短編


壷の中

 およそ閉じた世界とされるもの。
 壷の中。箱の底。箪笥の奥。

 その家には代々受け継がれていくものがあった。壷である。壷の中には世界があって、それを見守る権利を我々は得たのだと、壷が受け継がれるときに言い伝えられている。少女は、祖父からそのようなことを伝え聞いて、半信半疑で覗き見た。
 はたして、そこには世界があった。
 壷の外郭は空。底の方に地面があって、川も流れている。農耕の風景が広がっていた。そして、人形があった。初め、人形に見えたそれらはつぶさに見ると、生きている人間だった。所作が細やかで、生きていないとこうは動かないだろう。全員和装でやや小汚い格好をしていた。頭髪は、ざんばらに結わえるか、きちんと結い上げていた。前者は男が多く、後者は女に多かった。さすがに髷は無かったが、それに近いものもあり、前時代的なものを感じる。戦国時代から江戸時代に掛けての日本の農村を見ているかのようだ。
 少女は、
「ほう」
 と、感嘆の吐息を吐いた。
 祖父から聞いていた通りだ。底には、何の不思議もなく世界が広がっていて、ただ浪々と人生が続いていた。老いも若きも、津々浦々を駆け回っている。そこに生きているものは、紛れもなく人間だった。
 それからと言うもの、少女はほぼ毎日壷の元へと通った。それはもう、足繁く。
 少女にとってのそれは人形遊びと同じだった。他人の人生を観察する。その行為は、人形に自分の人生を重ねてごっこ遊びをするのと等しかった。女の子のごっこ遊びはシミュレーションでしかない。人生の模倣であり、夢の予行練習なのだ。こうありたいという願望が、人形遊びやごっこ遊びに繋がる。少女にはそれをする友達が居なかった。周囲に、自分と同い年くらいの子供が居ないのだ。過疎化、という問題もある。少子化というのもそれに相まっている。が、そんな諸々の社会現象など、少女にとっては大した問題ではない。少女にとって関心のある問題は、友達がいない、ということだけである。
 友達のいない寂しさを、壷の中を観察することで埋め合わせをする日々が続いた。
 ある日、地震が起こった。それは小さな地震で、少しの揺れで止まった。だが、その時壷の中では異変が起こっていたのだ。
 少女がそれに気付くのに、さほど時間を要しなかった。日課、というよりも、壷が割れていないか心配で、早速見に行ったのだ。
 地割れが起こっていた。土砂崩れも同時に発生したようだった。家畜が地割れに飲まれたようで、人々が四苦八苦していた。その様子を見て、少女は不思議に思った。まるで、つい先程こちらの世界で起こった地震が影響しているようではないか! 驚きを通り越して、確信が閃いた。
 ――こちらの世界からの干渉が、あちらの世界に影響を及ぼす。
 この法則は素敵なことの様に思えた。
 少女は早速、長い菜箸としゃもじを持ってきて、修復を試みることにした。地割れが起こった部分は周囲の土をかき集めて埋め、土砂崩れはしゃもじで丁寧に元の形に固めた。当然、埋まっていた人間達は菜箸で掘り起こし、地割れに落ちそうになっていた人間達は菜箸で助け上げた後に。壷の中の人々は、突然舞い込んだ奇跡に、神に感謝の祝詞を上げるのだった。
 それからというもの、少女は何かと壷に干渉した。先の出来事で気分を良くしたのだろう、少女は壷を故意に揺らしてみたかと思ったら中の惨劇の収拾を楽しんだ。
 めくるめく時は流れた。
 それまでも少女の干渉は続いた。ある時は壷の中に水を流し込んだり、ある時は電気スタンドを持ってきて壷の中を照らしたりした。中では、洪水、干魃と天変地異が続いた。人々は逃げ惑い、戸惑った。少女はその様を微笑んで眺めやっていた。そのすぐ後には修繕するのだ。
 それからの少女は、天変地異を起こしては、修繕を繰り返した。まるで人形で遊ぶ子供のように。その行為は他愛なかった。
 そして、彼女は神の境地になった。
 祖父はその様を見て、快くは思っていなかった。どんな人間でも、他人の命を好き勝手に弄ってよい者などいない。そして、彼女の将来にも不安の翳りがあった。だからこそ、彼女のために祖父は立ち上がるべき時だと思った。窘めるべきだと思った。
 だが、祖父は何も言わなかった。言えなかったのだ。孫の為とはいえ、孫の好きにさせてやっても良いと思ったのだ。祖父にとって、孫は可愛かった。それは、目に入れても痛くない程に。だからこその愛情だった。

Copyright (c) 2008 shun haduki All rights reserved.


昔夢に見たのを書き下ろしたものです。
日本文学館の超短編小説大賞に応募した作品です。審査員特別賞を受賞しました。

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