短編


水都のメロディー

お題『水都のメロディー』+(『オルゴール』 +『正夢』+『酒場』+『幻』)


 俺には“記憶”が無い。
 子供の頃の“記憶”など、全くと言って良いほど欠如している。
 唯一の“記憶”と呼べる記憶と言えば、ある一つの音階だけだ。
 自ら口ずさめる程鮮明に頭の片隅に蟠
わだかま
っている、その“メロディー”。その、美しくも物悲しい鮮烈なメロディーは、俺の頭の中で色褪せず鳴り響いていた。何時までも、飽きずに。
 ずっと、俺にはそのようなメロディーは不要なものだと思っていた。今の、殺し屋としてしか生きられない俺には寧ろ邪魔な存在なのだと。そう、心の中で疎んで来た。何時までも……飽きずに。
 だが、ある日を境にそれが俺にとって意味あるものへと変貌していく。
 遥か昔に聞いた事がある筈の、そのメロディー。
 聞いた事実すら忘れてしまった、そのメロディー。
 “水都のメロディー”と呼ばれるそれが、俺にとってかけがえの無いものであり、凶兆の印でもあると知ったのはつい最近の事だ。
 夢を見た。
 とても夢見が悪い夢だ。
 子供に殺される夢だ。男の子か、女の子か、顔すらも判別不能な子供に鋭利な、珊瑚色の刃物を突き立てられ殺される夢。
 それも、毎日毎日、毎度毎度、いつも同じ殺され方なのだ。
 もううんざりする位、擦り切れた活動写真を何度も何度も巻き戻してみているかのような、そんな悪夢だ。
 その、夢の中で聞えてくるのだ。
 あの、メロディーが。
 “水都のメロディー”――。

