコフを知っているの?」
「ああ、古くからの友人だよ」
「どうして、私の名前を……?」
「アルが予言したからさ」
「予言?」
「…………君は服を着たほうが良い」
 あえて話題を逸らしたのだろう。その言を受け、インディゴは思い出したとでも言わんばかりに、顔から火が噴出したように真っ赤になる。
 実際、インディゴたち獣人は体中和毛で覆われているために、若干の寒さには強いのだ。人間達よりも遥かに。体毛が無いのは腹部と胸部だけで、あとは柔毛に覆われている。その柔毛が寒風を防いでくれるのだ。だから獣人達はもともと服を着る、という文化を持っていなかった。多少の布切れを身に着けるぐらいだった。その獣人達に服飾文化を持ち込んだのは、他でもない人間だった。そして、服飾文化が広く浸透していったとき、純粋な獣人達に恥辱という感情が芽生えた。
 ハーベイは自身の荷物の中から代えの服を取り出すと、「男物だが」と断りを入れてインディゴに手渡した。そして自分は「何か、食べるものを獲ってくる」と言い置いてライフル銃を手にすると、洞窟を出て行った。それが彼の配慮なのだと解るのに、さほど時間は要しなかった。
 インディゴは遅々として着替え始める。ふと何かに気付き、胸の直ぐ上、左右の鎖骨の真ん中に手を当て辛そうに目を瞑る。掌の下には研究所にいた頃につけられた刺青がある。割り振られた番号と共に研究所の名前が彫られてある。とても辛い記憶だ。暫しの間、そうしていたが、暫瞬の後に着替えを再開した。
 ハーベイが兎を数匹手に戻ってくると、既にインディゴの着替えは終わっていた。大きいサイズを無理やり着込んでいる風は隠せないが、他に服が無いので今のところは止むを得ない。どこか町に着いたら女物の服を買ってやろうと、彼は思った。
 ハーベイは獲ってきた兎の喉元に小刀を当てると、躊躇無く裂いた。多少血飛沫が飛んだが、インディゴにはかからない様な向きを向いているので問題ない。インディゴは一瞬肩を竦めたが、目を瞠っている。ハーベイはそのまま首を切った方とは逆の方に逸らし、全ての血液を出し切るまで出す。出し切った後で、兎の足を四本切断し、毛皮を剥ぎ取る。兎の足は旅のお守りにするための物だとか、毛皮はいい値段で売れるだの、逐次説明しながら他の二匹も同じように作業していく。慣れているようで、手際は良かった。一匹分を拾ってきた木の棒に突き刺し、股のように分かれた木の棒二本を焚き火の対面になるように地面に突き刺し、その上に兎肉を突き刺した棒を乗せる。これで簡易式のグリルの完成だ。残り二匹は塩漬けにして保存食にするつもりらしい。
「食べないのか?」
 兎肉が焼きあがって、ハーベイはナイフで裂いて食べている。インディゴの分も小皿にとってあるが、インディゴは手をつけていない。
「食べたくないのなら、食べなくて良い。食べたくなったら食べろ」
「………………おじさんは人間でしょ。どうして私を助けたの」
「それか。んー、アルに託されたから、じゃ不服かい?」
「…………」
「わかった、わかった。じゃあ、話してあげよう。長くなるが……、
 俺がアルと出会ったのは、ほんの偶然だった。俺は旅をしていた。自分を探す旅だ。とても長い旅だった。その旅の最中、俺は妙な噂話を耳にした。“世界のへそ”と呼ばれる森の奥から、男の呻き声のようなものが聞こえてくる、というものだった。俺は確かめずにはいられなかった。もともと当ての無い旅だったし、好奇心が強い方なのでね。俺は一人で“世界のへそ”に足を踏み入れた。……正直驚いたよ。そこは、まったくの別世界、異界にも等しき世界だったからだ。この世のものとは思えない極彩色に彩られていた。その森は、迷いの森とも呼ばれていて、導きの鈴が無いと迷って出られなくなるのだそうだ。俺は、導きの鈴を持って入ったから迷うことは無かった。何日彷徨っていただろう。その森では昼と夜の境目が無くて、歩き続けて、疲れたら寝るを繰り返した。その森の中には不思議と襲ってくる動物がいなかったから、安全は保たれていたんだ。寝るときは森の木々や草叢がどいてくれた。不思議な森だったよ。まるで生きているような。……何処まで話したっけな。…………ああ、そうだ。ともかくそうやって何日も彷徨った末、突然開けた場所に出た。そこには、驚くべきものがあった。獣人が、木に喰われていたんだ。――いやいや、喩えじゃない。本当に喰われていたんだ。そいつは気だるそうに眼を開けると、俺を認めてこう言ったんだ。「ああ、人が来た」そう言って、その獣人は微笑んだ。驚いたことに、そいつは生きていたんだ。それから、俺たちは親交を深めていった。
 いろいろな話をしたさ。俺が旅で出会った様々なこと。そいつの身の上に起こった出来事。藍色の伝説のこともな」
 薪が弾け、炎が揺らめいた。ハーベイは新しい薪をくべる。
「そして、俺があいつの元を去ろうというときに、あいつは言ったんだ。お前のことを頼むと。そいつがアルセナヴィッチコフ。毛色はお前と同じ藍色だった――」
 炎がぱちと爆ぜた。
「教えて。私に、何があったの?」
 発問したインディゴの瞳は真剣だった。

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