買い物袋を抱え直し、寄宿舎の扉を潜る。
食堂を横切り、一直線上にあるエレベーターのボタンを押して上から降りてくるのを待った。
さすがに一週間分の食料を抱えた今、階段を使って七階まで行くのは少し面倒だったりする。
今日の夕飯は何だろうか、と思いながら待っていれば数秒で目の前の扉が開いた。
乗り込んで七を押し、ゆったりと上昇していく感覚を感じながら再び扉が開くのを待つ。
七階です、という女性の機械音の後に扉が開き、エレベーターを降りた。
この寄宿舎の宿泊棟はエレベーターを降りて左に行けば男性棟、右に行けば女性棟という造りの建物になっている。
ちなみにサブロビーは各階にあり、メインロビーは事務室や自習室、セミナー室やビリヤード場と共に二階にまとめられている。
男性棟の入り口にある自動ロックの扉に学生証を翳せば、一秒足らずで認証音が鳴って鍵が解除された。
扉を肩で押し開けて中に入り、そのまま部屋に向かう。
背後で自動で鍵が掛かった音を聞きながら一番奥の部屋の前で止まった。
部屋のドアノブの上にある数字キー、と、その前に米印を押し数字を押してシャープを押す。
ここでも認証音を鳴らし、ドアノブを捻った。
「今帰った」
入り口でサンダルを脱ぎ、室内に上がれば相部屋をしている同い年が二段ベッドの一段目に伏せっている。
ちなみに一段目の使用者は俺だ。
今寝ている奴は本来、上で寝るべきだろう。
聞いているのか聞いていないのかわからないのはいつもの事だから、そのまま放っておいて自分の机の上に荷物を置いた。
まだ夕食が始まるまでには一時間ほどあり、今日の授業の復習をしようか迷ったが買った物を冷蔵庫へ入れるのが先だと思い、袋を開く。
牛乳やら卵やらの傷みやすい物を抱え、入り口横にある小型冷蔵庫を開けた。
面白いくらいに冷蔵庫の中身が右左できっちり分かれているその中に物を入れる。
入れ終えてぱたんと扉を閉めれば、その音が気になったのかベッドで寝ていた姿が唸った。
「……う、ん……うっせ……な……」
声に振り返ると同い年の少年がシーツに額を擦り付けている。
その様子はまるで眠りから起きる直前の猫だ。
最近急に気温が上がったせいか、彼が着ているのは薄いシャツ一枚と緩いハーフパンツだけ。
タオルケットを引き寄せ、身を丸めたその姿はシャツが捲れて引き締まった腹が見え、ハーフパンツからはすっとした足が力なく伸びている。
その、目のやり場に困る姿に思わず明後日の方へ視線を背け、溜め息と共に机に戻った。
まだ袋に残っているパンやレトルト食品などを棚の一箇所に収めて、袋を畳む。
この寄宿舎は月曜から木曜の朝と夜、金曜の朝だけ寄宿舎代で食べれるが、平日の昼は各自で食券を買わなくては食堂で食事は出来ない。
金曜の夜から休日は食堂自体が休みなのでそこは確実に個人持ちだ。
今日はまだ月曜日だから夕飯の心配はいらない。
「エース、そろそろ起きろ」
テキストを出して椅子に腰掛けながら寝ているエースに声をかける。
数秒したが何の反応も返ってこなく、そのまま鉛筆を握り問題に取り組んでいれば寝返りを打つ音が聞こえた。
「エース」
再び強めに名前を呼べば、もぞもぞと動く気配がして間延びした声がする。
「んんーっ……!っは、ねみい……」
やっと起きたか、と振り返ってみると精一杯腕と体を伸ばして伸びをしていた。
腕時計に視線を落とせば長針が二十分を指している。
半から食堂が開くからあと十分は勉強が出来るだろう。
「お、帰ってきてたのか」
ベッドから降りたエースは寝起き特有の声で目を擦りながら歩いてきて、俺の手元を覗いた。
「……そこ、今までに習った場所か?」
「いや、予習だ」
そう答えればお前予習し過ぎだろ!と言われてそうか?と首を傾げればそうだよ!と返される。
「夕飯まであと十分くらいだが、今日は食べるのか?」
「おう、行く」
「なら着替えておいた方が良いと思うぞ」
今の彼の状態はいくら寄宿舎内の食堂に行くといってもあまりに酷い状態だ。
