短編


雪うさぎ

お題:初雪(創作小説短編集コミュより)


 雪がしんしんと降っている。その真っ白い氷の結晶は、今年に入ってから始めて見るもので、降り始めてからだいぶ経つというのに、地面の上に地層のように積もっている白い絨毯はまだ成長の途中のようだ。これからますますその層を厚くしていくのだろう。寒暖の激しい土地柄、雪は然して珍しくも無い。
 やがて、新雪が降り積もる冬枯れの並木道に、雪を圧縮する音が響いて来た。
 膝の辺りまで積もっている雪に足跡をつけながらやってきたのは、少年だった。まだ年端も行かない少年だ。青びょうたんを垂らして寒そうにしている。短く刈り上げた、けれど丸坊主まではいかない乱髪の上に、暖色系の毛糸の三角帽を被り、首にはマフラーを巻いている。コートは着膨れて、これ以上ないくらいに膨れている。まだ降り続いている雪が目に入らないように、ただでさえ小さな鳶色の眼は更に小さく細められている。
「やあ、積もったな。積もったよ。遊ぼう、遊ぼう」
 少年は、音を立てて雪を踏み締める。氷を割るときの、あの、軽く冷たい音が聞こえてくる。暫く凍て付いた音が辺りに響く。
 少年が何やら、屈んで何かを形作っている。掌に乗るそれは、雪玉だった。それを楕円の形に固めていって、上に近くの草叢から毟り取った二枚の常緑の葉っぱを平行に並べて差し込む。赤い木の実を目に見立ててその下につければ、雪うさぎが出来上がった。
「わぁい。かわいいなぁ。お前の名前は、ぴょんこだ。ぴょんこ――」
 少年は独りごちて、雪うさぎを眺め回しながら微笑を浮かべている。
 雪はしんしんと、少年のそんな様子を眺め下ろしている。

 少年はそのまま取って返して、家に帰りつくと、その軒下に雪うさぎ――ぴょんこを置いた。冷たい冷たい氷の結晶で出来ている雪うさぎは、寒い寒い外の空気に触れていなくてはいけないから。だから少年は、雪うさぎを外に置いておく事にした。
 少年が玄関の引き戸を開けて家の中に入ってしまうと、ぴょんこは独りぼっちになった。
 外はまだしんしんと雪が降っている。
 どれくらいの時間、そうしていただろう。ぴょんこは独りぼっちで、でも寂しいと感じる心さえなくてその場に蹲っていた。すると、何処からか声が聞こえて来た。
「君はそんなところで何をしているの? 独りぼっちで寂しくない?」
 ぴょんこは最初、その声が何処から降ってくるのか解らなかった。でも、それでも素直に答えていた。
「さび……しい? 寂しいって、何の事?」
「寂しいって、一人ぼっちでいることだよ。一人ぼっちで、孤独に打ちひしがれることさ」
 ようやっと、その声の主の方へと首を回らせることが出来た。そこには、藁で編んだ三角帽をかぶって、古めかしい和服を着た子供が立っていた。男の子の様でもあり、女の子の様でもある。
「君は……誰?」
 ぴょんこの当然の誰何に、三角帽子の子は不思議な笑みを見せた。
 その子は雪ん子だった。誰に説明されるでもなく、ぴょんこには解っていた。雪を統べるもの。雪の中に生き、決して雪中から出ることを許されない者。あるときは雪の女王として現れ、またある時は雪男として実しやかに囁かれる。雪の精霊でもあり、雪の王でもあるその者は、時としてこのような少年の御姿で現れることがあると言う。
 雪ん子はぴょんこに手を差し伸べた。ぴょんこはその差し伸べられた手を、何の打算も思惑も無く握り返した。するとそれを契約履行の合図と受け止めた雪ん子は、笑顔を煌かせた。まるで何かの魔法を使ったかのごとく。その笑顔の光に当てられて、ぴょんこは瞬間移動か何かのようにその場から掻き消えた。後に残ったのは、ぴょんこがその場に蹲っていた証左である、雪跡だけだった。それもまた、降り続く雪に掻き消される。