*◆*◆*


 そして、お馴染みの朝が来るんだ。
 月並み過ぎて、俺はもう慣れ親しんでしまった寝覚めの悪い朝だ。
 朝目覚めると俺は身支度をし、いつも通り依頼を受けに行きつけの酒場まで出掛ける。ギルドお抱えの酒場、って奴だ。
 そうだ。俺は、世に名を馳せているギルドハンターとか言う奴だ。しかしハンターはハンターでも、俺の場合は裏の家業、ギルドの暗黒面専門のハンターなのだ。一部の者達には、“暗殺部隊”とか“暗部”で通っているようだが、ギルドハンターには違いがない。只、報酬が通常の三倍というだけの事だ。しかし、収入が多いからというだけの理由で、この仕事にありついた訳ではない。俺には過去の記憶が無い。ただ忘れている、というわけではなく、思い出そうとしても思い出せないのだ。だから、何をおいてもその記憶を追い求めたい衝動があった。裏家業に身を投じているのは、この仕事をしていれば記憶を取り戻せるのではないか、という淡い期待と何かの予感めいたものがあったからだ。何か、神か、それに近しい者の手が俺を動かしていたのかもしれない。
 高収入といえども、仕事をしなければ飯は食えない。蓄えも直ぐに底を付いてしまうだろう。だからというわけでもないが、俺は仕事を一つこなした後数日後にはまた店に顔を出すように心掛けている。
 俺の顔が早々に知れ渡ることは無いから、昼間でも堂々と正面から入る事が出来る。今まで、暗殺対象と、仕事現場を目撃した者は、全てこの手に掛けて来たからだ。俺に、躊躇いは無い。俺は、人である事を既に棄てているからだ。この道に入った時に。
 昼間、店内は薄暗い。
 まだ開店前の準備中なのだから、当たり前といえば当たり前である。
 昼間だというのにカーテンは下ろしてあるし、表扉には「Closed」の看板が掛かっている。当然、椅子は円卓の上に乗せてあるし、店の主人は奥に篭っている。
 俺は構わず、淀みなく店内に足を踏み入れる。
 いつもの通りに。
 しかし、今日に限ってはいつもと違っていた。
 何が如何、ということまでは解らない。何かが、違うのだ。
 俺はそれを、直感で知った。
 ひょっとしたら、耳の奥底で鳴り止まぬあの“メロディー”が俺に警告を告げていたのかもしれない。
 いつもなら、聞えるはずの無い、あの“メロディー”。
 “水都のメロディー”が、その日に限って耳の内に響き渡っていたのだ。
 子供が居た。
 実体の無い子供が。
 そいつは、口を半開きにして一生懸命何かを俺に告げようとしている様だった。だが、言葉は喉に引っ掛かっているらしく外に出ようとしない。口だけが、空しく宙を掻いていた。まるで、魚が空気を求めるように。
 これは俺に対する警告だ。俺は、すぐさまそう、直感した。
「何だ? 何が言いたい?」
 俺が一歩近付くと、そいつは煙が霧散するように掻き消えた。たった一言を残して。
『依頼を受けないで』
 何だって?
 俺が自分の耳を疑っていると、奥の方から店の主人が顔を覗かせた。
「何か、あったのか?」
「あ、いや、何でも無い。それより、今日は依頼は……?」
 俺が先程の事象を告げないで居ると、マスターは肩を竦ませて見せ深くは追求しない旨を俺に示した。ありがたい事だ。その辺の心遣いと言う奴は、一種の職業病といっても過言で無いだろう。彼の場合は。
 マスターは、俺の質問に言葉で答える代わりに顎をしゃくって一方の壁を指し示す。そこには、一枚の貼り紙が貼ってあった。
「何だ、一枚しかないのか?」
 溜息混じりに呟いて、俺はこの店で唯一の貼り紙に近付いた。
 近付くにつれて露になって行くその貼り紙の内容は、ごく簡易的なものだった。
 指名手配書。
 そう呼ばれているその貼り紙には、「WANTED」の文字の下に誰か、名も知らぬ何者かの肖像画が描かれている。更にその下には、賞金額が提示されている。金貨で千枚もの大金を掛けられているその賞金首は、見るからに女性の風貌だった。それも、魔術師だか修道女だかの格好をしている。何処かで見た事があるようだが、はっきりとは思い出せない。頭の奥底で、警鐘の如き頭痛が鳴り止まない。
「何だ? 女じゃないか」
 俺が、当然沸き起こった疑問を口に出して言うと、マスターは弁解がましく申し立てた。
「ああ。だが、何でも世界の均衡を脅かす存在だそうだぜ。……とんでもない“力”を持っちまったんだろ。可哀想に」
 マスターは、悲哀の感情を持ち合わせても居ないのに、口だけで女を哀れんで見せる。俺は、反吐が出るのを必死で抑えていた。
「ああ、そうそう。言い忘れていた。殺しの前にギルドに寄って行くように言い付かっていたんだ」
 俺が、早速仕事に取り掛かろうと出口に向かうと、その足を止めるようにマスターが声を掛けて来た。そして、重要なことを軽口で述べる。
(ギルドに寄れ? やっと、暗部の仕事が回って来たのか?)
 暗部の仕事には二種類ある。
 一つは、表向きのもので賞金首を只殺すだけのつまらない仕事だ。賞金首を殺して、賞金を頂く。この賞金首は他の誰でも追う事が出来るし、ギルドやギルド系列の酒場等には良く貼り出されていたりもする。つまり、一般的だ、という事だ。
 そしてもう一つは、此方の方が本来の仕事なのだが、ギルド長から直接下される仕事だ。ギルド長から直接下される、ということは表向きには出来ない裏の仕事、という事だ。要人暗殺から、とある組織の内部調査、はたまた何処かの不穏な空気漲る国の偵察等々々。表のハンター達にはとても出来ないような、汚い仕事が俺たち裏の稼業だ。何でも、世界の均衡を脅かすものを始末するのが任務なのだそうだ。
 俺には、寧ろこういう裏稼業の方が向いている。嬉々として引き受けているくらいだ。殺し屋や裏稼業の仕事は、他の街ではどうか知れないが、ここ、クーロンでは日常茶飯事だった。だからこそ俺は、食うものにも困った事が無いのだが……。命乞いをする奴まで手に掛けなければいけなかった時など、反吐が出る思いをしたことはあったが、それももう若かりし頃だ。その時は、俺には向いていないのかと何度思ったか数知れないが、それもよき思い出だ。
 だが、慣れるまでそう時間は掛からなかった。仕事を請けなければ、俺に生きる道は無かったからだ。確たる収入もない、帰るべき家庭もない、そんな子供が食べる物を手に入れるには多少なりとも汚い仕事に手を出すしかなかった。俺の場合は、十代も半ばを過ぎていたが。
 ともかく、俺がギルドに立ち寄った時にはもう昼を少し回っていた。
 何処かで昼食を摂らなければと思惟に耽りながら、ギルドの扉を潜る。
 数分後には、俺はギルド長の前に立っていた。
「ギルド長、何か仕事ですか?」
 俺は面白くも無いのに、笑って見せる。俗に言う、営業スマイル、というやつだ。
「ああ……、仕事と言えば仕事なのだが……」
 俺の営業スマイルに対し、ギルド長は珍妙な顔を作ってみせた。そして、一つのオルゴールを取り出して、先を続けた。
 仕事の内容は、要約するとつまりこういう事らしい。
 このオルゴールの持ち主を探して、殺して欲しい、と。
 奇妙といえば、奇妙な依頼だった。
 オルゴールの持ち主が知りたいなら、正規のギルド依頼として手配するべきだ。しかも、その持ち主が判り次第殺せと来たもんだ。よりにもよって、探索と殺しの依頼が同時に来るとは。心なしか、ギルド長自身が怯えた色を裏隠ししていたような気がする。
 このギルド長の怯えは何だ?
 俺は、奇妙に思いながらもそれを隠し、難色を見せずに依頼を受ける事を承諾した。