ぶかぶかのシャツも広いズボンも似合ってはいるのだが、大きく開いた首元が特に誘っているような雰囲気を醸し出している。
「あ?別に良いじゃねえか」
また大きく伸びをしたエースの無防備さに呆れて、椅子から立ち上がった。
そっと歩み寄り、晒されたシャツの背中を抱きすくめる。
ひっと息を呑む音がして、腕を回した体が大袈裟にびくりと震えた。
「なっ……!?」
慌てふためくエースは身を捩って逃れようとするが、それを押さえ込んで良い匂いのする髪の毛に鼻先をうずめる。
男にしては珍しい甘いに香りが鼻腔をくすぐり、それに酔うように深く息を吸えばびくびくと震えた。
顔を下げていき、鼻先で髪を分けて広がったうなじに唇を押し当てる。
大きめに口を開いて噛み付けば盛大に悲鳴が上がった。
それが面白くて今度は同じ箇所に優しくキスを繰り返し、痕をつける。
「ああ、ふ、やめ……!」
あまりにそそる動きと声に再び噛み付いた。
「っ、いてえ!いい加減にしやがれてめえ!いってええええ!」
「……着替える、だろ?」
「意味わかんねえよ!」
「じゃあ他の奴らにもこんなことをされるんだな」
囁き入れるように言い、体をなで下ろしてやれば、エースは顔を青褪めさせて無茶苦茶に暴れ出す。
「わかった、わかったから放せ!触るな!ば、か……!」
エースの太腿の内側をやわやわと揉めば、その体からかくりと力が抜けて潤んだ瞳が睨み上げてきた。
その顔も全然怖くはない、逆に相手をもっと煽るだけの表情だ。
そっと手を放せば、エースはへろへろと床にへたり込みしばし放心し、溜め息をつく。
のんびりと立ち上がりクローゼットから服を引きずり出してくる様子を見ていたら、見んじゃねえ後ろを向いてろ!と赤い顔で言われた。
それが面白く、笑いそうになったが、椅子に座って再びテキストを解く。
「……ふう、シュン行こうぜ」
着替え終わったらしいエースはコンコルドで後ろ髪を纏めながら声をかけてきた。
「エースお前馬鹿だな……」
「はあ?」
どうしようもない、と肩を竦めてみせればエースは怪訝そうに眉を寄せる。
それに何の返答もせず、俺は学生証を取り出して立ち上がった。
エレベーターで食堂のある一階まで下り、夕食待ちの列に並んでいると後ろから聞き慣れた声がする。
「今日の晩飯なんだろうな!」
「この間の魚のフライはおいしかったっす!」
「そうそう!……あ、シュンとエースじゃねえか」
「げ、こっち来んなダン!」
鳶色と桃色が近づいてくると、エースは面倒そうな顔をして手を払った。
その背中にダンが飛びつく。
「最近暑くてやってられねえよなあ……お、今日は髪上げてんのか、って、首に跡あるぜ?しかも赤いし、大丈夫か?」
「だ、ダン先輩っ、そういう話のには触れない方が……!」
なぜか慌てだしたのは隣にいたバロンで、エースはというとダンにくっつかれたまま完全に固まっていた。
「なんだよ、俺はただ心配しているだけで」
不服そうに唇を尖らせたダンにバロンがあわあわとしながら何とかしようと試みているが効果はなさそうだ。
「ダン、身体上に影響はないから大丈夫だ。病気でもないしな」
「あ、そうなのか?」
へー、とか納得したような声を出してダンが首についた点線をなぞり始める。
「……歯形?んなわけねえか!」
天然で核心をついてきた明るい笑顔に、エースは一気に耳まで赤くなって無言で俺を睨んできた。
だから馬鹿と言っただろうに。
無意識でもわざわざ髪を上げて、噛まれて痕をつけられた首を晒すなんて自分は誰かのものだと主張しているか、襲ってくれと頼んでいるようなものだ。
半ば呆れながらダンをエースから引き剥がし、コンコルドを取れば軽い音を立ててしなやかな髪が下りる。
その様子を見ていたバロンが安堵した息を吐いたのを横目に見て、前に進んだ列の隙間を埋めた。
さて、今日の夕飯は何だろうか。
お間抜けコンコルド
もう髪は上げないのか?
っ、うっせえ!にやにやすんな!