 ぴょんこは突然異界に放り出された。
 そこは、暑すぎず寒すぎず、とても心地よい場所だった。そしてとても、美しい場所だった。周囲は、想像を絶する紅に満ちていた。現実の感覚がまるで無い。自分が此処に存在していると言う事実さえも、胡乱である。雪はあった。だが感覚だけだ。降り積もった雪の感覚と、少しずつだが再び降り始めていた降雪の感覚と。まったくもって此処は異界だった。元いた世界とは違う場所であり、同じ場所でもある異界。向こうの世界の重なり世界。ここは、そんな場所。
「雪やこんこ、霰やこんこ」
 突然、何処からか歌が聞こえてきた。あの、雪ん子の声だ。
 そこに居るんだろうと、ぴょんこが周囲を見渡してみると、突然背後から手が伸びてきて、ぴょんこの体を嘗め回すように撫で回った。そしてくつくつと笑うと、先程の歌の歌詞を再び口ずさみ、ぴょんこに訊ねた。
「雪やこんこ、霰やこんこ。ねぇ、知ってる? この歌の意味」
 古くは雪を呼ぶためのお呪いだったんだ。「雪やこんこ」とは、雪は来るかいな、まだかいなを文字ったものだ。雪を望む心が生んだ歌である。歌詞は二番まであり、俗に有名なのは二番の方である。

雪やこんこ 霰
あられ
やこんこ。
降っては降っては ずんずん積
つも
る。
山も野原も 綿帽子
わたぼうし
かぶり、
枯木
かれき
残らず 花が咲く。

雪やこんこ 霰やこんこ。
降っても降っても まだ降りやまぬ。
犬は喜び 庭駈

けまわり、
猫は火燵
こたつ
で丸くなる。

作者不明 出典:wikipediaより

「どんな意味なの?」
「人間達が雪を待ち望む歌。雪によって恩恵を受けている者達が、雪が降るのを待ちわびる歌だよ」
 最後に「綺麗な歌だよね」と結んで、雪ん子は駆け出す。ぴょんこは慌てて追い駆けるが、雪ん子は姿をくらました。
「あれ? あれれ? どこー? 待ってよぅ」
「追いついてごらん。鬼ごっこしよう」
 鬼ごっこにも古い言い伝えがある。鬼は部落でつまはじきにされたもので、人の世からかけ離れた存在として、いつしか鬼と呼ぶようになったのだ。その鬼が、自分をつまはじきにした部落の人間達に対して復讐するというのが、鬼ごっこの原点である。鬼ごっこにはもう一つの説があって、人間は本来鬼ごっこをする動物である、という起点に立っている。
 それはそうと、二人は時の経つのも忘れて――この空間では時間という概念が無いが――遊び呆けていた。雪ん子が捕まると、ぴょんこが逃げ、ぴょんこが捕まると雪ん子が逃げるを繰り返した。それは果てが無い、永遠とも思える繰り返しだった。



 ぴょんこが遊び疲れて元の世界に返ってきたとき、ぴょんこの体には無数の亀裂が入っていた。もう、今直ぐにでも接合が解けてしまいそうなほど。ぴょんこは驚いて、でも自分の死期が近付いたのをはっきりと自覚して、諦めとも悟りとも付かぬ思いを胸に抱いた。
 ――死は絶対じゃないんだ。死は通過点にしか過ぎないんだ。この世界がある限り、時は流れるし、時が流れる限りボクは何度でも生まれ変わってくる。そのとき同じ形とは限らないけれど。生命の源流は同じはずだから――。
 だから、怖くない。
 朝日が昇って黄金色の筋道が差し込んだ時、ぴょんこは一人静かに崩れた。意識は――ない。死の恐怖も無かった。
 その、壊れた雪うさぎを見た少年は、悲色を浮かべた。

Copyright (c) 2007 shun haduki All rights reserved.


mixiで参加している、創作小説短編集コミュで出ていた「初雪」というお題に挑戦しました。
月ごとにお題が発表されて、月ごとに投稿していくのだけど、間に合わなかったのでこちらに掲載。残念。だって遅筆なんだもん。
加筆したものを、北日本児童文学賞に応募しました。


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