*◆*◆*


 ギルドの建物を出た所で、また“あいつ”に出くわした。
 透き通るような実体感の伴わない、“あいつ”だ。
 そいつは、今度は言葉をはっきりと空気に乗せる事が出来た。
『依頼……受けちゃったね……』
 そいつははっきりとそう言った。
 抑揚の無い声で、無表情のまま口だけ笑みの形に歪ませて。
 そして、今度は消え入り風に流される事も無く、その場を足早に立ち去った。
(何だ? 誰かに似ているな……)
 誰かに似ている。そうは思ってみても、答えに行き当たる事は無かった。幼少時の記憶など、俺には何も無かったからだ。例え最近出会った者だとしても、とっくの昔に殺されているか、街中で擦れ違っただけの記憶にも止めて置けない他愛無い子供に過ぎないのだろう。
 俺は、拭い去れない疑問を振り払うが如く、その子供の後を付ける事にした。
 気になる事には違いが無いのだ。
 何処であったか思い出せないなら、捕まえて聞き出せば済む事だ。例えそれが幽霊だとしても。
 街中を小走りにひた走って良くそいつは、子供の足ながらも意外に早い事が判明した。この、俺が、息せき切って小走りに後を付けなければならないほどなのだ。
(幽霊だからか……?)
 それとも、何か超常の力が働いているのか……。
 ともかく、そいつは踊る様に何処かへと向かっていく。俺が後を付けている事を知ってか知らずか――。

*◆*◆*



(教会……?)
 辿り着いた先は、街の端に位置する教会だった。丁度外壁に守られている様にも、寄り掛かって隠れ潜んでいる様にも見える。廃れているように見えるのは、外見だけか?
 少年の幽霊は此方に一瞥をくれると、その廃れた教会の中に消えて行った。
(……? 何かの罠か?)
 ともかく、行くしかない。情報が無い以上、何かを知ってそうな奴を追い求めるのも悪くは無いだろう。
 そう思い立ち、一歩目を歩み出そうとした俺の耳にオルゴールが落ち、蓋が開く時の軽い音が聞えた。
「おっと、いけない……」
 拾おうとして動きを止めたのは、同時に耳に届いた“メロディー”のせいだ。それは、何度も耳にした覚えの有るあの、“水都のメロディー”だった。
 俺は一瞬、心が凍る思いを覚えた。体が緊張して、筋肉が痙攣する。同時に脳裏を過ぎったのは、断片的な記憶――深い青味がかった黒い海の記憶だった。泡が俺の周りを取り囲み、そして……思い出せない。それ以上は。
 頭痛に顔を歪ませ、俺はその場に蹲った。
 上手く思い出せない。思い出すべき事実だと、何処かの誰かが必死に叫んでいるのに、その声は届かず、頭痛に辟易するのみだ。
 どれだけの間苦痛に耐えていたのだろう。
 そろそろ西日が外壁を過ぎ越し差し込んで来ようと言う時刻、俺はふと教会の入り口に目を遣る。少年は既にそこには居ない。只有るのは、飲み込まんばかりの闇ばかりだ。
 俺は何かに突き動かされる様に、教会の中に踏み込んだ。
 廃れた教会の薄暗がりの中、楚々と十字架の前に立っていたのは、賞金首の女だった。女は仰々しく、俺に言った。
「やっと、ここまで来たのですね、ガヤン。待っていましたよ、ずっとこの時を――」
「お、俺の名前を知っているのか!? ……何者だ? お前……」
 俺は、記憶を失っている。只一つの記憶――名前だけを抜かして。
 その俺の名前を名乗る前から知っている、この女は――。
 俺が試行錯誤していると、痺れを切らしたか女は大仰に再び口を開いた。
「……まだ、判らないのですか? 存外に、鈍いのですね。では、これでは如何です?」
 女はそう言うと、左手を一振りし上に上げた。見る間に高波が、押し寄せる一歩手前まで溢れかえり、女の容姿が一変した。天女の様な薄絹を纏い、宙に浮いた飛沫を従えている。
「おまえ……は、一体……何だ……」
 俺は、益々酷くなって来た頭痛を無理やり捻り抑えると、言葉を搾り出した。
 女は幽かに微笑むと、慈愛の瞳で俺を見る。
「貴方は……そうですか。記憶を無くしているのですね。いいでしょう。特別に、教えて差し上げます。
 貴方は、一度死んだのです。海で。しかし貴方は、自身の死を否定しました。そして私と、ある約束をしたのです。刻が来たらば、魂を差し出すと。だから、今は見逃してくれと。私は、貴方を迎えに来たのです。約束の刻はきました。さあ、来なさい――」
 俺の背後に幽霊の如く浮かび上がったのは、先程の少年だった。年の頃なら、5、6歳と言った所か。微笑みも涙も浮かべぬ無表情で、珊瑚の短剣を握り締めている。しっかりと。
 そこから先は、一秒一秒が永遠にも近く感じられた。
 少年の握っている珊瑚の短剣は、ゆっくりとだが確実に俺の胸の丁度真ん中に吸い込まれて行った。少年は、走って来たのかもしれない。其れともゆっくりと、歩調を乱さずに歩いて来たのか。
 ともかく、俺に接敵すると、何の迷いも無く短剣を心の臓に突き刺したのだった。
 その時俺は、全てを思い出していた。
 そうだ、やっと思い出した。
 俺は子供の頃、海難事故に遭ったんだった。
 高鳴る波がまだ小さかった俺を飲み込んで、沖へと押し流した。そして沈んでいく……深く、静かに。
 黒と青の境目みたいな深海の中、何かに縋ろうともがく手が掴んだものは――女の手だった。冷たく、白い女の手。
 その時差し伸べられた救いの手は、俺に生きる活力を与えてくれるものだ。俺はその時、そう直感した。そして、その通り女は活力を与えてくれたのだ。
 あの時女は何か、途方も無い事を口ずさんでいた様な気がする。俺は、女の紺碧の瞳をじっと見詰めながら、その言葉の意味も知らずにたった一つ肯いただけだった。ただ、生きたいと願いながら――。
 そして――俺は死んだ。
 今、此処にこうして立っている俺は一度死んで生き返ったからだ。女の力で。
 女は、海の精霊だと言っていた。そして、俺は契約によって生きていられるのだと言うことと、時が来たら魂を海に返すのだと言うことまで全て、俺は思い出していた。
 唐突に。
「なんてこったい。まさかあの夢が……正夢だったとは…………」
 俺は皮肉がぎっしり込められた笑みを口元に浮かべると、コマ送りの如くゆっくりと床に倒れ伏した――。
 彼女の、次の獲物は、

*◆*◆*


 とある酒場の一隅に、旅装をした若者と飲んだくれて髭だらけの顔を赤らめた男が向かい合って酒を酌み交わしている。旅装の男は、どうやら吟遊詩人らしくシタールを背に掛けている。
 髭面の男は、エールの入ったグラスを傾けると、コールベルの名前の由来を嬉々として話し出した。
「コールベルの名前の由来を知ってるかい?
 昔、コールベル付近の海は潮流の関係で結構荒れていたんだってさ。付近の漁村の猟師たちが一度漁に出ると幾日も帰って来れなかったようだよ。で、よく遭難とかが続出してたんだってさ。そこで、コールベルの地にあたる場所にでっかい鐘楼を作ったんだ。その鐘の音は百里先の人の耳にも届いたって話だ。ほんとかどうか怪しいがね。
 で、鐘(ベル)を鳴らして漁に出た者達を呼び戻す、って願いが込められているんだってさ。これが、コールベルの名前の由来さ」
 以来、鐘の音色を含めたメロディーは、コールベル市民の間で広く愛され、オルゴールなどで広く伝わって行ったのだという。そして、そのメロディーは、水の都コールベルに因んで、こう呼ばれていた。
 “水都のメロディー”と――。

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私が参加していたリレー小説サイト「テラロマンス」の「匿名お題」の一作品です。
テラロマンスの世界観で書きました。固有の地名はテラロマの地名です。

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